近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。そんな作品をさらに楽しむために、意外と知らない韓国近現代史を、映画研究者・崔盛旭氏が解説していく。
パク・ソジュン主演 Netflix『梨泰院クラス』
コロナ禍で思うように外出ができず、在宅時間が増えたことによって動画配信プラットフォームが急速に浸透し、かねてより人気のあった韓国ドラマがますます見られるようになった。
中でも2020年2〜3月にNetflixで配信が始まった『梨泰院クラス』と『愛の不時着』は、重苦しい現実から目をそらして没入できるエンターテインメント作品として、日本でも多くの人が“ハマった”のではないだろうか。この2作は依然として根強い支持を集めているが、ついにこの7月から日本で『梨泰院クラス』のリメーク版ドラマ『六本木クラス』(テレビ朝日系)の放送が始まった。
『梨泰院クラス』の原作は韓国の人気ウェブ漫画で、日本でも『六本木クラス~信念を貫いた一発逆転物語~』というタイトルで翻訳、ローカライズされ、3年ほど前から公開されている。ドラマ版『梨泰院クラス』は、韓国ではケーブルテレビでの放送だったが、回を追うごとに視聴率を上げ、大きな注目を集めた。
『彼女はキレイだった』といったラブコメドラマや、以前のコラムでも取り上げた映画『ミッドナイト・ランナー』で人気を集めたパク・ソジュンが、原作そのままの“いがぐり頭”で主人公のパク・セロイを演じたほか、積極的なヒロインのチョ・イソ(キム・ダミ)と王道ヒロインのオ・スア(クォン・ナラ)という対照的な女性キャラクターや、ユ・ジェミョンが演じた憎々しい悪役である財閥・長家(チャンガ)の会長も登場。さらに、人種やジェンダー差別といった現代的なテーマなども描いており、ドラマの王道と新しい要素を織り交ぜた魅力的な作品である。
全16話という見ごたえたっぷりの本作を一言で表すならば、「財閥という巨大権力の横暴に立ち向かい、仲間と共に闘う青年の物語」だろうか。不可能な相手にセロイたちがどう対峙していくかはドラマで楽しんでもらうとして、今回のコラムでは、作品への理解をさらに深めるために、「梨泰院(イテウォン)」という街の歴史的な成り立ちと、主人公が立ち向かった巨悪である韓国の「財閥(재벌、チェボル)」とは何か、そして「梨泰院クラス」というタイトルの意味について考えてみたい。
梨泰院はいつしか「国際的な街」に様変わりした
本題に移る前に、まずは私の個人的体験から始めよう。大学入試直後の1987年12月、息の詰まるような受験勉強の重圧から解放された私は、数名のクラスメートと一緒に梨泰院のディスコクラブに出かけた。絢爛としたネオンサイン、そこかしこにたたずむ米兵たち、所狭しと踊る大勢の人々といった断片的な光景を今でも思い出す。初めての梨泰院は、「米兵の多いクラブの街」という印象が強く、ダンスにも疎かった私は、その後、梨泰院を訪れることはなかった。
それから10年、大学生や軍隊、新聞奨学生を経てサラリーマンとなった私は、日本からの来客をソウルに案内した際、明洞(ミョンドン)や東大門(トンデムン)市場といった観光名所に続いて、再び梨泰院に足を踏み入れた。その時何より驚いたのは、梨泰院で働く人たちの流暢な日本語。たどたどしい日本語で必死に案内する私とは対照的に、街に並ぶ各店舗では日本語や英語、中国語の堪能な店員たちが外国人客を出迎えていた。いつの間にか、梨泰院は「国際的な街」に様変わりしていたのだ。
こうして見てみると、梨泰院は確かに東京でいう「六本木」にあたるだろう。一方、先にも述べたように、梨泰院の成り立ちには「米軍基地」が密接に関わっている。
日本の植民地から独立後、ソウルの龍山(ヨンサン)にあった旧日本軍基地に米軍が駐屯し、広大な米軍基地が形成された(この米軍基地は2017年に、京畿道平澤<キョンギド・ピョンテク>に移転。現在は公園になっている)。梨泰院はこの米軍基地と隣接していたことから、自然と米兵相手の店舗が並ぶようになって「梨泰院市場」を形成、繁栄し始めた。
当初はアメリカ一色だったが、80年代以降は外国の大使館や大使公邸なども多く建ち、米兵や関係者以外の外国人も目立つように。90年代には外国からの移住者や労働者も加わってさらに多国籍多人種の人々でにぎわい、「ソウルの中の外国」と呼ばれた。私の記憶にある10年の時を隔てた2つの梨泰院は、アメリカ色の濃かった街からグローバルな街並みへと移り変わっていく時代とちょうど一致していたのだ。
2000年代になると、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーのためのカフェやクラブも増え、少なくとも、梨泰院は誰もが差別を受けることなく自由にいられる街だと認識されるようになった。ドラマにも登場する「ハロウィン祭り」が始まったのは10年で、期間中は韓国人の若者や外国人、観光客で街全体が埋め尽くされる。『梨泰院クラス』の原作者は、こうした「自由と多様性」を重要な土台と捉え、この街を物語の舞台として選んだのかもしれない。
だが一方で、米軍基地を囲んだその繁栄の陰には、米軍「慰安婦」の存在があることも忘れてはならない。梨泰院は、ソウルのど真ん中につくられた基地村でもあったのだ(米軍「慰安婦」や基地村については『バッカス・レディ』のコラムを参照)。
梨泰院の国際化が進めば進むほど、米軍「慰安婦」たちは知られてはならない透明な存在となって排除された。とりわけ1997年、ソウル市が梨泰院を韓国初の観光特区に指定してからは、多くの米軍「慰安婦」が梨泰院から去らざるを得なくなり、わずかに残った人たちは、年をとった今も梨泰院周辺にひっそりと暮らしている。
最近では、BTSのメンバー・ジョングクが76億ウォン(約7億円)で家を購入したことも話題になり、金持ちや芸能人が多く暮らす「富豪の街」というイメージが強い梨泰院だが、こうした華やかな側面とは裏腹に、痛ましい歴史の物語も抱えているのだ。
そんな梨泰院を舞台に繰り広げられるのは、パク・「セロイ=新しい」という不思議な名前を持つ青年が、最愛の父と自分の人生を奪った「長家(チャンガ)」という韓国外食産業のトップに君臨する会社への復讐である。ファンタジーとして人気を博した物語だが、とりわけ韓国において、長家のような「財閥」は今なお社会や経済を牛耳っており、多くの国民にとって憧れであると同時に憎らしく、生々しい感情を喚起させる存在だ。
財閥は日本では占領期にアメリカによって解体されたため、過去の遺物となった感が強いが、韓国では巨大企業を示す言葉として、現在も十分に健在。韓国独特の政治・経済的背景の中で生まれた翻訳不可能な単語として、韓国語読みの「チェボル(CHAEBOL)」がオックスフォード英語辞典にも掲載されているほどだ。
コラムではこれまで何度となく、韓国の近現代史がいかに「政経癒着」に彩られてきたかを取り上げてきた(『パラサイト 半地下の家族』『国際市場で逢いましょう』『アシュラ』を参照)。政経癒着とは、政権が特定の企業に対してありとあらゆる政策的恩恵を与え、企業はそのお礼として政治資金という名目のリベートを支払うといった、権力と金の不正な結託のことを指している。
建国まもない1948年、李承晩(イ・スンマン)政権は、工場や土地など植民地時代に日本が残した帰属財産を、より多額のリベートを約束した業者や、コネのある業者にほとんど無償で払い下げた。もちろん業者は見返りとして莫大なリベートを払い、政権から税金や負債の減免といった便宜を図ってもらいながら、会社の規模を拡大、財閥の土台を固めていったのである。
そして、その後の朴正煕(パク・チョンヒ)から全斗煥(チョン・ドゥファン)に続く軍事政権では、経済開発計画や国土開発事業などの政策の中で、政経癒着を通して財閥としての確固たる地位を築いていく。2018年度の韓国の輸出データによると、総額の3分の2を上位30位の財閥が占めていたことからも、韓国経済が今なお財閥に深く依存していることがわかる。
また、韓国の国立国語院による「チェボル(財閥)」の定義には、その欠かせない条件として「家族・親族による経営」が含まれている。長家がそうであるように、創業者からその息子へ、そして孫へと経営権が世襲されるという極めて前近代的な世襲の形態こそが、韓国ならではの財閥の最も大きな特徴であり、外国語に翻訳できないゆえんであろう。儒教社会・韓国では、「家族・親族による経営」から抜け出すことが何よりも難しいのだ。
翻訳不可能な韓国語は「チェボル」だけではない。長家の会長やその息子の悪行を批判する形で、ドラマの中に何度も出てくる「갑질(カプチル)」という言葉もまた、最近の英語圏のニュースでは「Gapjil」と表記される、韓国ならではの表現である。
契約書の「甲(カプ)」と「乙」から派生したもので、契約書上で常に有利な上の立場にある「甲」が乙に対して理不尽な要求をしても、乙は甲に従うしかないという関係性から、社会のさまざまな局面で有利な立場を利用して、身勝手な暴力を振るう行為(チル)を「カプチル」と呼ぶ。いわゆる「パワハラ」にあたるが、職場や組織に限らず、己の権力を誇示しようとする行為全般を指すため、日常のより広範な場面でも使われる。
セロイに対する長家の仕打ちは、まさしくカプチルそのもの。いうなればこのドラマは、財閥のカプチルに対して復讐を遂げていくセロイの姿を描いているのだ。すべてを失ったところから、信念を貫き成功と復讐に突き進むセロイの迷いなき姿は、確かに見る者を爽快な気分にさせる。その一方で、セロイやその仲間たちもまた、韓国社会の階級意識に絡めとられ、そこから自由になることはできないと突きつけられているようにも感じる。
『梨泰院クラス』というタイトルは、セロイを中心に仲間たちが夢をかなえていく和気あいあいとしたイメージを喚起するかもしれないが、ドラマでの発音を聞くと、それは「学校」の「class=클래스(クレス)」ではなく、「階級」という意味の「class=클라쓰(クラス)」を指している。この「클라쓰(クラス)」こそ、「俺はお前とはクラスが違う」といった具合に、相手を見下すニュアンスを含んだカプチルの表現なのだ。その根底には、少しでも相手の上に立とうとする韓国ならではの儒教的な階級意識が潜んでいるのは言うまでもない。
そう考えると、長家より上の「クラス」を目指すセロイも、学歴を持たない梨泰院クラスの仲間たちの下克上成功物語に熱狂する視聴者も、結局は上昇志向と階級意識から逃れられていないではないかと、つい意地悪な見方をしたくなってしまう。「梨泰院」という「差別のない自由な」街を意図したはずの場所が、成功や金持ちの代名詞としての意味を拡大させているのも皮肉に聞こえてくる。
さらには、誰よりも優秀で頭がさえ、あらゆる意味で時代の最先端を走る女性として描かれるイソが、セロイに対しては「すべてを捧げる」「夢をかなえてあげる」と繰り返す様子は、古典小説『春香伝』で両班(朝鮮時代の貴族)のために命懸けで尽くす春香(チュニャン)の姿がオーバーラップしてしまい、「何も新しくないじゃないか」と文句を言いたくなる。人々をとりこにする物語は、最終的には保守的な思考を持ってしまう……というのは、深読みしすぎだろうか。
いずれにしても、『梨泰院クラス』は国境を超えて数え切れない人々の生活を彩り、コロナ禍の暗い気持ちに寄り添ってくれた。いくらオリジナルが人気だからといって、そのリメークが必ずしも支持されるとは限らないし、作り手にとってはむしろ困難さを伴うだろう。歴史も社会的背景も異なる日本で、『六本木クラス』は果たしてどのように受容されるのか、今後の展開を楽しみに見守りたい。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。