世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。
【三重 豚の血・心霊手術詐欺事件】
三重県某市から車を北に30分ほど走らせたところにある、ひなびた街。山裾にしがみつくように建ったホテル別館の大会議室が、彼女の“オペ室”のひとつだった。しかし、オペと言っても、我々が思い浮かべるそれではない。室内には消毒液でなく、お香の匂いが立ち込めている。
寝台の周りを半円状に取り囲んでいるのはナースではなく、下着一枚の姿になった男女。一同が食い入るように見つめていたのは、髪を引っ詰めた女の手元だった。彼女は寝台に横たわる“患者”の体から、麻酔もメスも使わずに、素手で血だらけの病巣を取り出してしまうのだ。
1人の“手術”を終えるのに1分とかからない。寝台を取り囲んでいた男女たちも、順番に寝台に寝そべり“手術”を受けてゆく。
グチャ、グチャ……
女は時折、小さく念仏を唱えながら、寝台に寝そべる患者の“病巣”から臓物を引っ張り出し、バケツに投げ込む。お香の匂いのなかに、かすかな獣の臭いが混じる。
この“手術”で本当に病巣が取り除かれるわけではない。女が施していたのは「心霊手術」だ。
血まみれの臓物を素手で取り出す「心霊手術」
三重県のホテル別館・大会議室に患者ではなく警察がなだれ込んできたのは、1996(平成8)年10月。「手術室」では、まさに心霊手術の真っ最中だった。
昭和のころ、テレビで「心霊手術」をご覧になった方もいるのではなかろうか。病を患う患者を寝台に寝かせ、その患部に術者が手を突っ込む。何やら手元を動かすと、患者の体から病巣と思しき血まみれの臓物が取り出される。メスも麻酔も使わないのに患者は痛みも感じず、手術が終わるのだ。
かつて、まるで奇跡のようにテレビで放送されていた、この摩訶不思議な手術で、もちろん病気が治るわけでもない。しかし平成の時代に、日本でこの「心霊手術」を行っていたとして詐欺容疑で逮捕されたのが、冒頭の女・日笠志摩子(仮名・当時57)である。
志摩子が患者の患部から取り出されたかのように見せている臓物は、豚の血を脱脂綿に浸したものに鶏の皮をかぶせたものだった。それをあらかじめ隠しておいて、パッと取り出す。「心霊手術」とは名ばかりの、単なる手品だった。
しかし、ワラにもすがる思いの重病人たちは、口コミでの評判を聞きつけ、志摩子のもとに全国から殺到した。自宅周辺には高級車が並び、1人では階段も登れないような高齢者や、担架に乗せられた重病人がやってきていたそうだ。
志摩子は三重県某市の自宅に「日本心霊学会」という看板を掲げ、口コミで治療を受けに来る患者たちに「このままではガンになる」「半年もしないうちに植物人間になる」などと言って不安にさせ、心霊手術を施していたという。
「1回の料金は3万円で、だいたい1人あたり30回から50回くらいは“手術”していたそうです。ガンや不治の病で、ワラをもつかみたいという患者の弱みにつけこんだ卑劣な犯罪」(警察)
逮捕のきっかけとなったのは、名古屋市内の当時61歳会社役員。約150万円を騙しとられているというから、50回ほど、心霊手術を施してもらったのだろう。この役員は病院では「直腸ガンは完治した」と診断されていたが、志摩子から「このままでは再びガンになる」と脅され、彼女のもとに通っていた。
そんな夫を見るに見かねて、同年3月、妻が警察に相談に訪れたのだった。
「ただ、被害者に被害を受けたという認識がないので、苦労しましたね。日笠にまんまと騙されていたんです」(同)
被害者は全国で約300人にのぼり、被害総額は数千万とも億単位ともいわれる。さらに札幌の“患者”からは600万円のベンツまでプレゼントされていた。
千鶴子は、昭和の時代にフィリピンで学んだ“心霊手術”とは名ばかりの手品の腕前と、巧みな話術で患者たちを欺き「心霊手術でどんな病気も治せる」と豪語していた。
実際に、肩こりに悩んでいる時に志摩子から血を抜いてもらったという近所の老人は言う。
「わしらは日笠さんのことを神さんと呼んでおりました」
40年近く、心霊手術という名の詐欺治療を続けてきた志摩子は、神ではなく人間で、第二次世界大戦が始まる前の39年、三重県某市の海岸沿いにある漁業の町に生まれた。戦争が終わったのは彼女が小学校1年生のとき。
食べ物のない時代だったが、漁業の街の住人が飢えることはなかった。ここでの暮らしは、志摩子の詐欺師としての出発点といえる。当時、とある商売が町で大流行したのだ。
「うちの父ちゃんと息子は“たんもんや”になって留守にしとるんだわ」
この町では、男たちは漁師の仕事や学校を放ってまで“たんもんや”に出ていった。“反物屋”が訛ったと思しきその言葉は、洋服や和服の生地のニセ反物を売り歩く“詐欺商法”を意味していた。反物の両端だけに本物の生地を織り込んだそのニセ反物を使い、客の前で反物の端だけを炙ってみせる。
「純毛かどうかは繊維を燃やしてみればわかるんです……独特の匂い、この焦げかた、正真正銘の純毛です」
と、このようにして、端の純毛だけ燃やして全てが純毛の反物であると客を騙し、仕入れ額の数十倍の高値で売りつけるというやり方だった。彼らは町に戻ると、金の指輪の大きさや、ロレックスの高級腕時計を自慢しあったりした。
――続きは7月25日公開です
■参考資料
「週刊大衆」(双葉社)1996年11月18日号
「週刊女性」(主婦と生活社)1997年1月21日号