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「医者に診せてはいけません」フィリピン仕込みの“心霊手術”で破滅した、日本心霊学会の“神さん”【豚の血・心霊手術詐欺事件 後編】

ByAdmin

7月 25, 2022 #悪女の履歴書

 1996(平成8)年10月。「手術室」で心霊手術の真っ最中だった日笠志摩子(仮名・当時57)のもとに、警察がなだれ込んだ。昭和のころ、テレビで「心霊手術」をご覧になった方もいるのではなかろうか。病を患う患者を寝台に寝かせ、その患部に術者が手を突っ込む。何やら手元を動かすと、患者の体から病巣と思しき血まみれの臓物が取り出される。メスも麻酔も使わないのに患者は痛みも感じず、手術が終わるのだ。

 かつて、まるで奇跡のようにテレビで放送されていた、この摩訶不思議な手術で、もちろん病気が治るわけでもない。しかし平成の時代に、日本でこの「心霊手術」を行っていたとして詐欺容疑で逮捕されたのが、志摩子である。

 被害者は全国で約300人にのぼり、被害総額は数千万とも億単位ともいわれる。さらに札幌の“患者”からは600万円のベンツまでプレゼントされていた。

 心霊手術という名の詐欺治療を続けてきた志摩子は、第二次世界大戦が始まる前の1939年、三重県某市の海岸沿いにある漁業の町に生まれた。 食べ物のない時代だったが、漁業の街の住人が飢えることはなかった。街の男たちは、洋服や和服の生地のニセ反物を売り歩く“詐欺商法”で儲けていたのだ。

▼前回まで

化粧品のセールスレディーの傍ら“心霊療法”

 そんな大人たちを見て育った志摩子は、群を抜いて“おませな子”だったという。父親の女性関係の多さに愛想をつかした母親は、3人目の子を産むと実家に帰ってしまった。魚の加工業で成功していた父親は、さらに女性関係に熱心になった。祖母が面倒を見てくれはするものの、長女だった志摩子は、幼い頃から弟や妹の母代わりを強いられた。

「私はお母ちゃんに捨てられたんだ。なのに、お父ちゃんはいつも若くてきれいな女の人ばっかり追いかけてる」

 幼心に人間不信が植え付けられた志摩子は、中学生になる頃には同級生の中でも異色の存在となる。人当たりがいいのに負けん気が強く、野心が人一倍強い女子へと成長していた。

「私は結婚なんかしない。それより世間を股にかけてお金を稼がなくちゃ。そうでなきゃ、人生つまらない」

 高校を卒業すると同時に地元を飛び出し、名古屋に出て、大手化粧品会社に就職。歩合制の化粧品のセールスレディーとなる。これと思った相手であれば、男女問わず懐に入る話術をすでに持っていた志摩子は、たちまちトップの売り上げを記録した。

 このセールスレディの仕事と並行して始めたのが、もっと儲かる独自の“心霊療法”だった。セールスのために赴いた先に病人がいると聞くと、志摩子はこう言うのだ。

「私が治せると思う」

 訝る客に、さらにたたみかける。

「お加持さん(編注:加持とは患部に手をかざしながら治癒や癒やしなどを与えていく手法)って知りませんか? 私の祖母は、ずいぶんと人助けをしてきました。医者から見放された人が、祖母のお加持さんを受けると治ってしまうんです。私は小さい頃から霊感が強くて、いつの間にか祖母と同じようなことができるようになっていたんです。やってみましょう」

 もちろん、志摩子は加持祈祷などやったこともないが、彼女は人の気持ちを掴むことにかけて、ずば抜けていた。独特の強い眼差しで、相手の瞳の奥を覗き込むように見ると、相手はそれだけで飲まれてしまうのだった。

 患部をなでて、さも治療をしたかのように振る舞うと、いい気持ちになり「治った」と勘違いする客が続出。“治療”による収入が、化粧品販売のそれを越えるまでに、さほど時間はかからなかった。

 演技力と度胸で始まった“治療”に、生来の野心が加わり、志摩子は独自の心霊療法を独自に磨き上げていく。お香を焚き込め、般若心経を唱え、ピラミッドパワーを利用し……と、客が信じそうなものを、片っ端から取り入れていった。

 そして20代のうちに、心霊療法の副収入でマンションを購入。30代になると化粧品のセールスレディを辞めて、心霊療法に専念する。住まいもマンションから、新たに購入した新築戸建てへと移り、そこも手狭になると、敷地80坪の豪邸へと引っ越した。

 敷地内には黄金のピラミッドを備え、ますます彼女は“それっぽく”なってゆく。そんな折、「心霊手術」を学びに渡ったフィリピンで出会ったのが、4歳年上のフィリピン人心霊手術師、ケニー(仮名)だった。

 ケニーの心霊手術を目の当たりにした志摩子は唸った。

〈これはすごい。病巣を目の前で取り出して見せたら、患部をさするだけの私の治療よりずっと説得力がある。カネも高くとれる。私も……〉

 2人はたちまち意気投合。志摩子は日本とフィリピンを何度も往復し、セブ島などで観光客を相手に施術をした。ケニーの心霊手術を間近で見ながら、志摩子は“トリック”を習得したのだ。

 口コミを聞きつけて日本から心霊手術ツアーに訪れる客も絶えず、心霊手術と称した詐欺行為は順風満帆だった。このまま海外にいれば、彼女の運命も違っていたかもしれない。

 だが志摩子は1995年、逮捕前年に、日本に戻ることになった。バブル崩壊からの不況で、日本からの心霊手術ツアー客が減少したことも影響していた。

 日本での心霊手術に使う“手術室”は、日本各地のホテル会議室だった。警察による摘発を逃れるために、拠点を定めず場所を借り、転々としながら詐欺を重ねていた。ところが件の会社役員の妻が警察に相談に訪れたことから、彼女の詐欺人生に終止符が打たれることとなったのである。

「医者に診せてはいけません。薬を飲んだり、医者の手術を受けたりすると私のパワーが効かなくなります。それと私が治療をしていることを口外しないでくださいね。腕の悪い医者にねたまれていて医師法違反で捕まりそうなんです」

 志摩子は客にこう言い含めて“手術”を施していた。無論、詐欺が発覚しないための方便だ。しかし、すがる思いで彼女のもとを訪ねた者たちにとって、この口止めはかえって、心霊手術の神秘性を高めてしまったことだろう。

■参考資料
「週刊大衆」(双葉社)1996年11月18日号
「週刊女性」(主婦と生活社)1997年1月21日号

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