――ジャニー喜多川さんが眠る高野山の奥之院。パワースポットや観光地としても有名な高野山の歴史や参拝ルールについて、神社仏閣の歴史や神話、民俗学に詳しく、書籍も数多く手掛ける上江洲規子氏がガイドする。
ジャニーズ事務所の創業者であり、トッププロダクションに育て上げ、2019年7月9日にこの世を去ったジャニー喜多川氏。彼の墓所は高野山の山深く、いわゆる「奥之院」と呼ばれる場所にある。
ジャニー氏の安寧の邪魔になってはいけないが、命日にもお盆にも近いこの時期、静かにお参りをしてみるのも良いかもしれない。
高野山と空海の歴史
まず、高野山の歴史をひもといてみよう。高野山の母神は「丹生都比売(にうつひめ)」であるとされる。天平時代に書かれた祝詞「丹生大明神告門(にうだいみょうじんのりと)」によれば、天照大神の妹神で大和や紀州に農耕を広めた女神だという。この地を修行の場として開いたのが、平安時代の高僧、弘法大師空海だ。
空海は遣唐使として唐を訪れ、密教を持ち帰る。遣唐使についての研究はまだ十分とはいえないが、数年の短期滞在で帰国が許される還学生(げんがくしょう)と、20年は帰国が許されない留学生(るがくしょう)は、待遇が違ったとされる。
空海は留学生だったが、密教の金剛頂経と大日経を統合した第一人者でもある恵果から、直接両部を伝授されて多大なる成果を得て、たったの2年で帰国を許される。
先進国の唐においても最先端だった密教を持ち帰った空海は、都で大歓迎を受けた。空海の名言通り、「虚往実帰(むなしく往きて満ちて帰る)」である。帰国した空海は東寺などを経て高野山を開き、一大霊場に育て上げて栄華を誇った。
現在の高野山は、根本道場である「壇上伽藍(だんじょうがらん)」を中心に、金剛峯寺をはじめ、寺院が百以上も存在する。これらの寺院は、罪を犯した貴人や謀反の疑いをかけられた武将が蟄居(ちっきょ)させられた歴史を有するものも少なくない。
かつては女人禁制で、女性たちが留まった女人堂もあり、多くの人が高野山を目指したことが偲ばれる。
奥之院には、今も空海が生きていると信じられる
武将たちの信仰も篤く、奥之院には織田信長や豊臣家、徳川家のほか、武田信玄や上杉謙信、伊達政宗など、錚々たる武将が眠っている。武将たちだけでなく喜多川家の墓所もある奥之院は、空海が入定(にゅうじょう)している聖地だ。入定とは「禅定に入る」ことで、禅定とは、心の動揺が鎮まった状態を指す。
空海は奥之院で永遠の瞑想をしていると信じられているわけだが、正確には“未来永劫”にではない。大乗仏教では釈迦が入滅(死去)したのち、56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世に現れて、人々を救済すると信じられている。弥勒が現れるまでの間が、空海の瞑想期間だ。
だから高野山では空海は今も生きていると信じられており、一日に2回、維那と呼ばれる僧職の者が、空海が入定している御廟に、毒見の済んだ御膳を運んでいる。この儀式は「生身供(しょうじんく)」と呼ばれ、承和2年(835年)に空海が入定してから、1200年近く続いてきた。御膳は主食のご飯と一汁、そして三菜で構成されている。
高野山は人気観光地でもある。かつて「目の青い人が高野山に足を踏み入れると雨が降る」という迷信もあったが、政府によるインバウンドの取り組み以降は外国人観光客もたくさん訪れている。目抜き通りにはお土産物屋や食事処が建ち並び、精進料理の一種であるごま豆腐は、高野山でも人気の食べ物で、作りたてのごま豆腐を楽しめるお店も多い。
宿坊を併設する寺院もたくさんあるので、宿泊してのんびり観光しやすいのもうれしいところだ。
それでは、ジャニー喜多川家の墓所を訪ねてみよう。
もし、正式な参拝方法にこだわるなら、まずは一の橋から御廟まで参拝すると良いだろう。ケーブルカーの高野山駅から「奥の院口」まではバスが出ている。車ならば一の橋の前に駐車場があるが、民間のもののようで10台弱しか停車できず、有料だ。
一の橋から御廟までの距離は2キロ強で、一の橋・中の橋、御廟橋と、川を3つ渡る。
喜多川家の墓所にお参りすることだけが目的ならば、中の橋を起点にするとよい。バスなら「奥の院前」バス停で降りると良いだろう。車ならば、すぐ前にある中の橋駐車場が利用できる。普通乗用車なら186台駐車可能で、こちらは無料だ。
奥之院入り口には「南無大師遍照金剛」と書かれているのが目に入る。
遍照金剛とは「大金剛のように不滅であり、光が遍く照らしている」の意味で、大日如来のこと。大日如来は空海の守り本尊だ。南無は「私は帰依します」だから、「南無大師遍照金剛」は、「弘法大師空海に帰依します」という意味になる。
門を入るとユニークな墓所が次々目に入る。まず目につくのは、ロケット型をした新明和工業株式会社の慰霊碑だ。ほかにも社団法人日本しろあり対策協会のしろあり供養塔や、福助の石仏が鎮座する福助株式会社の感謝の碑など、興味を惹かれるものも多い。
そのうち道は右にやや湾曲し、右側に観音像が見える。そこから30メートルほどで、右側に「花柳流慰霊塔」と書かれた看板が見えるので、右折しよう。
約30メートル先に橋があるのでこれを渡り、また30メートルほど進めば左側、奥まった墓所から2つ目が喜多川家の墓で、ジャニー氏もここに眠っている。
墓碑には、ジャニー喜多川氏のほか両親と兄の法名と俗名、没年月日が刻まれている。ジャニー氏の法名は「宝澍院諦応擴道大居士」だ。
左隣には藤島家の墓があり、ジャニー氏の姉である藤島メリー泰子氏、義兄にあたる藤島泰輔氏が眠っている。
都会から離れた山の上で眠るジャニー氏の前で騒いだり、 写真撮影のために行列を作ったりしたくないものだ。 参拝者が複数いるようならば長時間居座ることなく、 静かにお参りしたい。
お墓参りを済ませたら、壇上伽藍や金堂などもぜひ見学して帰ってほしい。
高野山奥の院アクセス方法
(※2022年7月29日時点の情報)
1)南海高野線「極楽橋駅」下車、南海高野山ケーブルで「高野山駅」へ。高野山駅から南海りんかんバスで「奥の院口」または「奥の院前」下車。
・南海りんかんバス 時刻表
2)京都駅八条口から京阪バス・南海りんかんバスで「奥の院前 [高野山]」下車。事前予約必要。(~11月27日までの運行)
・京都⇔高野山高速バス直通便 公式サイト
・高野山真言宗総本山金剛峯寺 公式サイト
上江洲規子(かみえしゅう・のりこ)
歴史、特に古代史や神話のほか日本文化やリクルートなどの分野で執筆を手掛けるライター。古代史は博物館をめぐって発掘調査の研究成果からアプローチするだけでなく、「日本書紀」や「古事記」はもちろん、「風土記」「古語拾遺」「先代旧事本紀」などの史料も参考にしている。民俗学者・田中久夫氏の「御影史学研究会」にも参加し、日本の民俗も勉強中。