“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
未婚か既婚か、子どもの数、子どもの進学先、夫の会社や役職……とかく女同士は互いを値踏みしたがるのかもしれない。たくさんの老人ホームを取材するなかでも、夫や子ども、はたまた高齢の兄弟の存在にすがっているように思える高齢女性は少なくない。「亡くなった夫は~に勤めていた」「会社を経営している実家の兄はいつも自分のことを気にかけてくれている」など、夫や兄弟の肩書を自慢するのは、自分の経歴を誇る男性よりも多い気がするのはなぜだろう。
ある老人ホームを訪れたときに会った女性は、自慢の方向がちょっと違っていた。
周りの入居者よりもほめられたい
その女性、土屋文子さん(仮名・85)は、脳血管障害の後遺症で半身まひが残り、車いすで入居した。夫と息子と3人で暮らしていたのだが、どうも土屋さんのわがままに手を焼いて、自宅で介護するのは無理だとホームに入居させることにしたようだ。
突然、身体の自由が利かなくなった土屋さんにとって、家族からも見捨てられたようで、ホーム入居は不本意だったのだろう。誰にも心を開こうとせず、職員にきつい言葉を投げつけることもあったという。ほかの入居者との関係もうまく築けなかった。人生を諦めたように投げやりな雰囲気が漂っていたという。
リハビリを担当する職員は、土屋さんに再びやる気を取り戻してほしいと、根気よく声をかけ続けた。そして軽いものからリハビリに取り組んだ結果、少しずつ体力がついて、車いすから歩行器を使ってならゆっくり歩けるようになったのだ。リハビリ担当者は自分のことのように喜び、土屋さんの頑張りをほめた。
すると、土屋さんの表情に変化が表れた。もともと負けず嫌いの性格で、「周りの入居者よりもほめられたい」という気持ちに火がついたようだった。リハビリの時間はそう多くない。土屋さんは、リハビリの時間が待ち遠しい様子だった。リハビリ担当は若い男性だ。マンツーマンでのリハビリを励みに頑張る高齢者、特に女性は多い。いくつになって若い男性の存在は励みになるものだ。悪いことではない。
土屋さんは、それだけで終わらなかった。「もっと私に注目してほしい」という思いがあったのかはわからない。ただその自己主張が、夫や子ども、兄弟の自慢をするほかの入居者とは違っていた。
土屋さんは「私は占いができるから、見てあげる」と言うようになったのだ。認知症による思い込みではない。もちろん、年相応の物忘れはあるが、逆に“戦略的”だったと言うと穿ちすぎだろうか。
この言葉に反応したのは、女性職員たちだった。もちろん興味を示さない職員もいたが、土屋さんに手相を見せたり、生年月日を教えたりして、話し込む職員の姿が見られるようになった。半信半疑ながらも当たったらラッキーくらいの気持ちだったのかもしれない。
老人ホームの職員は忙しい。入浴に食事介助、おむつ交換などのスケジュールに追われ、ゆっくり入居者と会話する時間も余裕もないと嘆く職員は多いが、時間を見つけては土屋さんのもとに寄って、恋愛や子育てなどちょっとした悩みごとを相談する職員が目立つようになった。
占いがどこまで当たっているのかはわからない。それでも、土屋さんの物言いはハッキリしているし、長い人生経験から的を射ていることが多く、女性職員たちはすっかり信じ込んでいるようだった。介護される側だった土屋さんと立場が逆転した格好だ。職員に囲まれることの増えた土屋さんは、目に見えて生き生きとしはじめた。ほかの入居者にも自分から積極的に声をかけるようになった。
そして手相を見ては、「大丈夫、長生きするわよ」などと言って、余裕たっぷりにほほ笑む――ホームの“ボス”の誕生だ。
リハビリにもいっそう力が入るようになり、歩ける距離も伸びた。自信をつけた土屋さんは、家族に自前の歩行器を買ってほしいと言うまでになった。あまりお金をかけたくない家族は、購入を渋っているらしいが……。
ホームの管理者は、そんな土屋さんや職員を複雑な思いで見ている。土屋さんが生きがいを取り戻したのだから、占いをするのは決して悪いことではない。どんなホームにも仲良しグループやボスが存在するのは事実だ。
土屋さんの生存競争に勝つ力のようなものに舌を巻きながらも、どこかで職員に占い規制をしないといけないだろうとも考えている。そのときに土屋さんがどう出るか、期待する気持ちもある。お手並み拝見、だ。
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