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Netflix『D.P.-脱走兵追跡官-』に見る、韓国「徴兵制」の実態――「命令と服従」実体験を映画研究者が語る

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。そんな作品をさらに楽しむために、意外と知らない韓国近現代史を、映画研究者・崔盛旭氏が解説する。

チョン・ヘイン&ク・ギョファン出演 Netflix『D.P.-脱走兵追跡官-』

 1988年12月中旬のある朝、私は玄関のドアを叩く音で目がさめた。ドアを開けると、軍服姿の若い男がニコッと笑って「召集令状です。おめでとうございます」と、赤紙を差し出した。この光景は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 韓国では、現在も法によって男性に「兵役」の義務が定められる。私が受け取った赤紙(ちなみに、現在は白紙である)には、「1989年1月10日○時までに江原道(カンウォンド)・春川(チュンチョン)の○○補充隊集合」と書かれており、慌てて家族や友人に宛てて、手当たり次第に入隊の連絡を出した。そして、友人たちによる入隊祝賀会や出征式で酒漬けになったあと、数日後には頭を丸めて「娑婆」(軍隊では世間のことをこう呼ぶ)を後にした。

 休戦中とはいえ、南北に分断され対峙している朝鮮半島に生まれた以上、兵役は一種の運命として従うしかない。だが、若さを存分に堪能すべき20代の大事な2年半(現在は1年半に短縮)に及ぶ歳月を、国を守るという名分の下に捧げるのは「青春の足かせ」であり、これっぽっちもしっくりこないのが正直なところだ。

 入隊する覚悟はできていても、いざ足を踏み出すと、絶望のどん底に落とされたような気持ちになった。この絶望感は、赤紙を手にした韓国の若者ならば、誰もが抱く感情だろう。

 ありとあらゆる統制の中に「束縛」され、個人の意思も自由もまったく通用しない。そのため、入隊後は脱走や暴力を伴ういじめ、自殺者が後を絶たず、韓国軍が抱える最大の課題として社会を悩ませている。

 当コラムでは、これまで韓国社会に特徴的なテーマを多数取り上げてきたが、いつかは「軍隊」を取り上げたいと思っていた。私が服務していた33年前とは、服務期間から生活環境まで多くの点で変わっているはずだが、それでも軍隊制度の本質や感情的な問題など、変わらないことも多いのではないか。

 そこで今回、軍内部の問題に正面から迫り、大反響を呼んだNetflixオリジナルのドラマ『D.P.-脱走兵追跡官-』(2021)を取り上げ、個人的な体験も含め、韓国の軍隊について紹介したい。

『D.P.-脱走兵追跡官-』あらすじ

 全6話の本作は、軍隊の中でも最も深刻とされる「脱走兵」の問題をテーマにしている。D.P.とは、Deserter Pursuitの略語で、直訳すれば脱走兵追跡、またはそれを任務にする兵士=脱走兵追跡官のことを意味する。

 物語は、入隊して間もないアン・ジュノ(チョン・へイン)がD.P.に選ばれ、先輩のハン・ホヨル(ク・ギョファン)と共に脱走兵を探し出すという基本構図のもと、エピソードごとに脱走兵のさまざまな事情が描かれる。行方をくらました脱走兵の行動を推理して追いかけるスリリングな展開も見事だが、おのおのが脱走に至った背景を通して、軍隊の暗部や徴兵制に潜む根本的な問題を浮き彫りにしていく社会性の強いメッセージを含んだ作品だ。

 各エピソードは、実際に起こった特定の脱走事件やいじめとは関係ないそうだが、現に類似した事件が数多く発生していることを踏まえれば、軍隊の現実そのものであると言っても過言ではない。私から見ても、軍隊の現実をリアルに反映しているため、見る者の心に重いものを残すだろう。

 本作はとりわけ、入隊を控える男性やその恋人、家族など、当事者の間での関心や視聴率が非常に高かった。本作で描かれる問題は、彼らにとって決して他人事ではなく、ともすれば未来の自分自身の問題かもしれない。自然と関心が集まるのも納得だ。

 兵役が義務付けられている韓国で、脱走は今も昔も重大な犯罪として扱われる。兵役を済ませることが、就職や進学、引っ越し、旅行など、ごく普通の社会生活を送るための基本条件となっているため、脱走はすなわち、韓国での「普通の生活」を諦めざるを得ないことを意味する。

 さらに「脱走の罪」には時効がない。法律上は10年での時効が明示されてはいるものの、韓国国防省は脱走兵に対して定期的に「帰隊命令」を出しており、それに応じなければ今度は「命令違反の罪」が新たに付け加えられ、時効が自動的に延長されるというからくりだ。つまり、命令に従い帰隊(自首)しない限り、死ぬまで脱走を続けるしか道はない。

 だが実際、命令に従って自首する脱走兵はほとんどおらず、逮捕されるか、身分を隠して逃げ回るか、劇中で描かれているように自ら命を絶つことになる。いずれにしても、脱走兵は出口のない袋小路に追い込まれるわけだ。

 統計によれば、2017年から21年まで5年間の脱走兵は521名に上り、このうち3年以上逃亡を続けている1名を除いて、全員が逮捕されたという。自首した人は1人もいなかった。驚くべきは、これまでの脱走兵の事例の中には、最長となる33年間もの歳月を家族や友人とも一切の連絡を絶って隠れて生き、55歳で逮捕された人物がいたということだ。1962年に脱走、95年に逮捕されるまで、どんなに孤独でつらい人生を送ってきたのだろうか……。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。

 このように、人生が丸ごと破壊されるような「恐怖」こそ、国家が狙う何よりも強力な「脱走抑止策」にほかならない。だが、それにもかかわらず脱走が後を絶たないのはなぜだろうか。

 その最大の原因といえるのが、『D.P.-脱走兵追跡官-』でも繰り返し描かれる、古参兵による理不尽な暴力や、性的羞恥心をあおるようないじめといった「虐待」である。軍隊内では、一般の社会では考えられないような人権蹂躙が日常的に横行している。

 私も入隊して最初の1年間は、毎日のように殴られた。大きなミスをしたわけでも、命令に逆らったわけでもない。理由なんて、そもそもないのだ。何もせずとも、古参兵の気分次第で「軍紀を正す」「気合を入れる」といった正当化された理由のもと、新参兵たちは殴られる準備をしなければならなかった。

 「気をつけ!」の姿勢のまま、古参兵の気が済むまで殴られ続ける――これが「命令と服従」だけで成り立っている軍隊という集団の、いまだに変わらない体質である。軍隊は儒教的慣習が最も端的に具現化したものといえるだろう。

 蹴られてあばら骨を骨折したときは、私もさすがに脱走したい衝動に襲われたことを今でも覚えている。だがやはり実行には移さなかったし、できなかった。脱走の衝動よりも、その後に待ち受けていることに対する恐怖が遥かに上回っていたからだ。悲しむ両親の顔が真っ先に浮かんで胸が痛み、除隊するその日まで、ひたすら我慢するしかないと自分に言い聞かせた。

 だから軍隊では「5分前と5分先を考えるな」とか「避けられないことなら楽しめ」といった言い回しが受け継がれてきているのだろう。殴られた過去もこれから殴られる未来も一切考えず、目の前のことにだけ集中しろ、というわけだ。実際、ほとんどの兵士は思考を止め、ひたすら我慢してなんとか無事に除隊している。

 だが中には、気の弱い人や個人的な悩みを抱えている人もいるはずだ。そうした事情をすべて無視し、法律の名の下、一律に徴兵するのは果たして合理的といえるのか? 多感な若者一人ひとりの事情に、声にもっと耳を傾け、気を配る方法はないのか? 徴兵制度自体がこのまま維持されるのであれば、その分、軍隊もまた時代や社会の変化に合わせて変わり続ける必要があるだろう。

 『D.P.-脱走兵追跡官-』において、ジュノとホヨルによる追跡は、このような疑問を投げかける過程であり、本作が発するメッセージそのものである。脱走を防ぐ根本的な解決策を見いだすことは難しく、かといって軍隊をなくすのも現実的ではない。理想的すぎるかもしれないが、「命令と服従」という軍隊の在り方を、暴力に頼るのではなく、個人としての尊重と信頼に基づいたものへと変えていくしかないのではないか。

 実は韓国軍も、こうした理想を現実にしようと取り組んできた過去がある。

 2000年代に入り、社会全体に民主化が浸透するに従って、軍も「兵営民主化」のスローガンを掲げ、主に人権侵害の改善を目標に、さまざまな組織を立ち上げた。01年の国家人権委員会による軍隊実態調査会や、陸軍訓練所で起きた暴力事件をきっかけに、05年に設置された陸軍人権改善委員会などが代表的な例だろう。ただ、その成果が目に見えて上がっているとは言い難い。

 なぜならば、武装兵による銃乱射事件(05年の「38度線監視所内銃乱射事件」、14年の「江原道軍部隊銃乱射事件」)や、古参兵による集団暴行死亡事件(14年の「医務兵殺人事件」)など、世間を揺るがす惨事が後を絶たないからだ。ドラマでも、いじめられた兵士が銃を乱射する場面があったが、これまで起こってきた、あるいはいつ起こっても不思議ではない事件を描いたといえるだろう。

 個人の意思と関係なく、法という国家的装置によって生じる兵役の義務。何物にも代えがたい時間を否応なく捧げた結果、暴力やいじめに晒され、心に傷を負い、脱走せざるを得ない状況に追い込まれる。その結果、命を失うことになれば、これ以上の悲劇があるだろうか。

 ドラマでは、脱走という運命を分ける瞬間の象徴として、部隊の正門に引かれている「白い線」の場面が度々登場する。この白い線を、たとえどれほどの時間がかかったとしても、意味も必要もない軍隊にしなければならないと、強く感じた。

 韓国には「将軍の息子」「神の息子」、そして「百姓の息子」という言葉がある。

 部隊に入るのではなく、家から通って兵役の代わりをする「防衛兵(現在は社会服務要員)」になれるのは「将軍の息子」(入隊のための身体検査で視力や身長、体重などの基準が一般兵士の条件に至らないと判定された人が対象だが、なぜか芸能人に多い)、なんらかの理由で兵役免除になった者は「神の息子」(政治家や財閥など金持ちの息子が圧倒的に多い)、一般兵士として入隊する者は「百姓の息子」と呼ばれる。兵役の格差を「階層」の違いにたとえて分けた呼び方だ。

 兵役逃れにこの上なく厳しい韓国社会だが、誰もが「免除」になりたいという欲望をにじませている。他人の兵役逃れには容赦のないバッシングを与える一方、我が子には免除させてやりたいと願うわけだ。兵役をめぐる社会の分断もまた、韓国ならではの問題といえるだろう。

 さて、好評だった本作は、早くもシーズン2の制作が発表されている。次はどのような軍隊の現実を描き、どんなメッセージを発信してくれるだろうか。期待は膨らむばかりである。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。