羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今週の有名人>
「会いたかった人だらけで、なかなか自分の席まで辿り着けないぱてぃーん」浜崎あゆみ
(浜崎あゆみインスタグラム、9月20日)
浜崎あゆみが9月20日にインスタグラムを更新した。お台場で開かれたダンスミュージックフェス『ウルトラジャパン2022』を訪れた浜崎は、「会いたかった人だらけで、なかなか自分の席まで辿り着けないぱてぃーん」とつづり、レコード会社「エイベックス」代表取締役会長・松浦勝人氏とハグする様子をアップしている。私はこの文面と2人の“ノリ”に気になるところがあった。
松浦氏といえば、大学時代に貸しレコード店でアルバイトをしており、そこで知り合った仲間と一緒に、レコードとCDの輸入卸売業を始め、その後、一代でエイベックスという音楽帝国を作り上げた人物である。
音楽プロデューサー・小室哲哉氏の絶頂期だった1990年代、彼が手掛けるアーティストばかりが売れていた中、松浦氏が「小室氏を介さず、自社でアーティストを育てたい」と見いだしたのが浜崎だった。
浜崎はその期待に応えて、見事大ブレークを果たし、2人はプライベートでも交際を開始。しかし、その関係は3年あまりでピリオドが打たれ、松浦氏はモデル女性と結婚・離婚しており、一方の浜崎はオーストリア出身のモデル、アメリカ・UCLAの大学院生とそれぞれ結婚し、離婚。2019年、21年には、パートナーと結婚という形を取らずに、子どもを出産した。
このように、別々の方向に進んだはずの2人だが、最近は松浦氏のYouTubeチャンネルや浜崎のインスタグラムでの“共演”が目立つ。あまり芸能界で元カップルが共演することはないからか、ネット上には「家族を超えた関係」というような好意的な書き込みも見られたが、私は違う解釈をした。2人が見ているのは相手ではなく、「若かった頃の自分」なのではないだろうか。
松浦氏のYouTubeチャンネルや、浜崎のインスタを見ていると、2人とも服装が全盛時と似通っているために、かえって寄る年波が明らかになっているように見える。巷間、人は自分の全盛期のファッションを引きずってしまうというだけに、それも致し方ないし、好きな服を着ればいいのだが、2人は感覚そのものが、90年代で止まっていやしないかと感じるのだ。
その理由は、松浦氏と浜崎にとって、90年代が特別すぎる時代だったからだろう。
松浦氏と浜崎のように、仕事でも恋愛でもパートナーである場合、仕事の成功が恋愛を盛り上げるものだ。2人で取り組んだ仕事がうまくいけば、お金と地位が手に入り、「才能がある」というお墨付きを得られ、その結果、より大きな仕事や夢に挑戦できるようになる。こうした成功が、相手への思い入れを強め、恋愛の充足感を高めるのは想像に難くない。
芸能の仕事は、売れればケタ違いの名声を得られる世界であることを踏まえると、それに付随する恋愛の盛り上がりも圧倒的だったはず。松浦氏と浜崎は、そんな稀有な経験をしたであろう若かりし90年代に、立ち止まったままな気がするのだ。
2人は結局別れたが、別離で必要以上に痛手を負わなかったことが、90年代をよりいいものだったと思わせているのかもしれない。小室氏と華原朋美も、仕事とプライベートでパートナー関係を築いていたが、別離をきっかけに小室氏が曲の提供をやめてしまい、華原は大きな傷を負った。それが芸能界では当たり前のことなのか、私にはわからないが、松浦氏は小室氏のように薄情ではなかったようで、関係が終わっても浜崎を冷遇することはなかった。むしろ、別離はある意味、浜崎の魅力の一つである「歌詞」のネタとして、うまく昇華されたのかもしれない。
誰しも「若い頃はよかった」と思うことはあって、変に魔が差して、若い頃の恋人に連絡を取ってしまった経験を持つ人もいるだろう。しかし、この2人の場合、なにせケタ違いの成功を収め、それに伴う恋愛の高揚を知っていそうなだけに、感覚が90年代で止まっていたとしても無理からぬことなのではないか。
そんな2人は現在、松浦氏が57歳、浜崎が43歳。松浦氏は年齢的にこのままでいくのだろうが、浜崎は自分が若かった90年代の感覚を脱する機会はあるように思う。
孔子の「論語」に「四十にして惑わず」という言葉があることから、40代は不惑と呼ばれる。「論語」の生まれた時代と今とでは、社会のあり方も平均寿命もまったく違うので、単純に比べることはできないが、私に言わせると、現代の40代は「惑う時期」というか、「魔の時」に当たる。
40代というのは不思議な年齢で、若くはないが、本格的に老いているともいえない、中途半端な年代だと思う。浜崎といえば、自己プロデュース力に定評があるものの、さすがに40代を迎えて、若かった頃の90年代のノリを続けていくべきか、それとも新しさを出していくかは、迷いどころなのかもしれない。
古くからのファンは、全盛期の感覚を保つ彼女を応援しているのだろうか。しかし、彼女の全盛期を知る身として一つ言わせてもらうなら、もし浜崎が「若い」と「新しい」をイコールと考えているのであれば、それは違うということ。40代のシックな浜崎もまた「新しい」わけで、そんな彼女を見たいのは、私だけではないように思う。