NHKで現在放送中のドラマ『一橋桐子の犯罪日記』。松坂慶子演じる主人公・一橋桐子が、刑務所に入ることを目標とした“ムショ活”に励む姿を描く作品だ。
桐子は年金とパートの収入で生活しているものの、暮らしはラクではなく、そんな中で親友の知子(由紀さおり)が他界。心の支えを失って、自分はこのまま孤独死していしまうのではないか――とふさぎ込んでいたところ、テレビで流れた「刑務所に入りたくてやった」という逮捕者の言葉に心が反応してしまう。
刑務所では季節を感じる食事が1日3回提供され、軽作業で報酬も支払われ、体が弱れば介護もしてもらえるという。桐子は終の棲家として“刑務所”を選び、人にできるだけ迷惑をかけずに逮捕される方法を模索していくのだが……。
一方、実際の刑務所は「すでに老人ホーム化している」というのはサイゾーウーマンで「知られざる女子刑務所ライフ」を連載する中野瑠美さん。桐子と同じように行き場がなく、ムショで年を重ねていく人は多いそうで、そうした高齢者の介護をするのもまた受刑者だという。
中野さんが通算12年の刑務所生活の中で見た、高齢受刑者の姿と介護事情とは? 『一橋桐子の犯罪日記』2話の放送に合わせて、2017年に公開した記事をあらためて紹介したい。
(初出:2017年6月2日)
覚せい剤の使用や密売などで逮捕起訴され、通算12年を塀の中で過ごした後、その経験を基にさまざまな活動を続ける中野瑠美さんが、女子刑務所の実態を語る「知られざる女子刑務所ライフ」シリーズ。
行き場がなく、ムショで年を重ねていく人は多い
最近は「障害」ではなく「障碍」と書く傾向もあるのだと、初めて知った瑠美です。
私には、かわいいかわいい息子たちがいてますが、最近はホンマ子どもが減りましたね。私は子どもがたくさんいて、お年寄りが元気に長生きできる社会がいいと思うのですが、これからどうなっちゃうんですかねえ。
もちろん、ムショの少子高齢化も例外ではありません。若い刑務官が不足する一方で、お年寄りの収容者はどんどん増えていて、ムショはすでに老人ホーム化しているのです。
ちょっと前ですが、生活保護をもらえなくて、下関駅に火をつけて有罪判決を受けたおじいさんが84歳で出所されました。なんと放火の前科が10件だそうです。知的障碍があって、「行くところがなくて火をつける→ムショ」の繰り返しで、人生の半分以上を獄中で過ごされたとか。今は牧師さんが面倒を見ておられるそうで、よかったですね。
このおじいさんの例は極端としても、行き場がなくてムショに入って年を重ねていく人は多いです。障碍があって働けないとなると、もう懲役しかないというのもあります。
私が務めた和歌山や岩国の刑務所では、体が不自由な方も一緒に作業していました。こういう人たちは障碍が軽めなんでしょうが、夜は独居房でしたね。起床時の布団上げから洗濯や掃除、食器洗いなどはスピードが勝負の「戦場」モードですから、障碍があると「足手まとい」とされて、イジメに遭ってしまうからです。
「懲役」とは、「所定の作業」を行わせる刑罰で、皆さんのイメージは工場でいろんなもの(刑務作業品ですね)を作ったりする感じかと思いますが、ほかにも施設内の清掃、受刑者や刑務官の食事の用意、差し入れされてくる図書の整理なんかも「作業」となります。
そして、障碍者や高齢の受刑者の介護というのもあります。これは誰にでもできるわけではなくて、受刑者の作業としては格上なんですよ。ホリエモンこと堀江貴文さんや鈴木宗男さんもムショでは介護をしたはったそうです。元国会議員の山本譲司さんが書かれた本『獄窓記』(新潮社)には、刑務所内での介護の体験をシモの世話のことまで生々しく描かれていると編集者さんから聞きました。
刑務所でバブルの女帝”尾上縫さんを介護した思い出
そして、もちろん私も担当しましたよ、介護(ちょっと自慢)。若い人はご存じないでしょうが、大阪・ミナミにあった料亭「恵川」のおかみさんだった尾上縫(おのうえ・ぬい)さんの介護を長く担当していました。
80年代不動産バブルも今は昔となりましたが、当時の尾上さんは料亭や雀荘の経営の傍ら株で稼ぎ、「北浜の天才相場師」と言われてました。占いで株の値動きを予想して、「NTT株が上がるぞよー!」というとホンマに上がったとかで、銀行関係者など「信者」もたくさんおられたそうです。
もちろんバブル崩壊で大損されるわけですが、銀行を騙したとして、まさかの「巨額詐欺事件」に発展します。銀行からの借り入れは約2兆8000億円だったそうですが、フツー料亭のおかみさんに、そんなに貸しますかねえ。縫さんもよくはないけど、やっぱり銀行が悪いと思いますよ。
ネット情報によりますと、獄中で破産手続きをされた時は、負債総額4300億円で、個人としては史上最高額だそうです。そして、「懲役12年」の判決が確定したのは21世紀になってからで、2003年4月でした。いかんせん被害額がハンパないので、調べることもようけあったからでしょうが、1930年生まれですから、当時もう73歳ですよ。
そこから12年て、ため息が出ますよね。私がお世話をさせていただいた頃は、もうお一人では何もできない状態でした。ずっと一緒だったこともあり、私は縫さんが好きでしたね。「養女においで」とも言われました。
縫さんは、元気な時には毎晩拝んでおられました。そして、私の肩をたたいて「ミーサンが降りてきはったで。ちゃんと守ってもらうように言うたから、安心しいや」と言ってくれました。ミーサンとは「巳さん」で、蛇の神様ですね。「三輪そうめん」で有名な奈良の大神(おおみわ)神社などにおまつりされています。関西ではメジャーだと思うんですが、ご存じでしょうか。
初犯ですから仮釈放もあったようで、ひっそりと出所されて14年頃に亡くならはったそうです。思い出して、また会いたくなりました。合掌。