4人組バンド・男闘呼組が10月15、16日に、復活ライブ『男闘呼組1988』を東京・有明の東京ガーデンシアターで開催。1988年にジャニーズ事務所からデビューし、93年6月末をもって活動休止していた彼らが29年ぶりに活動を再開したとあって、メンバーもファンも大盛り上がりだったようだ。一方で、業界関係者の間では「光GENJIのほうが何度も“再集結”しかかっていたのに……」と残念がる声が上がっているという。
「男闘呼組は成田昭次、高橋和也、岡本健一、前田耕陽の4人で構成され、88年にシングル『DAYBREAK』でデビュー。この曲で、同年の『第30回日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞するなど、人気も勢いもありましたが、93年6月末に高橋が事務所を解雇されたことに伴い、バンド自体も活動休止に。その後、成田や前田も退所し、現在は岡本のみがジャニーズとエージェント契約を結んでいる状態です」(芸能ライター)
一時期は、“消えたジャニーズ”と言われた男闘呼組だが、今年7月、サプライズ出演したTBS系音楽特番『音楽の日2022』で29年ぶりに活動を再開すると発表。記念すべき復活ライブ『男闘呼組1988』が今月15、16日に開催され、12月に追加で3カ所10公演行われることも決定した。
「すでにジャニーズを離れたメンバーと、エージェント契約とはいえ現在もジャニーズに属しているメンバーが混在する男闘呼組の再結成は、業界内に衝撃を与えました。『音楽の日』という大型特番での発表や、ツアー開催の段取りの良さ、各メディアの盛んな報道などから、ジャニーズ公認なのは明らか。『男闘呼組1988』にも、木村拓哉や生田斗真らが来場し、中居正広、KinKi Kids・堂本剛からは花が贈られるなど、ジャニーズ関係者も再結成をお祝いしていました」(同)
なお、男闘呼組より1年早い87年にジャニーズからデビューし、95年に解散した光GENJIの元メンバー・佐藤アツヒロ(当時は「佐藤敦啓」名義で活動)も来場していたというが……。
「光GENJIは、3枚目のシングル『パラダイス銀河』で、88年の『日本レコード大賞』を受賞するばかりか、同年のオリコン年間シングル売り上げ第1位~3位を独占するなど、社会現象を巻き起こすほど人気を誇ったアイドルグループ。佐藤(敦啓)のほか、内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃というメンバーで活動していましたが、94年に大沢と佐藤(寛之)が脱退し、事務所から退所。残された5人は光GENJI SUPER 5として活動を継続していたものの、95年9月開催のライブをもって解散に至りました」(テレビ局関係者)
その後、諸星や山本も退所し、赤坂は覚醒剤所持による逮捕を受け解雇。現在もジャニーズに所属しているのは内海と佐藤(アツヒロ)のみだ。
そんな光GENJIだが、これまで何度も元メンバー同士で“再集結”を匂わせる動きを見せていた。
「例えば、2014年6月、大沢が初監督を務める映画『鷲と鷹』に、大沢と諸星がダブル主演して、解散から20年ぶりの再会を果たしたほか、16年11月には『クイズ☆スター名鑑』(TBS系)で大沢、諸星、山本、佐藤(寛之)が共演して“ローラースケート対決”を行い、往年のファンを歓喜させました。また今年8月には、諸星と赤坂が都内ライブハウスでイベント『HIKARU現実(光GENJI II)~夏の途中のハーモニー~』を開催。本人たちはこれを『光GENJI35周年イベント』と言っていたんですが、メディアに取り上げられることもなく、世間的には話題になりませんでした」(同)
12月には、同じく諸星と赤坂が、共同イベント『HIKARU 現実(光GENJI II)~イブの夜のハーモニー~』の開催を予定するなど、再集結に向けた動きが見られるが、「男闘呼組のような大々的な再始動への期待感は、業界内で薄れてきている」(同)そうだ。
「今回、男闘呼組が本格的に再始動できたのは、ジャニーズの副社長、会長を歴任したメリー喜多川氏の死去が関係していると思われます。メリー氏が健在だった場合、すでにジャニーズを離れたメンバーを含めての復活は許されなかったでしょうが、『今はもう文句を言う人がいない』というのが業界の認識。長年沈黙を守り、タイミングを見計らって、ジャニーズの公認まで取り付けた男闘呼組は賢かったといえます。一方の光GENJIは、以前からメリー氏から叱られない範囲でちょこちょこと再集結の動きはあったものの、復活に向けた戦略が一切見えてこないんです」(同)
今夏、男闘呼組の復活が発表された直後、『5時に夢中!』(TOKYO MX)に出演した諸星が「もちろん(光GENJIも再結成して)やりたいですよ、僕はね」などとコメントしていたが、果たしてその願いがかなう日は来るのだろうか。