• 日. 12月 22nd, 2024

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Netflix『ナルコの神』麻薬王逮捕の瞬間は、ドラマよりも劇的? 実際の事件と異なる点とは

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。そんな作品をさらに楽しむために、意外と知らない韓国近現代史を、映画研究者・崔盛旭氏が解説する。

ファン・ジョンミン、ハ・ジョンウら出演 Netflix『ナルコの神』

 「スリナム共和国」という国をご存じだろうか? 南米北部、ブラジルに接する人口58万人(2020年現在)の小さな国である。かつてオランダ領だったスリナムは、連合軍の一員として朝鮮戦争に参戦した歴史があり、オランダから完全独立を果たした後の1975年に韓国と国交も結んだ。しかし、実際の交流はほとんどなく、韓国政府は93年にスリナムから大使館を撤収、現在は駐ベネズエラ韓国大使館が兼務をしている。

 私を含め、ほとんどの韓国人が存在すら知らなかっただろうスリナムだが、2009年、突如として韓国メディアを騒がせることとなった。「スリナムの麻薬王、チョ・ボンヘン逮捕」という見出しが新聞各紙を飾ったのだ。

 スリナムを拠点にした麻薬密売の巨大組織を率いるボスが韓国人であったという事実は、韓国社会に大きな衝撃を与えた。麻薬をめぐるマフィアの攻防や、警察組織の麻薬取締官などは、映画やドラマですっかりおなじみになった感じはある。とはいえ、まさか同じ韓国人が地球の裏側の南米で、国際的な麻薬王として君臨していたとは想像しなかった。

 しかも、麻薬密売が国家の経済を支えているというスリナムで、ボンヘンは大統領や警察、軍隊からも庇護を受けていたというから驚きである。こうして韓国では、スリナムへの関心が一気に高まったわけだが、事件の詳細は当時詳しく報道されず、ボンヘンについても多くの謎が残ることとなった。そして時の流れとともに、事件のことも人々の記憶から遠ざかってしまった。

 ところが、事件から10年以上がたった今年、またしても「スリナム」「チョ・ボンヘン」の固有名詞が世間の大きな注目を集める事態となった。この事件を基にしたNetflixのオリジナルドラマ『ナルコの神』(ユン・ジョンビン監督)が、国内外で非常に多くの視聴数を獲得し、ヒットを記録したのだ。

 アクションやバイオレンス要素が盛り込まれ、手に汗握るスリリングな展開や、豪華な俳優陣、グローバルな物語展開と、作品としてのクオリティが高いことはもちろんだが、このドラマチックな物語が実在の人物や事件に基づいていることに、韓国人たちはあらためて驚き、同作も注目を集めた。もちろん、ドラマ化の過程でフィクションも相当加えられてはいるものの、実際には、ドラマを超える迫真のエピソードもあったようだ。

 そこで今回のコラムでは『ナルコの神』を取り上げ、実際の事件とドラマを照らし合わせつつ、「麻薬王」と呼ばれたボンヘンと、逮捕の功労者となった人物を中心に紹介していきたい。

※以下、ネタバレを含みます。

Netflix『ナルコの神』あらすじ

 全6話から成る本作は、エイの輸出事業で儲けようと韓国からスリナムにやってきたカン・イング(ハ・ジョンウ)が、スリナムで牧師と偽りながら麻薬密売を牛耳るチョン・ヨハン(ファン・ジョンミン)に商売を潰されたところから展開する。カン・イングはその恨みを晴らすため、チョン・ヨハンの逮捕を狙う韓国国家情報院(NIS、かつてのKCIA)に協力して作戦を遂行するという物語だ。

 そこにNISの潜入捜査官や凶悪な中国ギャング団、アメリカの麻薬取締局(DEA)などが絡み合い、それぞれの思惑がぶつかり合って、すさまじい速さで息もつかせぬドラマが繰り広げられる。

 ファン・ジョンミンやハ・ジョンウ、パク・ヘス、チョ・ウジら、今の韓国を代表する俳優たちのみならず、台湾出身でアジアを股にかけて活躍するチャン・チェンまで加勢した、超豪華で個性豊かな面々が発するエネルギーに圧倒される作品でもある。

Netflix『ナルコの神』スリナム政府から猛抗議に遭う

 ちなみに本作制作のきっかけは、ハ・ジョンウが事件を報じた記事を偶然目にし、映画化したら面白いのではないかと長年の親友・ユン監督に相談したことに端を発するという。ちょうど前作『工作 黒金星と呼ばれた男』(2019)を撮影中だったユン監督は、その後、Netflixでの『ナルコの神』ドラマ化が決まると、『工作』に主演したファン・ジョンミンにも声をかけて、この豪華タッグが実現したそうだ。

 ところが、韓国語の原題を『スリナム』と名付け、実在の国を舞台に大統領と麻薬王の癒着をちゅうちょなく描いたこの作品は、製作段階からスリナム政府に猛抗議されていたという。大統領が薬物犯罪で服役していたことが事実とはいえ、自国が麻薬密売の巣窟のように描かれていれば、抗議もやむを得ないというものだろう。

 そのため、韓国外務省がわざわざ仲裁に入り、韓国以外の国では『スリナム』のタイトルを使わず、「麻薬=ナルコ」と「聖職者=神」を合わせた『Narco-Saints』(ナルコの神)を提案したという裏話もある。

 では、実際に起こった事件とはどのようなものだったのだろうか? まず、ファン・ジョンミン演じる麻薬王の牧師、チョン・ヨハンのモデルとなったチョ・ボンヘンの人物像から見ていこう。

 ボンヘンは1980年代、遠洋漁船で冷凍技師として働いていたときに、初めてスリナムに足を踏み入れた。たびたび立ち寄っているうちに、現地の事情に精通していき、その後、仕事を辞めて韓国に戻った。そして94年、新築住宅の建築費用を横領する詐欺で指名手配されるとスリナムに高飛び。翌年にはスリナムの国籍を取得し、魚の加工事業を始めた。

 ドラマでは、カン・イングと友人が強烈な臭みのあるエイをタダ同然で仕入れて韓国に輸出する商売をしていたが、これは実際には、ボンヘンの仕事だったことになる。

 しかし、この商売はうまくいかなかった。そこでボンヘンは、次第に麻薬密売に手を染め、当時、南米最大とされたコロンビアの麻薬犯罪組織「カリ・カルテル」と手を結ぶに至る。なお、ドラマでのチョン・ヨハンは表の顔を「牧師」と偽り、さらに強烈な悪役に作られているが、実際は、ボンヘンが牧師を名乗ることはなかった。

 一方、ドラマ内で麻薬王とNIS、さらには中国ギャングの間で立ち回り、超人的なヒーローぶりを発揮するハ・ジョンウ演じるカン・イングのモデルとなった人物は、ドラマ製作後、顔や名前の非公開を条件に、「K」というイニシャルで韓国メディアのインタビューに応じている。

 それによれば、Kは貧困家庭で育ち、アルバイトをしながら弟と妹の面倒を見ていたという。さらに、知り合いの女性に片っ端から電話をして求婚、車の整備士として働いた後、友人に誘われてスリナムに出稼ぎに行ったと明かしていた。この経歴は、まさにカン・イングそのものである。

 スリナムで船舶用の溶接棒販売に携わっていたKは、その過程でボンヘンと知り合う。劇中でカン・イングがチョン牧師に助けられたように、Kも販売の際に、ボンヘンに手助けしてもらったそうだ。しかし、代金がほとんど回収されないことを不思議に思って小売業者に確認したところ、ボンヘンに横取りされていたことを知ったという。

 これをきっかけに、Kの友人は韓国に帰ったものの(劇中では殺害される)、泣き寝入りはしないと誓ったKは、藁にもすがる思いで駐ベネズエラ韓国大使館に助けを求めた。これが「麻薬王チョ・ボンヘン逮捕作戦」につながっていく。

 NISは2007年、ボンヘンがスリナムから韓国への麻薬密売ルートを模索しているとの情報を入手し、逮捕に乗り出す。しかし、大使館もなく犯罪人引渡し条約も結んでいないスリナムに伝手を見つけられずにいた。ちょうどそこへKからベネズエラ大使館に連絡があり、NISはすかさずKに接触。ボンヘンの逮捕協力を持ちかけ、Kもその提案を受け入れた。

 逮捕作戦の内容は、韓国に麻薬密売ルートを持っているという架空の人物(在米韓国人)を作り上げ、Kを通してボンヘンに紹介。取引を理由に、韓国と犯罪人引渡し条約を結んでいる隣接国にボンヘンをおびき寄せて逮捕するという、まさにドラマそのものであった。

 劇中でカン・イングは何度も窮地に立たされ、チョン・ヨハンに身分がバレるのではないかと視聴者をハラハラさせるが、Kも作戦遂行中に命の危機にさらされたことがあったという。KがNISと電話しているところを、ボンヘンの韓国人部下が見つけ、あやうく殺されそうになったのだ。

 Kはなんとか機知を発揮し、NISに電話をするふりをして逆にボンヘンからの信頼を試したと主張して、危機を回避。その後、韓国人部下が解雇されたという事実からは、Kがいかにボンヘンの信頼を得ていたかがわかるだろう。

 さらに、ボンヘン逮捕の瞬間は、もしかしたらドラマよりもドラマチックといえるかもしれない。警戒心の強いボンヘンは、決してスリナムから出ようとしなかったため、最終手段としてKは「取引の中断と韓国ルートの放棄」を持ち出し、彼に決断を迫った。

 すでに1.2トンもの麻薬を準備していたボンヘンにとって、莫大な金銭的損失と麻薬を提供してもらったカリ・カルテルの存在は恐怖以外の何物でもなく、結局スリナムの外、ブラジルでの取引に応じるしかなかった。

 取引の場所は、サンパウロのグアルーリョス国際空港。ドラマとは異なりKは空港でボンヘンを待ち、NISやDEAたちがその場をぐるりと囲んでいた。ところが約束の時間を2時間過ぎてもボンヘンは現れず、作戦は失敗。解散が命じられたものの、Kが時間稼ぎをしていたところ、ついにボンヘンが到着する。彼が空港に姿を現した瞬間を狙って待ち伏せていたNISとDEAが急襲をかけ、逮捕に至った。

 ドラマでは、チョン・ヨハン自身は動かず、麻薬がプエルトリコに到着したことを確認してDEAが発動し、最後にはカーチェイスや銃撃戦が繰り広げられ、カン・イングが執念の活躍を見せるフィクションならではの展開だが、実際のクライマックスも、相当劇的だったに違いない。

 以上が『ナルコの神』の基になった事件と人物の全貌である。逮捕されたボンヘンは韓国に送られ、09年に懲役10年の実刑を言い渡された。ドラマを見ると10年は短いような気もするが、実際には殺人や殺人教唆を犯してはおらず、麻薬密売のみだったという。

 ではその後、ボンヘンはどうなっただろうか? ドラマをきっかけに彼のその後にも注目が集まり、さまざまなうわさが広まった。韓国の刑務所で収監中に病死したとの報道もあれば、刑期を終えて出所後、姿をくらましたとの記事もあり、スリナムで彼を見かけたという目撃情報もあったらしい。少なくとも、麻薬王に舞い戻ったわけではなさそうだが、こうした不確かさもまた、作品の魅力を高めているといえるだろう。

 韓国人たちが南米を舞台に激しい攻防を繰り広げるこのドラマは、もちろん特殊な例に違いない。とはいえ、スリナムには実際、小さいながらも韓国人コミュニティが存在する。

 世界一の人口を誇る中国人のコミュニティが世界中に散らばっていることは特に不思議ではないが、日本の人口の半分にも満たない東アジアの小国である韓国(あるいは朝鮮半島)の人間が、なぜ南米の片隅にまでコミュニティを広げているのだろうか? 

 ドラマの文脈とは離れるが、ここにも「コリアン・ディアスポラ」のキーワードが見え隠れするのは決して偶然ではない。

 「ディアスポラ(Diaspora)」とは「離散」を意味し、なんらかの形で祖国を離れ、新しい土地に定着して生きる人々を総称する言葉だ。朝鮮戦争後、韓国側の捕虜になった北朝鮮人民軍の中には、韓国ではなく第三国を選んで移住していった者も少なくなかった。そしてその第三国として、ブラジルやアルゼンチンをはじめとする南米の地も選択肢となり、約60人の「反共捕虜」たちが南米に住み着いた。

 同コラムではこれまで、在日や朝鮮族、脱北者を中心にコリアン・ディアスポラのさまざまな在り方を紹介してきたが、まだまだ見つめ直さなければならないコリアン・ディアスポラも数多く存在している。生まれ育った場所を離れなければならない、という朝鮮半島の歴史の傷みを、韓国の映画やドラマはこれからもさまざまな形で描き続けていくだろう。

 さて、2019年より56回にわたって連載してきたコラム「映画で学ぶ、韓国近現代史」は今回で終了します。これまでお付き合いいただきありがとうございました。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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