こんにちは、保安員の澄江です。
先月は珍しく出張することになり、中部地方の現場に入って仕事をしてきました。棚卸の結果、大量の商品ロスが発覚したそうで、東京本社の防犯担当マネージャーからご指名いただいたのです。
当日の現場は、大型ショッピングモールE。勤務シフトは、午後2時から閉店時刻である午後10時まで。この日から3日間の予定で巡回に勤しみます。新幹線からローカル線を乗り継いで現場に向かい、巨大モールの外周を歩いて見つけた従業員通用口で入店手続きを済ませ、総合事務所に入ると、ロス担当のマネージャーが分厚いファイルを手に出迎えてくれました。
「遠いところ、ご苦労様です。こっちのほうは、夜間の保安をやってくれる警備会社がなくて、東京から呼んでもらえないかと、ずっと本社にお願いしていたんですよ。ようやく予算がついて念願がかないました。今回は、よろしくお願いいたします」
「そうだったんですか。そんな話を聞いてしまったら、いつも以上に頑張らないといけないですね。それで、最近の被害は、どんな感じですか?」
「夕方からは、2階の売場を中心に巡回してください。人手が足りなくて、どうしても手薄になっているから、かなりやられていると思うんです。この店は顔認証システムも入れているんだけど、なかなかうまくいかなくて」
話を聞けば、午後7時以降は売場従業員の数が少なく、店内の状況を確認してもらいたいそうです。フロアマップで2階にある売場の取扱品目を確認すると、衣料品や服飾雑貨、コスメドラッグなど、万引き犯に好まれる商品ばかりを中心に扱っていました。
出入口も多く抜けやすいため、人目がなければ、やりたい放題の状況になるだろうと容易に想像がつく状況といえるでしょう。すると、手にあるファイルを開いたマネージャーは、それを私に差し出して言いました。
「犯行が確認された人の写真をまとめたファイルです。車のナンバーと合わせて顔認証登録もしてあるので、覚える必要はないですけど、参考までに目を通しておいてください」
その場でパラパラとページをめくってみると、出入口やエスカレーター付近で撮影された不審者の写真がまとめられていて、乗ってきた車を紐づけされている人もいました。
ざっと見たところ100人近くの写真がつづられており、余白部分には来店日時や被害品などの情報が詳細に付記され、被害に悩むマネージャーの苦しみが表現されているようにも感じられます。古い情報を取り入れても仕方ないので、直近の写真を中心に眺めてファイルを返すと、それと引き換えに顔認証システムの受信機を渡されました。
「発報したら、必ず(その人を)追ってください。絶対に、(万引きを)やりますから」
夕方までの間に、顔認証の発報とは関係なく、いくつかの食品を盗んだ高齢女性を捕らえましたが、微罪処分となり警察署に行くことなく処理を終えることができました。
そうこうしているうちに業務は後半を迎え、指示通りに人気のなくなった2階の婦人服売場に潜んで警戒していると、業務終盤になって突然に顔認証システムの受信機が発報します。端末画面を確認すれば、大きめのトートバッグを肩にかけた女性の写真が、検知位置情報と共に表示されていました。付記された情報を見ると、化粧品狙いで登録されている人なので、きっと2階に上がってくるはずです。
婦人服売場からコスメドラッグのコーナーを見渡せる位置に移動して、自分の読みを信じつつ彼女の登場を待ち受けると、まもなくしてサーファーのように日焼けした40歳くらいの女性が姿を見せました。
女優の田中律子さんから、可愛らしさを取り除いたような雰囲気の女性で、その顔つきを見ればヤル気満々といった様相です。迷うことなく化粧品売場に直行したので、その動向を注視するべく後を追うと、乳液や化粧水、付け爪といった商品を手に取ってはトートバッグに隠していきます。
(これは、常習だわ)
女を注視すること、およそ3分。明らかに重量感の増したトートバッグを肩にかけ、いわば堂々とエスカレーターに乗り込んだ女が、そそくさと1階の出入口から外に出たところで声をかけました。
「こんばんは、お店の……」
声をかけると、すぐに振り返った女は、肩にかけたトートバッグを私に投げつけて逃走しました。地面に落ちたトートバッグを拾い、必死に走って女を追いかけると、駐車場にあるブルーの軽自動車に乗り込もうとしています。
閉まりかけのドアに体を挟んで、発進できないようにしたつもりでしたが、ひどく殺気立っている様子に見える女は、イグニッションにキーを差し込んで逃走継続の構えをみせました。このまま発進されたら、自分が危ない。窮地を脱するべく、女の右手を咄嗟に掴んだ私は、キーを持つ手を力いっぱいに握って怒鳴ります。
「あんた、このまま逃げても、すぐに捕まるわよ! 車のナンバーも、わかっているんだからね!」
すると、怒りと悲しみを合わせたような目で私を睨みつけた女は、どこか不貞腐れた様子で車から降りてきました。女が車の扉を閉めて、施錠したところで腰元をつかみ、努めて冷静に話しかけます。
「わかってくれてよかった。精算してもらえば、きっと大丈夫だから、もう逃げないでね」
「フン、どうせ警察呼ぶくせに……」
「あら? 前にも同じようなことの経験をお持ちなんですか?」
「…………」
今回の被害は、計14点、合計で9万円ほど。盗んだものは、高額な美白美容液が中心で、思いのほか高額な被害となりました。買取の可否を尋ねると、お金はないと言い切り、財布を出そうともしません。理由はわかりませんが、身分証などの提示も拒否して、名前すら教えてくれない状況です。より不貞腐れた態度で、面前に並ぶ被害品を睨む女に、報告を受けて駆け付けたマネージャーが開口一番に言いました。
「警察を呼んだので、そのまま待っていてください」
「ああ、終わった。あたしの人生、もう終わりだ」
自棄になった様子で、天を仰いで嘆く女に、そっと声をかけます。
「大丈夫。そう簡単に終わらないですよ」
「あんたに、あたしの何がわかるのよ」
「あなたのことはわかりませんけど、これを最後にすれば、きっと大丈夫だと思います」
「……あんた、何様? 余計なお世話よ」
駆けつけた女性警察官による所持品検査で運転免許証が見つかり、それを基に犯歴照会をかけると、多数の前科と合わせて執行猶予中であることが判明しました。その場で逮捕された女は、まもなく警察署に連行され、逮捕者である私も別のパトカーで警察署に向かいます。昭和感の漂う古い警察署に到着して、30歳くらいに見える体格のいい女性刑事の案内で刑事課の取調室に入ると、すぐに身分証明書の提示を求められました。
「わざわざ東京から、このためだけに来られたのですか?」
「ええ。今日から3日間、あの店に入ります」
「初日から、お手柄ですね。あの被疑者、ほかの店からも被害届が出ていて、ちょうど捜査を進めていたところで……」
どうやら他店でも複数の被害が確認されているそうで、逮捕状を請求するべく、防犯カメラ映像などで女の捜査を進めていたそうです。本人は黙秘しているものの、おそらくは転売目的だろうと推察した女性刑事は、スマホやパソコンの解析を中心に捜査すると話していました。
「あの人、次の帰宅は、いつ頃になるのかしら」
「余罪にもよるけど、合わせても2年くらいじゃないかな。まだ30代で働き盛りなのに、もったいない話ですよね」
すべての逮捕手続きを終えたのは、午前0時。図らずも女の刑務所行きを確定させてしまい、自分の仕事が持つ破壊力をあらためて実感した私は、人生の終わりについて考えながらホテルに入りました。楽しみにしていた大浴場は終了しており、その厳しさを思い知った次第です。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)
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