“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
バンドマンとダンサーだった老夫婦
デイサービスで出会った2人は、どこにでもいるような老夫婦だった。持田智宏さん(仮名・92)は少し認知症があるが、“昭和の男”を彷彿とさせる雰囲気だ。そんな智宏さんに寄り添うように座るのが妻の保子さん(仮名・89)。杖をついてはいるものの均整の取れたスタイルで、若い頃はさぞ美人だっただろうと思わせる。
「ステキな奥さんですね」と智宏さんに声をかけたが、智宏さんは特段喜ぶこともなく、こう言った。
「背が低いからね。ステージでは映えなかったんだ」
ステージ? その意味を教えてほしくて保子さんに目を向けると、「浅草の劇場でダンサーをしていたの」と、誇らしそうに答えた。
ああ、だから姿勢がいいのか。確かに小柄ではあるが、背筋がビシッと伸びている。往年の保子さんの姿が見える気がした。
「ステキですね。智宏さんとはどこで知り合ったんですか」
保子さんに聞くと、表情がパッと華やいだ。
「彼は舞台のバンドマンだったの。ピアノを弾いていたのよ」
なるほど、ちょっと不良のバンドマンと、かわいい踊り子が出会ったわけだ。智宏さんは90歳を過ぎた今も体格が良くて、若い頃はさぞモテただろう。戦後、ピアノを弾く男なんてそういなかっただろうから。
「こいつは舞台映えしないから」。謙遜なのか、照れ隠しなのか、智宏さんは繰り返す。昭和のバンドマンは、こんな感じだったのかもしれない。
「ピアノを弾いてもらいましょう」スタッフが誘いかけると……
そんなやりとりを聞いていたデイサービスのスタッフが、フロアの片隅にあったキーボードを持ってきた。
「私たちも持田さんご夫婦が芸術関係の仕事をしていらっしゃったとは聞いていたんですが、そんなに大きな劇場だとは思いませんでした。せっかく皆さんがお集まりになっているので、レクレーションとして智宏さんにピアノを弾いてもらいましょう」と誘いかけてくれた。
スタッフに導かれて、智宏さんはキーボードに向かった。保子さんはうれしそうに智宏さんの後を追い、智宏さんの横に腰かけて、足を組んだ。その姿がまた美しくて、思わず見とれた。
智宏さんは、指をそっと鍵盤にのばす。
「年だから、もう指が動かないんだよ」
そう言いながらも、私たちに気を使ってくれているのか、片手でゆっくり曲を奏でてくれた。
「昔取った杵柄」「認知症になっても昔のことは忘れない」――というのは、悲しいかな例外もあるようだ。智宏さんの指はぎこちなく、何度も間違えては同じところを繰り返す。
「指が動かないんだよ。昔はお客さんのリクエストに合わせて、即興でも弾けたんだがね」
気を利かせたつもりで、キーボードを出してくれたスタッフも気まずい雰囲気だ。集まっていた利用者たちはおしゃべりに夢中になっている。
申し訳なかったな、と居心地の悪い思いをしていたその時、保子さんの指がトトトトン……とリズムを取っているのが見えた。私たちには、智宏さんが何の曲を弾こうとしているのかさえ、さっぱりわからなかったが、保子さんはハミングまでしている。満足そうに、智宏さんを見つめる保子さんは、智宏さんに恋していた頃に戻っていたようだ。
組んだ足は、今にも踊り出しそう。しかし、保子さんは膝が悪くて、杖なしでは歩けない。もちろん、もう二度と踊れることはない。
つたないながらもピアノを弾く老バンドマンと、傍でリズムを取る老ダンサー。デイサービスのキーボード前が、2人の舞台だった。華やかだった時代の輝きが2人を包んでいるように見えた。
……と、ここで美しく終わらせてくれないのが「ヨロヨロ・ドタリ」期だ。
実はこの2人、経済的事情でデイサービスの回数を減らさざるを得なかったのだという。バンドマンとダンサー。不安定な雇用形態で、蓄えができなかったのだろうか……。厳しい現実を突きつけられて、デイサービスを後にしたのだった。