「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回から引き続き、昭和天皇崩御の前後について雑誌記事中心に振り返ります。
――昭和天皇崩御当時の記事を振り返っていくと、マスコミの姿勢が今では考えられないほど宮内庁に“攻撃的”だったように思えます。その背景には、当時「がん」に関する情報や知識が一般的に乏しかったこともあるのでは、と思われました。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 昭和天皇は危篤に陥られたとき、御年87でいらっしゃいました。これは昭和60年の記録ですが、当時の日本人の平均寿命は「74.95」歳にすぎません。平均寿命は戦後、じわじわと伸び始めていましたが、その平均寿命を13歳以上も上回る、87歳という長命のご老人は珍しかったといえる気がします。
一方、平均寿命が「男性 81.47 年、女性87.57年」にまで伸びた2022年現在では、高齢者の多くが悩まされる病気として、「アルツハイマー型認知症」にならんで「がん」も挙げられています。
昭和25年頃から「がん」は、日本人の死因の上位5位に入り続けたものの、老化現象のひとつとしての「がん」がクローズアップされるようになったのは、ごく最近の長寿社会ゆえのことだと思うんですね。
ですから、この頃の雑誌記事を見ていると、昭和天皇がおそらく「末期がん」であるがゆえの「ご重態」にもかかわらず、宮内庁が「危機的状況ではない」と報道したことを矛盾だと指摘する記事が散見されます。それというのも、「たとえ末期がんであっても、病と共存できている期間は案外長く、つねにベッドに横たわっていなくてはならないわけでもない」という“真実”が、一般的には周知されていなかったからでは、と私は思うのです。
――なるほど。
堀江 「アサヒ芸能」1988年10月6日号(徳間書店)に掲載された「大報道陣をイラつかせる宮内庁の秘密体質」という記事では、陛下に「(がんに由来する)黄だんが見られた」にもかかわらず、昭和天皇が「大相撲見物を中止しなかった」ことについて、宮内庁の長官が叩かれていますね。
それを知った、宮内庁OBにして元・東宮侍従だった浜尾実さんは「仰天」し、陛下がひたすら我慢しながら、宮内庁が決めた予定をこなしたのではと考え、宮内庁のお役人を批判するという文章があります。
――浜尾氏によると、重病でも寝ていられない「陛下がお気の毒」とのことですが……。いまでは、末期がんの方がお出かけするのは珍しくないと思われます。
堀江 この時、宮内庁の「侍従長」は、相撲見物を止めなかった理由を「お上(陛下)は相撲がお好きだし、ご体調も悪くなかったから」と回答しています。これを浜尾氏は、お役人特有のお気楽さだと受け取ったのでしょうが、本当は陛下のことを想った宮内庁の決断であろうと私は感じました。
余命が宣告された、しかも高齢のがん患者さんにとっては、まだ自由に体が動くうちにお好きなことを何でもさせてあげることが一番、大事だと思うのですよね……。
堀江 もちろん、浜尾氏も昭和天皇のお体を思っての苦言だったのでしょうが、それがOBによる宮内庁批判として、雑誌に公然と掲載されてしまったことは、よろしくはなかったと私は考えます。死が近い状態に変わりなく、また重い病におかされていたとしても、周囲の助けを借りつつ、最後まで自分らしく生きることはできますから……。
――前回のお話にも出てきた、エリザベス女王の事実上の危篤宣言の中で、直訳すると「(女王は危篤ではあるけれど)快適に過ごしている」という、一見矛盾するような部分にも通じるお話かと思います。
堀江 そうですね。たしかに、エリザベス女王も昭和天皇も、最後までできる限り、ご自分らしく、そして君主としての生を立派にまっとうなさったのでは、と感じました。
――それにしても侍医から健診を定期的に受けていたはずの昭和天皇が、開腹手術になった時点で手遅れの末期がん……いくら「膵臓がん」が検査では発見されにくい病気とはいえ、意外に思ってしまいました。
堀江 「天皇だから、最高の医療に日常的に恵まれているのではないか」というわれわれの想像は幻想にすぎなかったと、さまざまな記事からわかります。
たとえば、公益社団法人「日本人間ドック学会」のウェブサイトからの情報ですが、症状がなくても、自費で全身検査が受けられる「人間ドック」については、「1954年(昭和29年)7月12日、国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター)」で開始され、「次いで聖路加国際病院など、全国の病院や施設で人間ドックが創設」とのことです。
当時、すでに人間ドックはありましたが、少なくとも昭和天皇は受けてはおられなかったようです。
――ええっ……なんだかショックですね。
堀江 これは三笠宮寛仁親王のインタビュー記事(小学館「女性セブン」88年10月20日号)でも明らかなのですが、「(天皇)陛下には侍医団」がいる。しかし、全員が内科医ばかりで、偏りがあると思われる状態でした。
そこで、「専門的な治療が必要になれば、その道の専門家がつねにいなきゃいけない」という、複数の医師からの助言をえた寛仁親王は、87年に昭和天皇が開腹手術をお受けになられた時点で、そういう医師たちの見解を踏まえ、「当時の宮内庁長官や侍従長に電話して、かなり突っ込んだ質問をした」そうです。
親王から「いまの体制でほんとうに大丈夫なのか」と聞かれた宮内庁のお役人たちは「現在の体制はゆるぎもしない体制であり、最善の策」と断言したので、寛仁親王は「黙った」……つまり、皇族としてこれ以上、求めることは不可能だと悟って、追及をおやめになったとのことです。
――侍医団は皇族のためにあるというより、お役人の意向が重視される世界ということなのでしょうか?
堀江 いや、寛仁親王は、皇族として民意を尊重せねばならないとお考えだったのでしょうし、その民意を宮内庁の決定に感じたがゆえに、追及をストップなさったということでしょうね。
――なぜ昭和の末になっても、本当は最良とはいえない医療環境に昭和天皇をはじめ、皇族がたは置かれていたのでしょうか?
堀江 天皇の身に重大な異変があってほしくないからこそ、逆に事なかれ主義になってしまう部分もあるでしょう。病気が見つからないほうがよいから、人間ドックにかからない……といったことかと思われます。このように、現在とは皇族、とりわけ天皇の身体について、まるで考え方が違うのですよ。
たとえば、1987年に昭和天皇の開腹手術を担当した森岡恭彦東大教授(当時)が、手術後、天皇陛下の診察はもちろん、面会さえしないままだった事実がさまざまな記事に書かれています。
これについては秘密主義の宮内庁にとっては、東大という「“外部”の人間から、情報が外に漏れること」を「嫌ったため」という推測がなされたり(「アサヒ芸能」1988年10月6日)、皇室ジャーナリストの河原敏明氏の見解では「『玉体(=天皇陛下の身体)にメスを入れた』うんぬんの右翼サイドからの批判」を、教授が気にしたからでは、というのもありますね。
――医療行為とはいえ、天皇の体を「傷つける」という古来からのタブーを犯した、という考えなのですね。推測はともかく、実際はなぜ、森岡教授はその後、昭和天皇を診察することがなかったのでしょうか?
堀江 記事を見た限りでは、それについての情報は見つからずじまいでした。「文藝春秋」(文藝春秋、87年12月号)に掲載された森岡教授による「執刀記」という記事も読みましたが、例の手術の「成功」後、陛下が危惧された合併症を起こすことがなかったので、これにて「苦心した外科医(=森岡教授)と医療チームの仕事は、ともかく終わった。今は陛下が末永く御健康であられるように願うのみである」と発言、自分の関与はこれで完全に終わりであるような口ぶりなのは事実です。
――成功したという手術でも、結果として昭和天皇の「がん」を完治させうる手術ではなく、「がん」の進行を食い止める程度のことしかできなかったわけですよね。「外科医」として自分にできることはもうないから、お会いできない……ということだったのでは? とも思ってしまいます。
堀江 そうですね。ですから、右翼からの報復云々という河原氏の推測は間違っていたと思います。ただ、陛下にはいくらなじみがあるとはいえ、当時の侍医団の手にまた任せてしまって、「それで良し」としてしまったのは、かなり思い切った決断だったようにも思いますね。
診察中、立ってもいられないほど健康上の問題がある高齢の侍医も、“天皇の主治医”でありつづけられたというような事例があるらしいですから。
――それはすごく問題のような……。ひょっとして、侍医に求められている条件は医師としてのスキルとは別のなにかなんでしょうか? 天皇を長年診てきたのだという侍医の持つ「伝統」が、天皇家のプライベートスペースである「奥」では重視されてしまうとか?
堀江 はい。「天皇陛下は私たちのものだ!」という侍医団が、森岡教授から陛下を取り戻そうとした結果だという見方もできるかもしれませんが、実際は、余命わずかと推測される天皇のターミナルケア(=終末期の緩和ケア)を、部外者である自分より、陛下が長年、慣れ親しんだ宮内庁の侍医たちに任せるのが最善と森岡教授もお考えになったのでは、などとも推測されます。
もちろん患者の症状について承諾もなく公表することは、医師としてできないから、例の「執刀記」などでは肝心の部分に沈黙を貫いたということですね。
――「浜尾実元東宮侍従と河原敏明(皇室ジャーナリスト)が究明する『宮内庁側近の弊害!』」(「アサヒ芸能」1988年10月13日号)という記事には、浜尾氏の見解として「むしろ、われわれ庶民のほうが病気の際には、より自由で機敏な処置を受けられる。皇族方は逆に、ご不自由であるといった逆転現象」が指摘されています。
堀江 実際、先日も宮内庁の発表で、われわれは天皇陛下が前立腺の検査を継続的にお受けになっていた事実をはじめて知ったわけですが、昭和期よりは、より適切な医療、検査を現在ではお受けになられていると願われてなりませんね……。