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『大病院占拠』櫻井翔は、演技がヘタなのか? ドラマ評論家が語る「欠点」と「持ち味」

 嵐・櫻井翔が主演を務める連続ドラマ『大病院占拠』(日本テレビ系)の第3話が、1月28日午後10時から放送される。

 『大病院占拠』は、櫻井演じる休職中の捜査官・武蔵三郎(櫻井)が、大病院「界星堂病院」を占拠した謎の武装集団「百鬼夜行」と攻防戦を繰り広げるノンストップ籠城サスペンス。

 同枠でスマッシュヒットを記録した唐沢寿明主演『ボイス 110緊急指令室』(同)の制作陣が集結した同作は、視聴者の期待値が高かったものの、実際にスタートしてみると、SNSでは櫻井の演技力への不満が爆発する事態となっている。

 緊迫したシーンが続く中、櫻井の演技が浮いて見えるのか、「笑ってしまう」「おままごとみたい」など、ツッコミが続出。中には、別の役者をキャスティングすべきだったという辛辣な意見も見られる。

 『木更津キャッツアイ』(TBS系)、『謎解きはディナーのあとで』『家族ゲーム』(ともにフジテレビ系)など、これまで、数々のヒットドラマに主演してきた櫻井。彼の演技力はプロの評論家の目にどう映るのか――今回、過去にサイゾーウーマンが配信した、ドラマ評論家・成馬零一氏の「嵐・櫻井翔『先に生まれただけの僕』で持ち味になった、役者としての『欠点』」という記事を再掲載する。
(編集部)


(初出:2017年10月30日)
嵐・櫻井翔『先に生まれただけの僕』で持ち味になった、役者としての「欠点」

 日本テレビ系で土曜午後10時から放送されている『先に生まれただけの僕』は、総合商社から高校に出向してきた35歳の青年が、校長として経営を立て直そうとする異色の学園ドラマだ。主人公の鳴海涼介を演じるのは、嵐の櫻井翔。脚本は木村拓哉が型破りの検事を演じた『HERO』(フジテレビ系)や、大河ドラマ『龍馬伝』(NHK)といった作品で知られる福田靖。

 福田の脚本は、明るい社会派とでも言うようなテイストで、少し癖のある型破りの変人キャラの主人公が周囲をかき乱しながら、問題を解決していくという物語を得意としている。本作も、商社マンが校長として学校の経営に挑むという物語を入り口に、今の学校が抱える奨学金制度やいじめの問題などを扱い、重たい題材を軽快に見せることに成功している。その意味で福田作品で一番近いのは、沢村一樹演じる医師が病院の立て直しを行う『DOCTORS~最強の名医~』(テレビ朝日系)ではないかと思う。

 しかし、普段の福田脚本にある全編を通しての喉越しの良さが、今作では感じられない。見ている時の緊張感も後味の悪さも普段とは段違いだ。理由はチーフ演出の水田伸生の演出だろう。坂元裕二・脚本の『Mother』(日本テレビ系)や『Woman』(同)を筆頭に、ハードな社会派ドラマを得意とする水田の映像は暗くて重苦しいものとなっている。

 福田のライトな脚本を、水田が重苦しく演出しているため、チグハグなところがいくつかあるのだが、それが予定調和で終わらない緊張感をドラマに与えていて、面白い相互作用を起こしているように思う。コメディ色の強い脚本家・宮藤官九郎と『ゆとりですがなにか』(同)を手掛けた時も、宮藤の軽さと水田の重々しい演出が相互作用を起こして面白いドラマとなっていたが、本作にも同じことがいえるだろう。

 とはいえ、軽さと重さという正反対の要請が脚本と演出から来るのだから、演じる役者は大変ではないかと思う。特に、櫻井翔が演じる鳴海というキャラクターはこの作風の象徴のような存在で、軽さの中に重たい内面が見え隠れする難しい役どころだ。そのため、演技のさじ加減が難しいと思うのだが、鳴海の中にある分裂した要素を見事に統合している。これは櫻井にしかできないことではないかと思う。

 俳優としての櫻井翔を初めて意識したのは2002年の『木更津キャッツアイ』(TBS系)だ。

 本作は5人の若者の青春群像劇で、櫻井が演じた「バンビ」というあだ名の青年は、1人だけ童貞で、他4人とは違って大学生でもあり、体育会系のグループの中に1人だけいる繊細で頭のいい醒めた男の子という立ち位置だった。しかし、実際に出来上がった作品では、そういうキャラ設定はあまり生きてなくて、仲間に溶け込んで一緒に盛り上がっている末っ子の弟分的な立ち位置となっていた。それはそれで、当時の櫻井の持つ初々しいかわいらしさが出てきて魅力的だったので結果オーライだったが、バンビを演じるには、当時の櫻井には演技力が足りなかったのだろうと今は思う。

 それは09年の『ザ・クイズ・ショウ』(日本テレビ系)にも同様のことがいえる。この作品で櫻井は、軽薄なトーンで人の心の闇をえぐっていく冷酷なクイズ司会者を演じた。ニュース番組の司会をやるような知性派の櫻井に、露悪的なトリックスターを演じさせたいという作り手の意図はわかるのだが、与えられた役柄の奥にある「凄み」を、櫻井が演じきれているとは思わなかった。

 櫻井の演技は基本的に軽くて平坦だ。その軽さは、例えば映画『YATTERMAN~ヤッターマン~』の主人公・ヤッターマン1号やドラマ『謎解きはディナーのあとで』(フジテレビ系)の皮肉を言う執事のような、記号的なキャラクターを演じる際にはすさまじいポテンシャルを発揮する。

 しかし、軽い振る舞いの中に複雑な内面を抱えた人間を演じるとなると、裏側にある奥行きをうまく出せず、単純に軽くて薄っぺらい人間に見えてしまう、ということが初期の作品では続いていた。

 そんな中、大きな転機となったのは13年の『家族ゲーム』(日本テレビ系)だろう。本作で櫻井は何を考えているのかわからない不気味な家庭教師を演じ、この役には今までとは違う説得力があった。これはキャリアを積んで、櫻井の演技力が上がったからともいえるが、櫻井が30代になったことも大きいのではないかと思う。

 櫻井と同世代にあたる、30代で頭角を現した若手政治家やベンチャー企業の若手社長といわれている人たちを見ていると、年齢よりも幼く見えて心配になるが、ネットの普及以降に思春期を過ごした人間が持つ、合理的な考え方とフットワークの軽さに可能性を感じることも多い。そんな彼らと『先に生まれただけの僕』の鳴海は重なるものがある。

 その意味で、櫻井が演じてきた頭でっかちな青年は、今の30代にとってはリアリティのあるロールモデルとなっているのだろう。櫻井の軽くて平坦な芝居は、かつては欠点だったが、今はその軽さこそが役柄の説得力につながっているのだ。
(成馬零一)

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