「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回はいつものインタビュー形式から少々趣向を変えて、イギリス王室を離脱をめぐってすったもんだあったヘンリー王子とメーガン夫人を追ったドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』(Netflix)について、堀江宏樹氏のレビューをお届けします!
Netflix特別製作のドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』を拝見して、モヤモヤがいっそうひどくなってしまった視聴者の一人です。インスタグラムで知り合い、メッセージ交換で親しくなってから、初リアル……と「普通の人」ぶりを執拗にアピールしたエピソード1。
しかし、実際の「普通の人」は彼らみたいに、デートで使う飛行機代だけで何十万円もかけても平気なワケがありません。2022年の夏、カナダのある都市からロンドン行きのビジネスクラスの切符代は5500ドル程度だったようです(筆者調べ)。日本円で約75万円なり。
チャールズ国王と故・ダイアナ妃の間に生まれた「第二王子」である「ハリー」ことヘンリー王子と、その妃となったメーガンさんの結婚生活は、どうしてこれほどまでにトラブル続きなのでしょうか。
歴史的な観点から見たところ、彼らが「貴賤結婚(morganatic marriage)」のカップルであったことが大きいでしょうね。貴賤結婚という文字面のインパクトに、たじろく読者もいるでしょうが、「社会的階層と経済的な格差に大きな隔たりのある相手同士が結婚すること、そしてそれによって生じる問題」を指しています。
イギリス王室では、20世紀中盤、英国王エドワード8世が退位してまで、離婚歴のあるアメリカ人の平民女性ウォリス・シンプソンとの結婚を強行した「王冠をかけた恋」が有名ですね。
ヨーロッパの王室の歴史を遡ると、ちらほらと貴賤結婚の実践者は見られます。インパクトがあるのは、19世紀前半、オーストリア帝国の皇帝の皇子のヨハン大公が、山村の郵便局長の娘、アンナ・プロッフルと結婚した“事件”でしょう。
「王室の縮小」を掲げるチャールズ王の方針で、ヘンリー王子とメーガンさんの間に生まれたアーチーくんなどにも王室のメンバーであると証明する爵位(タイトル)が与えられない可能性が浮上していますが、身分違いの結婚をしたヨハン大公とアンナの息子にも同じように爵位が与えられず、「王室のメンバーとして認めない」という決定が下されました。
ヨハン大公は、料理上手なアンナとの結婚生活にはとても満足していたようですが……。
こういう“事件”が起きた場合、当初は大スキャンダルになるものの、歴史の表舞台からはカップルの名前はひっそり消えていく傾向があります。実家からはハレモノ扱いを受け、表に出てくることを禁じられてしまうからです。
しかし、「メディアの世紀」である21世紀の王族・ヘンリー王子は、従来どおりに沈黙を続けなかったのでした。「沈黙は金」(正確には雄弁は銀、沈黙は金)は、19世紀イギリスの作家トーマス・カーライルが有名にした古いことわざで、言うまでもなく日本以外でも使われています。しかし、沈黙するだけでは「金(カネ)」は稼げませんからね……。
もはや名ばかりの王族となったヘンリー王子には、メーガンさんとセット販売されるリアリティ・タレントとして生きていくしか、活路はないのでしょうか。『ハリー&メーガン』では、ほぼすべての質問への口火を切るのはメーガンさんでしたから、口下手でシャイなヘンリー王子の行く末には不安が募るばかりです。
そうしたヘンリー王子が抱える鬱屈が、活動的なメーガン・マークルさんをより魅力的に際立たせたのでしょうが、彼女は妃殿下向けというより、活動家向けのパーソナリティの持ち主でした。また、彼女の“中流アメリカ人意識”はイギリス王族の出身であるヘンリー王子との結婚でも微塵も変化せず、結果的に、二人の結婚は「貴賤結婚」といわれる関係にありがちな問題を大いに抱え込むことになったのです。
「21世紀に身分の話!?」と思われるかもしれませんが、欧米社会において、生まれ育った家庭環境、そして社会環境はスティグマ(刻印)として生涯、その人につきまとう代物だと今なお、強く考えられています。これは厳然たる事実で、メーガンさんがこの番組の中でとった言動を見ていても、明らかです。
彼女はあらゆる貧困を支援する立場を崩さず、“多様性のシンボル”として振る舞いたいようでしたが、自身がギャングの横行する貧民街の出身だと報道されたことにはたいそうご立腹で、自分が少女時代に暮らした街並みや、住んでいた家を母親とともに車で移動しながら、「素晴らしい場所!」とコメントする姿をわざわざ撮影し、見せてきました。古風なタイプで、規範を守り、成績はオールAの優等生の少女であったとも……。
しかし、後に自身が認めているように、イギリスの上流階級の頂点に位置する英王室出身のヘンリー王子とメーガンさんには身分的、経済的な格差だけでなく、文化的な大きな落差があり、これはどうやっても解決できるものではなかったようです。これが彼らの結婚を「貴賤結婚」だったと認めざるをえない理由となって、彼らに大きな不幸をもたらしたと考えられます。
誰しもそうですが、自分をこそ、平均的な人物だと考えがちです。
『ハリー&メーガン』の発言を見る限り、メーガンさんは、とりわけそういう傾向が強い上に、自分が宇宙の中心のように生きており、周囲の人々にもその“秩序”に従うことを求めているようです。
そして彼女は、自分の価値観の外に決して出ようとしないのですね。自分の生まれ育った文化圏を“最上”として捉えるがあまり、そのポジションから見て“下”になる貧しい移民層の人々の支援では強く輝くことができるのですが、それよりも“上”の世界にはまったく順応できず、輝きを失ってしまっていたようです。
たとえば、彼女はヘンリー王子が属するイギリスの上流階級の伝統、慣例、文化にはまったく無知であり、無知であることをむしろ誇っているかのようなそぶりが見られたのには閉口してしまいました。
とくにひどかったのは、イギリス国歌さえも知らないのでグーグルで調べたという発言や、女王に謁見するときに女性が行わねばならない、「コーテシー(courtesy)」にのっとったお辞儀の作法を「中世みたい!」といって、バカにしたような笑みを浮かべたシーンです。ヘンリー王子が、この時、さすがに妻を擁護する言葉もなく、困ったような顔で沈黙したのは興味深かったですね。
メーガンさんは自分を「優等生」だと主張しますが、カメラを向けられると、その場を盛り上げるために口からあらぬ言葉がしゃしゃり出てしまう生粋のタレント気質なのかもしれません。とにかく、おおげさに両腕を広げ、「こういうお辞儀までする人もいる」と言ってから「中世みたい!」と付け足した彼女の様子には、あからさまな悪意が感じられました。
「なにもかも上手にこなせて当然」とされる王室の伝統と流儀の前に敗北し、「(私は)頑張ったけれど、それでも足りなかった」と涙するメーガンさんに、同情の余地はありますが、本当の意味で、馴染むための努力を行ったかどうかも私には疑わしく思える部分もあります。「家族を守る」と言葉面は立派ですが、ヘンリー王子が行う度重なる引っ越しなどに伴う莫大な金銭の支出以外、「家族を守る」という目標に具体的に取り組めていたかも疑わしいですね。感情の浮き沈みが台風に激しい妻にひたすら引きずられていただけ、というように見えてしまいました。
次回に続きます。