「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 今回はいつものインタビュー形式から少々趣向を変えて、イギリス王室を離脱をめぐってすったもんだあったヘンリー王子とメーガン夫人を追ったドキュメンタリー番組『ハリー&メーガン』(Netflix)について、堀江宏樹氏のレビューをお届けします!
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メーガンさんとヘンリー王子の結婚を、21世紀においてもあえて「貴賤結婚」だったと考える理由について前回もお話してきました。今回はその続きです。メーガンさんの「私はアメリカの平均的中流女性」という強固なアイデンティが、英王室とその伝統文化に新風を吹き込むどころか、摩擦を引き起こしていたことは、女王に謁見する時に女性が行うお辞儀の作法について、「中世のような」と揶揄した発言からも明らかだったと思われます。
たしかに、20世紀後半以降、王室の(特に若い世代の)女性のスカート丈は短くなる一方で、靴のヒールも高くなる一方です。そのため、女性のスカート丈が極めて長かったころの伝統的なコーテシーにのっとったお辞儀だと両足の筋肉の緊張が如実に伝わってしまい、不似合いだと感じられるところはあります。
しかし、そうした何世紀、何世代にもわたるコーテシーという伝統を、「中世みたい」と小バカにする権利は、いくら身分上は「妃殿下」であるメーガンさんにもないはずです。
それに上流社会の礼儀作法、つまりコーテシーは(クラシック)バレエの基本的な振り付けにも反映されているものですし、バレエといえば、故・エリザベス女王が少女時代から親しみ、劇場にも足繁く通ってご覧になっていた“ハイカルチャー”の代表格のひとつです。
メーガンさんが行った、両手を広げる動作は「中世みたい」というより、むしろ「バレエみたい」というべきであり、そういう適切な語彙選びができないということはは、彼女にクラシックバレエという“ハイカルチャー”に関する素養の欠落を証明しているのではないでしょうか。
実は、筆者はこの問題発言まで、メーガンさんとヘンリー王子のイチャイチャぶりをさんざん見せつけられた後でもなお、彼女に一定の同情と共感はあったのですが、ここで感情が反転しました。
イギリスの王室のメンバーはそれぞれが、メーガンさんが得意な慈善活動以外にも“ハイカルチャー”に属する芸術家の団体などのパトロンの肩書を得て活動するものです。メーガンさんのような態度で、果たして本当の意味で「妃殿下」としての活動はできていたのでしょうか。『ハリー&メーガン』内に出てくるヘンリー王子の発言にもあったように、自分たちのことをちゃんと扱ってくれない王室の面々に、積もり積もった不愉快さを伝えるべく、ドアをバーンと開けて「出ていくにはちょうどよい時期だった」ということには納得せざるをえないと感じました。
そもそもヘンリー王子の私邸に滞在するほど、2人の関係が深まっていたのなら、その時点で、彼氏の仕事がどういうものなのか、どういうふうに行われているかを、調べるはずではないでしょうか。また、社交界デビューを控えた女性のために、コーテシーを教えてくれるマナー教師はイギリス、とりわけロンドンにはたくさんいるはずで、どうして最初の公務が目前に迫るまで「知らなかった」「英王室のメンバーの公務の映像なんて見たこともない」などと言っていられたのでしょうか?
自分の生きてきた“中流”以外の世界、そしてそこで必要とされる”常識”など存在しないかのように振る舞うメーガンさんの行動パターンはあまりに独善的であり、本当に最上流階級……もっというと王室に入って良い女性とは思えないものがありました。
しかしそういう“部外者”だからこそ、新しい風を英王室に入れることができたこともまた事実だとは思います。短期間で終わった英国生活ですが、それでも彼女の貧しい人々に対する尽力には目を見張るものがありましたね(この番組ではじめて知りましたが)。ただ、これにも厳しい言い方をすれば、民間の活動家としては合格でも、王室のメンバーとしては本当に適切な範囲での尽力であったかは、また別の話といえるでしょう。
かつてヘンリー王子の報道を担当していたという男性が「メーガンが何を言い出すかわからないので苦労した」というようなコメントをさらっとしたあたりに、周囲の困惑ぶりが透けて見えるようです。
番組の構成にも首をひねらざるをえない部分がありました。本当はここまでお話してきた“貴賤結婚”の影の部分が大きく影響しているのに、それを“人種問題”に置き換えてしまっていた点です。番組を見た限り、メーガンさんは、ハリウッドで女優として役を得るために「有色人種の女優」というラベリングを受け入れたにすぎず、それまでの人生では黒人女性として誰にも扱われず、話を振られることもなかったと認めていましたが、それは「自分がそのように振る舞う必要がなかった」ということです。つまり「有色人種」として生き始めて、さほど時間も経っていない女性が、ほんとうに人種問題の当事者といえるのかどうかという話ですね。
さらに、そういうメーガンさんとヘンリー王子がイギリスを出ていったことが、有色人種の多い国々で“象徴的意味”を持ち、2021年11月30日に式典が開かれましたが、カリブ海の島国・バルバドスが、英国王を君主と仰ぐ立憲君主制から共和性に移行した事件の主要原因であるかのように『ハリー&メーガン』が主張したのは、大きな疑問です(エピソード5)。
実際、エリザベス女王の死をきっかけに、バルバドスと同じカリブ海のアンティグア・バーブーダでも、共和性への移行を問う国民投票が現在、行われているのは事実です。しかし、この件もイギリスより、中国に対する経済的依存度が高まっているので、いずれは「コモンウェルス(Commonwealth of Nations、いわゆる英連邦)」から離脱して完全独立したほうがよいのではないかという壮大な議論が主目的のはずで、いわゆる「メグジット問題」との関係は薄いでしょう。
英国に数あるタブロイド誌をはじめ、報道メディアにデタラメの「ストーリー」を作られつづけたと訴えておきながら、今度は自分が離脱したイギリスという国、英王室という権威に後ろ足で砂をかけてみせるような行動で、「後悔しても知らないぞ」と、ハリー&メーガンが吠えているのは、呆れてものがいえませんでした。
現在においても、王族に許されうるもっともラディカル(革新的)な言動は、伝統的な何かの保存……つまり本当の意味での「保守」が中心となるわけで、活動家としての色彩の強いメーガンさんには結局のところ「王室離脱」しか選択肢はなかったのでしょう。
それにしても、王室からの経済的援助が得られず、警備面で問題が出てきたカナダの邸宅を出た後は、面識がない人のロサンゼルスの邸宅に転がり込み、何週間も滞在していたエピソードが番組では披露されましたが、過剰な恐怖心とは裏腹の腰の軽さは大問題です。
タレント活動に行き詰まったころ、どこかの国の独裁者から、「うちの(お飾りの)国王になって」などといわれて、ホイホイと即位、その後、政権が打倒され、独裁者にも見捨てられ、ハリー&メーガンの身も危うくなる……などという「ストーリー」がありありと脳裏に浮かんでしまいました。
実際に19世紀後半、ハプスブルク家の皇帝の弟に生まれたマクシミリアン皇子が、皇位継承者にはなりえず、飼い殺しというしかない現実に辟易として(ちょうどヘンリー王子が自身を「スペア」呼ばわりするように)、「メキシコ皇帝にならないか?」という誘いを真に受けて海を渡り、メキシコの地で念願の皇帝即位を遂げたものの、わずか3年で政局が変化、後ろ盾からは見離され、当地で革命勢力から処刑されて死亡という憂き目を見ているのです(詳しく知りたい方は拙著『愛と欲望の世界史』をどうぞ)。
「歴史は繰り返す」といいますが、ヘンリー王子とメーガンさんの未来が明るいものであることを願うほかはありませんね……。