• 日. 12月 22nd, 2024

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明日あなたが被害にあうかもしれない

万引きGメンになって45年、ついに引退を決意したワケ――「自分を許せなかった」事件の顛末

 こんにちは、保安員の澄江です。

 唐突な話ですが、いよいよ現場から離れる決心がつきました。立ち仕事に伴う足腰の痛みや、目が悪くなってきたことも大きな理由といえますが、先日、暴行被害を受けたことから決心がついたのです。今回は、その時のことについて、お話ししたいと思います。

 当日の現場は、ショッピングセンターM。私鉄沿線の駅近くに位置する商業ビルの地下1階にあるワンフロアの大型店で、1階に100円ショップや美容室、2階にはゲームセンターが入居しています。

 ここでの勤務は、今回で3回目。惣菜や生鮮食品をはじめ、コスメドラッグや衣料品の被害が多発しており、過去2回の勤務においても複数の捕捉がありました。主な被疑者層は、少年と高齢者で、犯行時間の予測が難しく、気の抜けない現場といえるでしょう。

 この日の勤務は、午前11時から午後7時まで。ひどく寒い日で、いつもより客入りは悪いものの、それなりに混雑する店内の巡回を続けます。

「あの人、なにをやっているのかしら?」

 午後2時頃。冷蔵ではないペットボトル売場で、棚からお茶を取っては戻すという若い男性が目につきました。おそらくは、20代後半から30代前半くらいの人でしょうか。どことなく芸人のもう中学生さんに似ている人です。左手にはビニール袋に入った複数の駄菓子が握られており、棚取は見ていないものの、この店の商品である気がしました。そのまま行動を見守ると、何種類ものお茶を手にしては戻すという行為を何度か繰り返した男性は、1本の緑茶を手にしてレジのほうに向かって歩き始めます。

おとなしそうな万引き男が豹変!

 手にある商品を、すべて精算したとしても、ほんの300円足らずの話です。おそらくは精算するだろうと思いながらも、念のために見守ると、どこか気まずそうな顔でレジ脇をすり抜けた男性は、そのまま出口につながるエスカレーターに乗り込んでしまいました。商品単価が安く、あまり気乗りしませんが、犯行を現認してしまった以上、見逃すことはできません。

「あ、飲んだ!」

 声をかけるべく一定の距離を保ちながらエスカレーターに乗り込むと、上がり切ったところでペットボトルのフタを開けた男性は、後方を振り返ってからゴクリとひと口飲みました。まだ敷地内の状況にありますが、未精算の商品を開封して口をつけたので、ここで声をかけます。

「こんにちは、お店の者です。それ、飲んじゃって大丈夫ですか?」
「え? ごめんなさい……」

 男の横について、顔を覗き込むようにしながら声をかけると、まるで子どものような言い方で対応されました。見た目の年齢と合わない態度に、どこか病的なものを感じます。

「ごめんなさいって、どういうこと? お金を払っていないなら、ちゃんとしていただかないと」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「ここで謝られても仕方ないから、事務所で話を聞かせてもらえますか?」

 事務所への同行を求めると顔色を変えた男は、いきなり大声を出して、逃げるように身を捩りました。

「嫌だ! お父さんに怒られるから、絶対に行かない!」
「じゃあ、いますぐ警察を呼ぶことになるけど、それでもいい?」
「警察? 嫌だ、お父さんに怒られる! もう! 離せ、離せよ!」

 すると、大きく右手を振り上げた男が、鉄槌の形で私の顔を殴ってきました。腕をつかんで抵抗するも、空いている左手で顔や頭を何度も殴られたため、たまらずに背を向けてしまいます。

 その隙に逃走されましたが、痛みと衝撃で追いかける気力はなく、ただ呆然と顔を押さえて男の背中を見送りました。男の手にあったお茶と駄菓子は、いつの間にか床に放置されており、商品を取り返す使命は果たせたようです。

「大丈夫ですか? もう警察は呼びましたから、ちょっと待っていてくださいね」

 するとまもなく、ビル管理を担当する警備員が駆け寄ってきました。その様子からして、あまり積極的には関わりたくないようで、男を追いかける素振りはありません。

 痛々しげに顔を覗き込まれてから救急車も呼ぶといわれたので、そこで初めて自分の状態が気になりました。トイレに駆け込み鏡を見れば、左頬が腫れ、左目の白眼部分が真っ赤に充血しています。まるで試合後の格闘家のような顔になっているので、水をハンカチにしみこませて固く絞って、叩かれた場所を冷やしながら警察官の到着を待ちました。

「大丈夫ですか? 無理はしなくていいので、救急車が来るまでの間、話を聞かせてください」

 現場に臨場した刑事は、私から簡単な事情聴取を済ませると、すぐに防犯カメラ映像の確認にいきました。まもなくして犯人の映像は見つかり、その人着が無線で共有されると、早速に緊急配備が敷かれて逃げた男の探索が開始されます。コロナ禍で忙しいのか、救急車はなかなかきません。

 その間、窃盗の事実確認をするために店内の防犯カメラ映像を検証した結果、なんとも気まずい事実が発覚しました。男が店に入ってきた時の様子を確認すると、ペットボトルのお茶とビニールに入れた駄菓子を手に持って店に入ってきていたことが確認されたのです。

「万引きはしていないようですね。行動からすると、ちょっと変わった人に見えるけど、実際はどうでした?」
「確かに、少し病的な感じはしました。でも、お茶を盗っていないなら、誤認になっちゃうかもしれないので、被害届は大丈夫です」
「そうですか。もし病気の人だとすれば、行為能力の問題もあるから、そのほうがいいかもしれませんね」
「しっかり棚取は見たのですが、こんなこともあるんですね」

 以前、他社から移籍してきた新人さんの指導を担当した際、前の所属先では入店時から行動を見続けなければ、商品を隠匿する現場を見ても声をかけてはならないという規則があったと聞いたことがあります。その時は、なにをバカなことをと心の中で嘲笑した記憶がありますが、こうした経験のある人が作ったものだと思うと理解できました。

 ようやくに救急車が到着したので、近くの病院で診察してもらうと、頭部打撲のほか、左頬骨にひびが入っていることが判明。全治2カ月と診断されましたが、被害申告をしなかったことで補償は得られず、ただのヤラレ損といった結果となりました。それよりも、誤認事故に近しき事態からの受傷事故を起こした事実が重く、自分を許せない気持ちが消えません。それで、これを機に引退することに決めたのです。

 この仕事に就いて、早45年。これまで捕らえた万引き犯は、およそ1万人近くになると思われ、やり残したことはありません。これを最後にしてほしい。その思いを伝えるべく、被疑者の皆様と接してきましたが、どれだけ心に響いてくれたことでしょう。

「恨みっこなし」

 そう思い込むことで、我が身に積もらせた業を振り払っていきたいと思います。

 長きに渡りご愛読いただき、ありがとうございました。

(文=澄江、監修=伊東ゆう)

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