テレビ・エンタメウォッチャー界のはみ出し者、佃野デボラが「下から目線」であらゆる「人」「もの」「こと」をホメゴロシます。
【今回のホメゴロシ!】「恋愛至上主義の終幕」に真っ向から立ち向かう、『夕暮れに、手をつなぐ』の味わい深さ
2023年1月期ドラマが順次最終回を迎えている。話題となった作品を振り返ってみると、女性同士の友情を描いた「タイムリープもの」の『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)、主人公2人の「音楽を通じたバディ」の関係性に重きを置いた『リバーサルオーケストラ』(同)、恋愛ドラマと見せかけて「ダイバーシティの理想形」を描いていた『星降る夜に』(テレビ朝日系)等々、「ベタベタの恋愛至上主義ドラマはもう古い」という時代の空気感が顕著に現れたラインナップだった。
そんな中、異彩を放っていたのが、“恋愛の神様”こと北川悦吏子大先生が脚本を務め、3月21日に最終回が放送された『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系)だ。同作は、宮崎の片田舎で育ち、結婚目前に東京で婚約者にフラれ、なぜか急にデザイナーとしての才能を開花させる空豆(広瀬すず)と、コンポーザーとしてメジャーデビューを目指す音(King&Prince・永瀬廉)が、ご都合だらけの……もとい、運命的かつ衝撃的な出逢いを果たし、ひょんなことから一緒に下宿生活を送ることになる物語。
さすがはラブストーリーの“老舗”、ドラマ業界の大丸別荘である。「時代の空気? 知るかよ」とばかりに、恋愛要素や「(大先生が思う)キュン」を前面に押し出したドラマをあえてこの時代にぶつけてくる剛気には恐れ入るばかりだ。昨年末の番宣でしきりに見かけたキャッチコピーも振るっていた。
「世界一美しいラブストーリー」
《北川悦吏子さんが考えてくださいました!》と、Twitterの番組公式アカウントがうやうやしく明かす、この謳い文句。コピーライター養成講座の課題で提出したなら間違いなく落第点だろうという陳p……あ、いや、“昔懐かしい”味わいがある。そしてドラマ本編も、令和の作品とは信じ難い、“昔懐かしい”仕上がりとなっていた。
北川作品を語るうえで欠かすことのできない、“昔懐かしい”ルッキズムと偏見と権威主義が、今作にも存分に注ぎ込まれている。空豆は高校時代、あまりの美少女ゆえクラスでいじめられたという。「美人だから妬まれていじめられる」というステレオタイプの発想が、今日び大変珍しい。
北川作品でおなじみの「(大先生が思う)美男美女以外は“背景”扱い」という作劇も健在だ。空豆が、レコード会社のA&R・磯部(松本若菜)の友人・真子(馬場園梓)に「顔が地味」と言い放つシーンがあった。さすがに時流に合わせてプロデューサーが進言したのか、『半分、青い。』(2018年/NHK総合)の頃から比べると、今作では随所に「台詞がソフトに調整された形跡」が見受けられた。
しかし、「大先生」と「作品」と「ツイート」は「三位一体」の関係にあるので、普段からの大先生のTwitterでの炎上名人ぶりを見ていると、今作の初稿台本ではもっとあからさまな表現や、きわどい台詞があったのではないかと想像してしまう。
空豆のキャラクター造形に見え隠れする、「(大先生が思う)田舎者」への色眼鏡も相当なものだ。宮崎県の田舎町から東京に出てきた空豆は、はんてんのようなダサいコートをまとい、噴水の水で顔を洗う。TPOをわきまえず、所構わず野猿のように振る舞う。
空豆の話す“方言”には、大先生が適当に考えた「なんとなく九州とかそっちのほうっぽい」“チャンポン語”を当てている。生まれ育った土地の言葉は、その人にとってアイデンティティの一つだと思うのだが、「他者への敬意? 多様性の尊重? 知るかよ」という、平素からの大先生の思考を、包み隠さず作劇に反映する大胆さにはいつも新鮮に驚かされる。「鼻クソをほじくって練って机の下になすりつけていそうなほどにガサツな女性」である空豆という役を完璧に演じ切った広瀬すずの役者魂には拍手を送りたい。
「芸大」「パリコレ」「紅白」など、大先生の大好物である「権威」を象徴するキーワードの頻出ぶりも通常運転だ。なぜか急に天才として覚醒した空豆が、表参道のJIMMY CHOOのショーウィンドウを眺めながら「プラダもグッチもヴィトンも、みんなライバルよぉ」と大風呂敷を広げるシーンは、権威やブランドに憧れを抱きつつ、同時に内心では、自分自身も作品も「権威」であり「ブランド」であることを確信している大先生にしか書けないものだと感服した。
ところで、長きにわたって北川作品を見続けていると、「お約束」がたくさんあることに気づく。これはもう、筆者のような“ファン”にとっては、歌舞伎の見得みたいなもので、「お約束」が登場するたびに、思わずテレビの前で「ヨッ! 北川屋!」「待ってました!」と「大向う」を張りたくなってしまう。そこで、本稿では代表的な北川作品の「お約束」をいくつか紹介したい。
(1)ドラマでの私語りと登場人物への「投影」
今作のヒロインの名前「浅葱空豆」が、北川大先生の実娘がかつて写真家として活動していたときのカメラマンネーム「あさぎ空豆」に由来することは広く知られるところだが、ドラマの登場人物に自分(と娘)の「依代」をさせることは、もはや北川作品において常態化している。
『半分、青い。』では、野面なヒロイン・鈴愛(永野芽郁)と、そんな娘をひたすら全肯定する母・晴(松雪泰子)の両者を自らの依代にした。次いで、『ウチの娘は、彼氏ができない!!』(21年/日本テレビ系)では、売れっ子恋愛小説家である母・碧(菅野美穂)に自らを投影し、オタクで陰キャの娘・空(浜辺美波)に実娘の姿を投影した。
これはスタッフの忖度なのだろうか。今作では、空豆の母で世界的に有名なデザイナー、塔子(松雪泰子)の髪形を大先生そっくりに寄せている。公共の電波を使って松雪泰子と広瀬すずに自分と娘の依代をさせ、大先生の「家族の思い出ビデオ」を作るという強勇さは、アッパレと言うほかない。
(2)ほぼ実娘への取材だけで書く「ユース・カルチャー」
《私はリサーチしないよ。極力。しても一回。なぜなら、想像の翼を折るから。》と、かねてより宣言していた大先生(現在このツイートは削除済み)。宣言通り、大先生の脚本作りのための取材といえば、家族とママ友と岩井俊二など、近しい人たちへの聞き込み、そしてTwitterでフォロワーに呼びかける「情報おねだり」のみであることは有名だ。
その結果、北川作品に登場する「若者カルチャー」は、「娘から聞いたんだけど、最近こういうのがはやってるんでしょ?」感がバリバリに出ていて味わい深い。聞きかじりの知識と「ふんわりイマジネーション」で脚本を書くので、ディテールの詰めが甘かったり、周回遅れだったり、架空の固有名詞がことごとく「樟脳の匂いがするおふくろの手編みのセーター」感があって、これまた“懐かしさ”を感じさせてくれる。
今作では特に、先行の売れっ子ユニット「ズビダバ」、「イソベマキ」という通称を使いたいがための磯部真紀子という名付け、「ビート・パー・ミニット」のデビュー曲タイトル「きっと泣く」など、珠玉のネーミングセンスが際立っており、しばらくのあいだ思い出し笑いをさせてくれそうだ。
(3)社会問題に対する独特のスタンス
「ポエムドラマ」の“老舗”の心構えとして、普段から新聞も読まなければニュースも見ない大先生。しかし、今作ではプロデューサーに導かれたのだろうか、大先生なりに「社会情勢」を盛り込んだ台詞が一つだけあった。空豆と音の下宿先の主で画家の響子(夏木マリ)が、空豆の祖母・たまえ(茅島成美)に、空豆の近況を伝えるシーンだ。
「(空豆は)近所のお蕎麦屋さんで、東京都の最低賃金で働いております。時給1,072円」
「『最低賃金』のくだり、要るか !?」という疑問で頭の中がいっぱいになるし、クリエイティブ職以外の職業を軽視する大先生の、相変わらずのスタンスには一驚を喫する。「東京都 最低賃金」でGoogle検索してトップに出てきた文言をコピペしただけのような台詞も、まさに北川作品の真骨頂と言える。
また終盤で急に、音がコンポーザーを務めるユニット「ビート・パー・ミニット」のヴォーカル・セイラ(田辺桃子)が、実は空豆に恋していたというエピソードが登場。「ジェンダー問題とか盛り込めばいいんでしょ?」とばかりにやっつけ処理された「付け足しトッピング」感に笑ってしまった。
(4)御年61歳の“ベテラン”脚本家による「リカちゃん遊び作劇」
北川作品の人物造形はどれも、小学校低学年ぐらいまでの女の子が「リカちゃん遊び」をする際に読み上げる「えっとね〜、この子はね〜、パパがパイロットでね〜、ママが元CAでね〜、IQ140でね〜、トイプードルを飼っててね〜、麻布十番に住んでてね〜」という「夢設定」に似た味わいがある。
今作では空豆の、特に仕事周りの作劇が凄まじかった。ダサい“はんてんコート”を着て上京するまでは、デザイン画の一つも描いたことがなかったのに、いきなり有名高級ブランド「アンダーソニア」(このネーミングも実にジワる)に採用されたり、秒速でトップデザイナーの久遠(遠藤憲一)に嫉妬されるほどのデザインを作り上げたり、音速で商業音楽のMVの衣装を担当したり、デザイナーデビューから1年足らずでパリコレに出られたりと、無茶苦茶だ。しかも作劇的にはすべて「天才だから」の一点張りで押し通す。
ものの本によれば、「ドラマ1話につき使っていい『偶然』は、多くて3つまで」という基本原則があるらしい。しかしそこは北川大先生。セオリーなんて気にしない。試しに第1話に仕込まれた「偶然」を数えてみた。
1 偶然福岡に来ていた宮崎在住の空豆と、偶然福岡に来ていた東京在住の音が横断歩道でぶつかる
2 偶然同じワイヤレスイヤホンを使っていたため、互いに間違えて拾う
3 ヨルシカの「春泥棒」を偶然同じタイミングで聞いていた
4 大東京(人口1400万人)のビルの谷間の噴水の前で偶然再会
5 大東京(人口1400万人)のホテルのレストランで偶然再会
6 大東京(人口1400万人)の橋の上で偶然再会
7 空豆がサウナでのぼせて倒れるが、偶然にも音が住む家の大家が経営する銭湯だった
なんと、7つもの「偶然」をブチ込んでいる。
ほとんどのエピソードを「偶然」と「神様からのギフト(=天才的才能)」の2点突破で進めるのである。こうした「リカちゃん遊び作劇」が、今作でも炸裂していた。
(5)エコでサステナブルな執筆スタイル
お気に入りの設定を何度も再利用するのも、北川作品の醍醐味だ。登場人物の実家が「皇室御用達の写真館」という設定が、『半分、青い。』と、『ウチの娘は、彼氏ができない!!』で使い回しされたことは記憶に新しい。
今作では久遠のバックグラウンドとして「今をときめくトップデザイナーだけど、実は河内長野出身」という設定がお目見えしたが、『半分、青い。』でも鈴愛の漫画の師匠である秋風(豊川悦司)の出身地が河内地方だった。そしてその設定は、「繊細で洗練された作風で知られる秋風先生だけど、キレると泥臭い河内弁が出る」という(大先生が思う)“面白シーン”として消費された。いったい大先生は河内地方をどんな場所だと思っているのだろうか。
こうした、5個ぐらいしかない引き出しを延々使い回すという“省力的”な作劇も、「北川作品あるある」として欠かせない要素だ。
(6)「厨二病の妖精」による試し行為
大先生といえば、自由奔放なツイートがたびたび炎上することでおなじみだ。新作の脚本制作が始まるたびに「ワタシ大変、ワタシ頑張ってる」からの「褒め言葉おねだり」ツイートや、語弊だらけのきわどい「制作裏話」ツイートが増える。
空豆や鈴愛など、大先生の創り出すヒロインが、わざと傷つけるようなことを言って相手の反応を見たり、相手の大事なものを乱暴に扱ったり破壊しようとするのは「試し行為」にほかならず、大先生が平素から息を吐くようにTwitterで行っていることに似ている。
《そもそも、この体調で連ドラは無理、と一度お断りしたのですが、なんとか頑張りませんか?とチーフプロデューサーの植田さんに説得されて、というか励まされて、書き始めました。》
《私は、しばらくホン(シナリオのこと)書かないと思います。諸事情があって。書くとしてもずいぶん先かと思われます。》
こうしたツイートも試し行為に見える。その真意はおそらく、「お前ら、しばらく脚本のオファーするなよ? 絶対するなよ?」という「ダチョウ倶楽部しぐさ」ではないか。つまり、「アテクシは常に脚本家として求められて然るべき。求められたうえで袖にする立場。オファーしろ。受けるかどうかは別として」ということではなかろうか。
このように、作品とツイートの両面から、見る者に「共感性羞恥」を味わわせてくれる。これもまた北川作品が唯一無二のジャンルたる所以だ。
……とまあ、北川作品の“魅力”は枚挙にいとまがないのだが、大先生の「依代三部作」と言える『半分、青い。』『ウチの娘は、彼氏ができない!!』『夕暮れに、手をつなぐ』の3作を並べてみると、前2作に比べて今作は、ややパンチが弱いと言わざるを得ない。
先述の通り、スタッフによるコンプライアンスチェック(ただし、かなりザル)と「調整」が入った形跡が見て取れ、北川作品本来の「持ち味」が、多分に中和されていると感じた。「広瀬すずと永瀬廉に花火かシャボン玉をさせて、スローモーションをかけときゃ、どうにかなるだろう」という「臭み消し」の映像処理も、作品の「中和」に一役買っていた。
今作において、くさややシュールストレミングのような、北川大先生にしか出せない味わいが稀釈されていたのは残念なことで、大先生本人も、渾身の台詞がカットされたことをわざわざ固定ツイートにして嘆いている。その台詞とは、例の「炬燵でじゃれ合うシーン」で音が空豆に向けた、
「月帰んなよ、かぐや姫」
というものだそうだ。こんなクソダs……いや、味わい深い台詞、“ファン”としては是非とも残してほしかった。
ともあれ、『夕暮れに、手をつなぐ」は、令和の今に“懐かしさ”をもたらしてくれる、類稀な“ノスタルジック・エンターテインメント”と言えるだろう。「多様性の尊重」「恋愛至上主義の終幕」という時代の空気に真っ向から立ち向かう北川作品が、これからどんな展開を見せるのか。大先生の「ダチョウ倶楽部しぐさ」の動向とともに、見守っていきたい。
※《》内はすべて原文ママ。