「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――先日、ニューヨーク在住の小室圭さんが晴れて弁護士として活動を開始し、年収も3倍以上になったといわれています。それまでも弁護士事務所に勤めているものの、法律事務職員だったので、物価高のニューヨークにおいて、それなりに暮らすには足りない額の年収だったといわれています。小室さんが、眞子さまのご実家である秋篠宮家から何らかの金銭援助を受けているのではないかという噂は根強くありましたよね。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 2022年5月に発売された、ジャーナリスト・江森敬治さんの著書『秋篠宮』(小学館)でも、眞子さまの結婚問題についての言及がありましたが、秋篠宮家による小室夫妻への金銭援助に関する情報はゼロ。質問された形跡さえありません。
――それは、なぜなのでしょうか?
堀江 絶対NG項目だったのでは? だからこそ、秋篠宮家が金銭援助をおこなっていた可能性は高いし、また、小室さんが弁護士として勤務しはじめても、金銭援助は続くと思われます。
昭和天皇に長く仕えた宮内庁職員の戸原辰治さんが残した史料をもとに書かれた、ノンフィクション作家・奥野修司さんの著書『極秘資料は語る 皇室財産』(文藝春秋、以下『皇室財産』)を読んで、その印象は強まりました。
この本では、戦前・戦後の昭和天皇のプライベートマネーである「内廷費(ないていひ)」の使い道が調査され、語られているのです。
プライベートマネーですから、何に、どういう形で使ったかを、公表する義務はありません。その中から、皇室を結婚によって離れ、民間男性の妻となった元・皇女の方々を中心に昭和天皇が少なからぬ額の金銭援助を、平たく言えば「お小遣い」という形で継続していた記録があるのです。『皇室財産』筆者の奥野さんは、こういうお金の使い方は、皇室に受け継がれている独特の贈答文化の表れではないかと考えておられ、それゆえ秋篠宮家から小室さんと結婚した眞子さまへの援助もあるのではないか、と推論しておられます。
――内廷費について詳しく教えてください。
堀江 宮内庁の説明を借りると、「天皇・上皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもの」の総称が内廷費です。これに対し、公的な出費に使われるとされるのが宮廷費。両者の区分は曖昧という指摘もありますが、令和3年の内廷費は3億2400万円で、宮廷費は118億2816万円です。
一方、天皇家以外の皇族の方々には皇族費が支払われます。宮家の当主の方、妃殿下、そしてお子様がたにそれぞれ決められたお金が支払われています。たとえば、2020年に皇嗣となって以来、秋篠宮さまには毎年9150万円が、紀子さまには1525万円が支給されているそうです。お二人のお子様がたにも支払われているので、眞子さまが嫁いだ現在も、秋篠宮家全体で見れば1億円以上ですね。
天皇家の内廷費、そして宮家に支払われた皇族費の両方が、どのように使われたかというデータは公表されません。
――宮家でも公開されないのに、それ以上にガードが堅そうな天皇家の内廷費……つまりプライベートマネーの使い道がわかってしまった経緯が興味深いですね。
堀江 その通りで、天皇によって内廷費がどのように使われたかについては、宮内庁の重役ですら、ほとんどが知らず、知ろうとすることも怖がって避けるそうです。つまり、タブーなんですね。しかし、昭和天皇に長年仕えていた戸原さんが、おそらく自身のための備忘録として、写していた記録の中に、天皇が親族に与えていた「御内儀費」……つまり天皇から家族に配られた「お小遣い」についてもわかってしまう詳細な記述が発見されたのです。
これを見ると、昭和45年、公家の名門・鷹司家の男性に嫁いだものの、夫がバーのマダムと心中してしまった鷹司和子さんには毎月12万円、年額144万円が与えられています。和子さんは、亡き夫のお義母様の面倒も見ておられましたから、額が多いのでしょう。
一方、岡山の実業家に嫁いだ池田厚子さんには年2回だけ、12万円が与えられました。真冬でも寒い売店に立って、タバコを売ったり、苦労なさっていたようですが……。
また、ご主人が銀行にお勤めで、御本人も西武系の商業施設で勤務している島津貴子さんには、毎月2万円、年額24万円が与えられています。昭和45年だけでなく、これらの支出は毎年継続していたのでしょう。
――元・皇女の方々に与えられた金額に根拠はあったのでしょうか?
堀江 すべては陛下の思し召し次第でしょう。当時の皇后さま(香淳皇后)にも毎月5万円、年額60万円が私的に贈与されていたし、若くして亡くなった第一皇女・照宮さんの遺児である東久邇信彦さんにも毎月5万円、年額60万円が与えられています。注目すべきは、東久邇家は戦後、皇族の身分を離れ、臣籍降下した際にも相当額の一時金を受け取り、当主の男性は稼げるサラリーマンで、都内の一等地に邸宅を構えておられました。つまり、かなり裕福だったはずですが、支援は続いたという。
――それはなぜなのでしょうか?
堀江 われわれは宮家というと独立した所帯であるように考えますが、現在でもそういう意識は皇族の方々には希薄なのかもしれませんね。とくに戦前の天皇家は莫大な資産を有し、10以上あった宮家のすべてを扶養している状態に近かったそうです。戦後は国が皇族それぞれに皇族費を渡すシステムに切り替わったのですが、戦前のような扶養意識が天皇の中に残ったようですね。昭和40年代の1万円は、現在の6~8万円に相当すると『皇室財産』では考えており、名目上は「お小遣い」でも、庶民にとっては相当な額が、民間男性と結婚し、その扶養家族となり、皇女の身分を失った方にも毎年、降り注いでいたと考えられます。
――……となると、毎月12万円、年額144万円が与えられていた鷹司和子さんの「お小遣い」は、1年で864万円~1152万円だったということですか!?
堀江 はい。しかし、貨幣価値の比較は難しいのですが、『皇室財産』に敬意を払い、本稿では6倍ということにしておきます……。
注目すべきは、これらの出費を記録する帳簿の記載なんですね。たとえば「鷹司和子へ」ではなく「孝宮へ」とあることです。すでに身分は皇女ではなく、民間人なのですが、昭和天皇の中では娘たちはずっと内親王のままで、親として援助しつづけるべき存在だったということなんです。
――だからこそ、昭和天皇のお孫さんにあたる秋篠宮さまにも、こうしたお金の使い方は受け継がれていてもおかしくはない、と? となると、上皇さま・上皇后さまや、今上天皇陛下から、小室夫妻への援助もあった、もしくはあるのでしょうか?
堀江 はい。可能性はありますよね。昭和天皇のように、プライベートマネーから家族に「お小遣い」を与えるという習慣を、秋篠宮さまが受け継いだかどうかを断言することはできませんが、可能性は高いと思います。皇室には独特の贈答文化の伝統があると『皇室財産』は語っています。
――独特の贈答文化ですか。
堀江 これも昭和の頃の話ですが、皇族がたがお互いを訪問しあう場合、たとえ親子であったところでも、当時の額面で何万円相当のお金……あるいはそれに相当する金額のお品を持参するのが伝統であり、マナーだったそうです。
戦後になっても昭和天皇には、ご家族やご親類とお会いになる時、当時でいう3~6万円程度を、お土産として、お渡しになる習慣があったようです。参考までに、年次統計のホームページのデータによると、昭和34年=1968年の大卒サラリーマンの初任給の平均額は3万600円だったとのこと。また、みなさまのお宅でご飯が出されたりすると、その場で、また別にお金を渡すということでした。もちろん天皇ご自身は財布をお持ちにならないので、お付きの方がお渡しになるのですが。
―― 一度のご訪問で、それだけのお金がばらまかれていたのですか! これは今日にいたっても受け継がれていたりするのでしょうか。
堀江 おそらく。皇室の伝統のひとつですからね……。とにかく、戦前の皇族は、超越的な存在の証として、お金を配りまくりました。昭和天皇の母宮に当たられる貞明皇后のお金の使い方を見ていると、やはりそうなのですね。前にこのコラムでも取り上げたことがある昭和天皇の名物侍従長・入江相政さんの証言を高橋紘氏の解説をもとにまとめると、昭和天皇からのメッセージを貞明皇后に直接にお伝えすると、皇太后が、労をねぎらうべく「お返し」として、おそらく現金か、高価なお品をくださったそうです。
――現在の皇室でも、そういう贈答文化はどのように受け継がれていると思いますか?
堀江 戦前のような額ではないにせよ、おそらく。しかし、皇族の方々としては、宮中に受け継がれる贈答の伝統を引き継いだつもりでも、今日では国民からの支持を失いかねません。だからこそ、江森敬治さんの『秋篠宮』では質問自体がシャットアウトされたのでは?
眞子さまに対しても、われわれが感じる以上に、ごくごく自然に援助のお金が秋篠宮家から支払われていたし、今後も支払われると考えてよろしいと思われます。
――次回から、秘密のベールで隠された天皇家の支出について分析していきます。お楽しみに。