「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
堀江宏樹氏(以下、堀江) 前回は、秋篠宮家による、眞子さまへの金銭支援が、小室圭さんの資格浪人時代はもちろん、これからも行われるだろうということを、皇室特有の贈答文化の歴史から考えました。
――眞子さまは皇籍を離れるに際して、1億円以上の一時金の受け取りをなさいませんでした。もし、現在、秋篠宮家から眞子さまへの金銭支援があるとしたら、これが関係しているのかも。
堀江 そうですね。「より手厚く、支援は行うべきだ」となっているのかもしれません。
戦前でも、皇籍を離れる皇族には、元・皇族としての品位を保つためのお金として、一時金が支払われました。しかし、その額が、戦前は桁外れに凄かったのです。もともと当時のお金にして135万円でしたが、昭和になってから「高すぎた」という理由で100万円に改められました。しかし、それでも現在の貨幣価値では30億円に相当するという説も……(奥野修司『極秘資料は語る 皇室財産』文藝春秋、以下『皇室財産』)。
宮内庁が一時金を支払うのですが、当時の宮内庁は、天皇が自身の経済力で運営しているような組織でしたから、実質的には天皇から支払われたと見ていいでしょう。
大正天皇には、皇后さま(貞明皇后)との間に4人の男子のお子様がおられ、それぞれが健康に成長なさっていたので、江戸時代末から明治初期を生きた、 伏見宮邦家親王を祖とする11の宮家には、大正・昭和の時点で戦後の「皇籍離脱」にあたる「臣籍降下」の勧告がなされました。
これらの宮家は、天皇家の男性に万が一の事態が起きたときの保険的な存在なのですが、当時これらの11の宮家の方々は、現代の貨幣価値で年間何億円もの贈与を昭和天皇から受け、完全に扶養されている状態で……だから天皇の経済的負担を軽くするため、彼ら傍系の皇族のリストラが企てられたのです。
――当時、皇族を辞める方はいらっしゃったのですか?
堀江 いいえ。そもそも皇族を辞められることになったのは、明治になってからのことで、明治40年の皇室典範増補時の記録として、この時に臣籍降下した方が1名おられたとか。莫大な一時金だけでなく、株、証券など生活の基盤となるオプションもオマケされていたそうです。庶民の感覚では、30億円「も」もらえると考えてしまいますが、この頃の皇族方にとっては、天皇家からもらえるお金の10年分くらいにしか相当しないのですね。
戦前の皇族費は、昭和11年の時点で総額111万5360円、今なら約33億円程度です。昭和天皇の弟君2人には、秩父宮費(13万円)、高松宮費(11.5万円)、それから(三笠宮)崇仁親王費(8万円)など、天皇にとくに近い血縁の方には、破格の皇族費が毎年、支出されていました。
さらに明治天皇のお子様などを含む、11の宮家にも年平均10万円ほど(現在の3億円相当)が支払われていましたし、それ以外でも天皇陛下のポケットマネー=内廷費からのボーナスが折に触れてありました。
――まさに雲の上の世界! 戦前「現人神」と崇められた時代の天皇家のカリスマは、高い経済力が作り出したものともいえそうですね。それに比べると、天皇・上皇両陛下などすべての皇族方をいれても、皇族費は「令和4年度は、3億2,400万円」と宮内庁のページにはありますが……。
堀江 だいぶ減ってしまいましたが、皇族がたの金銭感覚のベースは、現在においても、雲の上のままなのかもしれません。まぁ、それでよい部分もあるのでは? 金銭感覚があまりに庶民的になってしまえば、カリスマなど感じられない気もします。
――先程、戦前においては実質的に天皇おひとりですべての宮家を支えていたということでしたが、どれくらいの収入が天皇家にはあったのでしょうか?
堀江 戦前の昭和天皇の時代の皇室には、毎年の余剰金……つまり、収入からいろいろ使って、残ったお金だけで500億円程度あったとされます。これだけでも、現在においても世界的な大富豪の一人とされる、イギリス王室の年収くらいの額です。それをさらに株式などの投資にまわして稼いでいたそうですよ。
――戦前の天皇家の収入の内訳は?
堀江 明治時代から、天皇家の所有物ということになった山林などが生み出す利益や、宮内庁のお役人に委託してはじめた株式、証券などの利益などなどです。明治以前の天皇家はかなり貧しく、具体的にはお酒も水で薄めたものしか飲めないし、食卓に焼き鮭が出されたら、その皮まで余すことなく全部食べてしまうような生活だったそうですが、そこからいきなり豊かになったんですね。
しかし、ばく大なお金を手に入れられるようになったから、贅沢三昧(ざんまい)というわけでもなかったようです。「大正デモクラシー」以降は、社会をよくしようと運動を始める運動家が増えたので、天皇家としては彼らを支援したり、お寺や神社、学習院などの学校施設に寄付したり……。
天災が起きれば、天皇家は自身も被災していても、巨額の「お救い金」を出さねばなりません。関東大震災に際し、当時22歳の昭和天皇(正確には、闘病中の大正天皇の代わりを務める摂政宮)による見舞金は、当時の額面で1,000万円。今ならなんと300億円規模の寄付でした。
実は、こういう出費に制限が出るほど、天皇家が扶養している宮家への支払いが大きくなっていたので、現在でいう「30億円あげるから、臣籍降下してくださいよ」という「お願い」が各宮家に送られていたのですが、昭和にいたるまで一人しか賛同者が得られなかったのです。
――たしかに黙っていても、毎年、3億円がもらえる権利の身分から離れようという人はいないでしょうね……。
堀江 はい。大正時代以降、多くの皇族たちがヨーロッパなどに外遊しましたが、実はその豪華な滞在にかかる費用の大半を各宮家は出しておらず、天皇家がほぼ全額を負担していたのでした。それで天皇家の経済負担を減らすために「宮家の海外旅行は原則1年以内、費用は年額20万円(=現在の20億円)」というルールが作られたそうですが、それも凄い話ですよね。
――現在の皇族費は「令和5年度は、3億2,400万円」だそうですが、これでも本来ならば少なすぎるということでしょうか?
堀江 そうともいえます。戦前のような規模の収入を失った昭和天皇は、貧民の救済など社会支援に使えるお金がなくなったことを嘆いておられたそうです。敗戦後には、GHQの指導が入り、財産は10分の1に減らされてしまいました。天皇家のカリスマを目減りさせる目的もあったようです。戦後すぐの時点で天皇家の総資産は、現金や株式・証券などすべて含めて、当時のお金で37億円でした。昭和22年、GHQの指導で、その9割にあたる33億円が没収されることになり、国庫におさめられたそうです。
――『皇室財産』によると、これらの額が現在ならいくらか知りたい人は、3000をかけるそうですが……天文学的な高額です。
堀江 戦後の昭和天皇の手元に残されたのが、当時のお金で1,500万円でした。戦後は、宮内庁のお役人がこの元手で投資を再開し、昭和天皇の個人資産を増やしていったのです。戦後も高景気が続き、昭和天皇が崩御したときの個人資産が18億7,000万円あったそうです。
現・上皇さまは、4億2,800万円を相続税として支払い、それを相続なさいました。しかし、昭和天皇の遺産の大半が株式・証券で、バブル経済の破綻以降、日本経済は低迷したままで、現在では10億円程度に目減りしてしまったのでは……といわれています。
――上皇様は「生前退位」でしたが、今上陛下は財産の相続をなさったのですか?
堀江 少なくとも現時点で、相続なさっておらず、したがって相続税も発生していないですね。というか、天皇家も相続税を支払うことに個人的には驚きましたが、これらの個人資産から得られている利益の使い道こそ、まったくの謎……。真のブラックボックスです。国庫から支給される皇族費・内廷費・宮廷費といった経費とは別ですからね。奥野修司さんの『皇室財産』という本でも、この問題は完全にノータッチで、われわれ外部者が知りうることはないと思います。
――やはり庶民の感覚では理解しづらい世界ではないということがよくわかりました……。