“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
中学受験の過酷さを物語る現象として挙げられる1つに、長時間に及ぶ学習の常態化があるだろう。
受験を控えた小学6年生は、平日でも3~5時間程度、休日は8~10時間程度を目安に勉強するのがスタンダード。中には1日12時間以上という子も決して珍しくはない。
この受験戦争に勝ち抜き、見事、難関私立中学に入学できたとしても、「学習時間は受験生時代とそう大差はない」と答える中学生もまた多い。彼らは中学入学と同時に、難関大学合格に向けた塾に通うようになるからだ。
もちろん、学ぶことに楽しみを見いだし、同じ志を持った仲間たちと切磋琢磨できる塾生活を満喫している子たちも大勢いるが、中には「中学受験が終わったら、勉強は上がり!」とばかりに、“伸びきったゴム”状態になってしまう子もいるのが現実だ。
かつて“中学受験生の母”だったあかねさん(仮名)は、深くため息をついた。
「こんなはずじゃなかったんです。中学受験が終わった時は、我が世の春といった感じで、はっきり言えば、『私の人生とうちの子の人生は、勝ったも同然!』って気持ちでした。それなのに……」
あかねさんには拓也くん(仮名)という一人息子がいる。彼は現在、最難関校と呼ばれる中高一貫校の中学3年生だ。
「中学受験は本当に順調でした。拓也は塾の最上位クラスから一度も外れることはありませんでしたし、塾のことは嫌がるどころか、むしろ楽しみにしていたほどです。もちろん最難関といわれるS中学に入るのは、たやすいことではありませんから、私も本腰を入れてサポートしていました」
あかねさんは、拓也くんの衣食住の面倒はもちろん、塾のプリント整理、学習スケジュールの管理、果ては一緒に過去問を解くなど、徹底的にサポート。いわく「中学受験生母の鑑」とも呼ぶべき活躍ぶりだったそうだ。
「拓也もそうですが、私も24時間365日、S中学のことだけを考えて暮らしていたようなものです。合格した時は、多分、拓也以上に私が喜んでいました。これで拓也の難関大合格も保証され、幸せな人生が約束されたと思ったんです」
ところが、S中学入学後、早くも暗雲が垂れ込めるようになったという。
S中学は、小学生時代、トップ中のトップだった子たちが集う学校。その優秀な子たちに向けた授業が行われるだけに、その進度はすさまじく速い。当然、小テストも頻繁にあり、提出すべきプリントも山のように出るそうだ。
「1年1学期の終わりにあった保護者面談で、担任の先生に『拓也くんはこのままではまずい』と言われて、びっくりしました。ほんの数カ月しかたっていないのに、そんなに差がつくのかと呆然としましたね。もちろん、入学直後から気を緩めず、即『鉄緑会』(※)などの塾に入り、難関大学を目指す同級生がたくさんいることは知っていたものの、拓也が『大学受験は高校に入ったら考える』と言うので、『それもそうか』と思い、賛成したんです。今まで、勉強漬けでしたから、少しは羽を伸ばしてもいいだろうと黙認していました」
※中高6年一貫校の生徒を対象とした、東京大学および難関医学部受験指導専門塾
結局、拓也くんは中1の夏休み、学校での補習と宿題に“追いまくられた”そうだが、2学期に入っても、成績は一向に上向かなかったという。
「担任の先生がおっしゃるには、拓也には『自学自習の習慣がない』と……。ノルマを果たすだけの学習を積み重ねてきたので、中学に入った段階で、何をどうすればいいのかがわからなくなってしまい、その現実と向き合いたくないばかりに、ひたすら逃げまくっているというんですね。私には、衝撃の一言でした。なぜなら、勉強スケジュールは私がすべて決めて管理していたから。拓也は私が差し出すプリントを次から次へと解いていくという勉強しかしていなかったってことです……」
難関中高一貫校はどこもそうなのだが、勉強についていけなくなった生徒に対しては、非常にシビア。厳しい進級・進学基準を設けており、そこには「ついていけない生徒は、別の環境に行くべき」というスタンスが垣間見える。
「さすがに私にはS中学の難しい課題を拓也と一緒に解く力はなかったので、仕方なく、S中学生御用達という“落ちこぼれ”の子が通う補習塾に入れたんですが、その塾から、頻繁に電話がかかってくるようになりました。拓也が塾に来ないっていうんです」
あかねさんは、行かないのであれば補習塾代もバカにならないので辞めればいいし、何ならS中学自体も辞めて、よその中学に転校しようと提案したそう。しかし、すべて拓也くんによって却下されていると話す。
「勉強はしたくないんですが、プライドだけは高いので、塾も学校も辞めたくはないんですよ。それで、ズルズルここまで来たんですが、本当にいよいよ、どうしようもないところまで追い詰められています」
通常、難関校では中2の秋あたりから、成績不振者に対して、やんわりと「このままでは、併設高校へは上げられない」というお達しが入る。そして中3の秋にははっきりと「最後通告」がなされることが多い。
拓也くんの場合、そのタイムリミットが半年後に近づいているというわけだ。
「拓也が改心して、劇的に赤点を回避する成績を取らない限りは放校処分決定です。高校受験対策もしていませんし、当然ですが、内申も出ませんから、公立高校受験には特に不利な状況で……。レベルを大幅に下げて私立高校を目指すという作戦もあるんですが、それも拓也が納得しない限りはどうしようもありません」
難関中学に合格した子の親が、「中1の1学期の成績を見て、想像以上に悪くてびっくり」というケースは散見される。よく「志望校合格はゴールではない」というが、中学受験で燃え尽きたかのように、勉強に対する意欲をなくしている場合も少なくない。
それにしても、中学受験戦争のまさに“戦場”の中にあって、親が子どもに「自主的に勉強をさせる」という難しさは、どのご家庭も痛感されているのではないだろうか。
中学生くらいから本格的に始まる思春期は、親も我が子に対する扱いに戸惑いを隠しきれない。今、あかねさんは「一体、何が悪かったのだろうか?」と自問しながら、眠れない日々を過ごしているという。