“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
宮坂志満さん(仮名・60)は自宅で父が急死し、刑事による事情聴取と捜査員による家じゅうの捜索を数時間受けることになった。
子どものように「私をひとりで置いていかないで」と泣いた
父の遺体は、検死のために運び出された。
「これも事件性がないか、死因を調べるためということでした。問題がなければ返されるとのことでしたが、早くてもその日遅く、もしかすると翌日になるかもしれないと言うんです」
父の遺体が帰って来なければ、通夜や葬儀の段取りもできない。携帯も押収されていたので、そこに登録されている親戚や友人に父の死を知らせることもできない。もちろん、父をゆっくりと偲ぶ気持ちにもなれない、宙ぶらりんな状態のまま待機するしかなかった。
母も、つい昨日まであんなに元気だった父も、自分をひとり置いていなくなってしまった。子どものように、「行かないで。私をひとりにしないでよ」と言いながらただ泣いた。宮坂さんの胸に空いた穴は大きくなっていき、体を吹き抜ける風は強くなっていった。
意外だった父の死因
検死が終わったと連絡が来たのは、夜になってからだ。検死の書類や押収されていた携帯電話、通帳を引き取りに、警察まで出向かなければならない。遺体はそのときに葬儀社が引き取り、霊安室に安置してもらうように言われた。
「警察で待っている間、事件を起こした家族を引き取りに来ているような、落ち着かない気分でした。警察ではとても故人を悼むという感じにはなれなせんね。父がベッドに倒れ込んでいたときに、救急車を呼ばなかったのはとにかく私の判断ミスだと自分を責めていました。せめて病院で亡くなっていれば、こんなことはなかったでしょうから」
それだけに、宮坂さんが気になっていたのが父の死因だ。検死結果を聞いて、宮坂さんと娘は意外な思いで顔を見合わせた。
「死因は心臓でした。これまで父は心臓トラブルなどまったくなかったし、もしかしたら脳かと疑っていたくらいでしたので、心臓が原因だとは思いもしませんでした。最後も『胃が痛い』と言っていましたし。でも娘いわく、『胃が痛いと言っていたのは、本当は心臓が痛かったのを、胃痛だと思い込んでいたんじゃない?』と。ここのところ、時々胃の痛みを訴えていたのも、心臓の不調だったのかもしれません」
もしあのとき、救急車を呼んでいても、本人が胃と言っていたら、病院でもまず胃を検査しただろう。だから、最終的にはやはり間に合わなかったかもしれない。もし管につながれて、生命だけ維持するようなことになったら、もっとつらかっただろう。まさしくピンピンコロリだったのだから、あれでよかったのかもしれない。気休めだとわかっていながら、自分を慰めてみたりもする。
死亡推定時刻は、宮坂さんがドアの外から父の様子を伺った時間の少し後だった。あのとき、ドアを開けて確認していたら――「もし……していれば」を考えるときりがない。父が眠ったような表情だったのが、せめてもの救いだ。
火葬が追い付かない
霊安室に安置された父は、部屋で亡くなっていたときと同じ表情で、口も開いたままだった。警察で検死されるとき、もはや父は“モノ”だったのかなと思う。病院なら、何らかの処置をしてから出してくれたはずだ。せめて口くらい閉じてあげてほしかった。
「多死社会」を象徴するように、今年に入って火葬場が追い付かないくらい、亡くなる人が多いと葬儀社の担当者は言った。一時期は、2週間待ちだったという。父も、火葬まで6日も待たされることになった。
「首都圏の端っこにあるうちの市でも、こんな状態です。そういえば、都内の友人のところも1週間待ちだと言っていましたが、混んでいたのは都内だけではなかったようです。母のときは、1日置いて通夜、葬儀ができていたことを考えれば、多死社会がこれほど進行しているんだと実感しました。コロナが猛威を振るっていたときは別枠で火葬していたので、一般の人はこれほど待たなかったそうです。これから私たち世代が亡くなる頃は、いったいどうなるんだろうと思いました」
そのうえ霊安室を使うのに、1泊1万5,000円取られたと苦笑する。10日待てば、霊安室だけで15万円だ。6日で済んだのはまだ幸運だった。自宅に置くこともできないことを考えると言い値を受け入れるしかないとはいえ、あまりの金額にため息が出る。
続きは5月7日公開