「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――前回からご長寿番組『皇室アルバム』と天皇家の関係について考察してきました。昭和40年代、ソニーから世界初の家庭用ビデオレコーダーシステムが発売されましたが、その価格は現在の貨幣価値でなんと100万円くらいに相当。しかし、侍従を通じて『皇室アルバム』のファンであることを公言するだけでなく、大のテレビ好きだった昭和天皇は惜しげもなく、それらを、しかも複数台購入なさっています。しかし、予約録画は宮内庁の侍従の方々の仕事だったとか……。
堀江宏樹氏(以下、堀江)侍従の方も忙しいときは録画を忘れる、もしくは失敗するというミスを犯すこともあったそうですが、謝罪を受けた昭和天皇が興味深いコメントをお残しになっていて、「カラーのがくるからいいよ テレビ局の方にはいわなくてよい カラーでみた方がよいと寛大なお思召しに感激する」(『昭和天皇最後の側近 卜部亮吾侍従日記』)と。天皇陛下も内心がっかりなさったでしょうけど、周囲の方々にはお優しかったのですね。
――「カラー」とはどういうことでしょうか?
堀江 私が調べた範囲ですが、昭和40年代のテレビ放送はすでにカラーだったのですが、録画用のビデオテープには白黒とカラーの両方あったようで、白黒のほうがお安かったようなのです。ですから、昭和天皇は節約として、日常的な録画は白黒テープで行っていたということではないでしょうか。
そして「カラー」というのはカラーのビデオテープで録画されたものを指すのでしょう。おそらく、『皇室アルバム』など最重要録画番組などは、別の環境で、ご家族のどなたか、別の誰かに録画させていたのではないでしょうか。いずれにせよ、天皇が『皇室アルバム』の熱心なファンであったことがうかがえる一節で、非常に興味深いですね。
――ほかに昭和天皇が熱心に視聴していたとされるテレビ番組はありますか?
堀江 『水戸黄門』(昭和44年=1969年~)や『大岡越前』(昭和45年=1970年~)という「勧善懲悪モノ」の時代劇も大好きでいらっしゃったそうです。そして注目すべきはNHKの「朝の連続テレビ小説」、いわゆる「朝ドラ」の熱烈なファンで、亡くなる寸前まで、山口智子さんや、唐沢寿明さんが出演した『純ちゃんの応援歌』を楽しまれていたそうです。放送途中で天皇は崩御なさったので、最終回まではご覧になれませんでしたが……。
――天皇陛下と「朝ドラ」って、なかなか意外な取り合わせですね。
堀江 そうですよね。コメディドラマの類も、かなり好んで見ておられたようです。晩年の昭和天皇にお仕えした侍従の一人、中村賢二郎さんの著書『吹上の季節―最後の侍従が見た昭和天皇』には、「毎週火曜日夜八時TBS放送の『遊びじゃないのよこの恋は』がチャールズ皇太子両殿下宮中晩餐会の中継放送のため休みとなる旨を申し上げると『(昭和天皇は)そう聞いていた。』と仰る。いつ聞かれたのか」とあります。
このドラマ、正確には『遊びじゃないのよ、この恋は』(TBS系列/)というタイトルで、昭和61年に放送されました。井森美幸さんがヒロイン・デビューをとげたラブコメディです。ウィキペディアによると「ベテラン刑事を父に持つ新米婦人警官と、足を洗い医者を目指そうとする若きヤクザの素朴な純愛をコミカルタッチで描いている」内容だとか。
――昭和天皇がこのドラマの放送スケジュールを、さまざまな人から聞いて、そこまで注目していたことはすごいと思いますね(笑)。余談ですが、井森美幸さんは第9回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」のグランプリで、オーディション中、伝説となった「井森ダンス」を披露したことで知られています。そして、満を持して『遊びじゃないのよ、この恋は』でデビューなさっているのですよね。
堀江 昭和天皇からも注目されてしまう、強い輝きが当時の井森さんにあったのでしょうか……。
――ほかには昭和天皇は映画もお好きだったと聞いています。お忍びで映画館まで足を運ばれたのでしょうか?
堀江 さすがに映画館ではありませんが、皇居の中に、映画フィルムを再生できるホールがあって、それをご利用だったようです。吹上御所の玄関ホールには映写設備がありました。また、当時の宮内庁の庁舎3階の講堂はふだんは記者会見などに使われていたそうですが、映写設備もあったので、天皇陛下のための映画館にもなったのだとか。
以前はレンタルビデオのお店が街のあちこちにありましたよね。しかし、昭和天皇は、当時の庶民がビデオテープをレンタルしたように、映画会社からフィルムを借りてご覧になっています。
昭和45年度(1970年)に天皇がご覧になった映画は、なんと200本以上。20世紀フォックス社からは1本につき300円のレンタル代で、52回。現在の貨幣価値で換算すれば、2000円前後といえるでしょうか。意外にお値打ち価格のような気がします。ほかには、日本映画新社、読売映画社、理研映画社の各社からも同じ料金で52回分のフィルムのレンタルを行ったそうです。娯楽映画もご覧になったようですが、記録映画、ニュース映画などをとにかく好んでおられたとのこと。
――年間200本もの映画をご覧であったというと、映画評論家になれるくらい、映画がお好きだったということですね。
堀江 そういえるでしょう。録画したテレビ番組は就寝前のリラックスタイムにご覧になっていたという記録がありますが、映画鑑賞は、昼間のご公務の合間でしょうか。娯楽作品より科学映画、そして記録映画がかなり多いことを考えると、社会情勢を知る窓口として、映画を利用していただけでなく、昭和天皇の中で、日常的なテレビのニュースより、映画というメディアへの信頼度が高かったと考えられます。
映画を見に行ったら、ニュース映画が本編の“前座”として上映されたりしていた、戦前の習慣が戦後も残っていたともいえるでしょうが……。