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  • 金. 9月 20th, 2024

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『皇室アルバム』カメラマンの証言から読み解く!“メディアと皇族”関係性悪化の歴史

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

――テレビ好き、映画好きで知られる昭和天皇。とくに晩年、天皇の身辺に仕えていた侍従の卜部亮吾さんが「陛下(=昭和天皇)は皇室アルバムの大変熱心な視聴者であられ、都合で観られない時にはビデオにとって必ずご覧になっている」(「天皇一家を60年記録する民放番組『皇室アルバム』制作者が語る、時代とともに変わる皇室とメディアの距離感」/「ORICON NEWS」2019年3月14日)と公言するほどでした。そもそも『皇室アルバム』(TBS系)とは、いったいどのような方々の手で、作られている番組なのでしょうか?

堀江宏樹氏(以下、堀江)一貫して毎日新聞社の子会社である「毎日映画社」で制作されています。もともと宮内庁のOBが始めた会社などというわけでもなければ、名門出の子弟・子女が集う会社というわけでもなさそうですね。

――ちょっと意外ですね。

堀江 同社が『皇室アルバム』を請け負うようになった経緯は公表されていませんが、昭和45年(1970年)から、カメラマンとして制作に携わっておられる大谷丕昭(おおたに・ひろあき)さんの証言が過去に何度か雑誌やテレビ番組の中で紹介されています。

 平成2年(1990年)の雑誌記事によると、この時点で「入社二十年目」と紹介されている大谷さんの経歴の詳細は書かれていないものの、昭和23年(1948年)生まれであろうと想像されます(「ご成婚スペシャル おめでとう 秋篠宮さま・紀子さま」/「サンデー毎日」1990年7月15日号)。大学を卒業してすぐに毎日映画社に入社なさって、その後、ずっと『皇室アルバム』にかかわってきたので、皇室の方々との距離感がきわめて近いのですね。

 例えば秋篠宮さまはご成人までは「礼宮さま」と呼ばれていらしたのですけれど、大谷さんは「アヤちゃん」と呼ぶほどの“親しさ”でした。時には、セパタクローという当時の日本ではあまり知られていなかった競技を、秋篠宮さまから誘われて大谷さんもプレーしたこともあったそうです。

 撮影中にも秋篠宮さまが「大谷さん、久しぶりです。お元気でしたか」などと話しかけながら近づいてくることもあったそうで、それはさすがに「何も足さない、何も引かない」姿勢で皇族方を取材する『皇室アルバム』の撮影基準でも、残念ながらボツ映像になってしまったとのこと。

――逆に特ダネだった気もしますが……。秋篠宮さまと長年親交がある記者として、江森敬治さんが『秋篠宮』(小学館)などのご著書をまとめられましたが、それ以上の深い話が大谷さんからは引き出せそうですよね。

堀江 実際、秋篠宮さまが紀子さまに熱烈な恋をしていたとき、すでに大谷さんは「宮さまの結婚相手はこの女性だ」とピンと来ていたそうです。会話の端々に「紀子ちゃん、紀子ちゃん」という名が出てきたと大谷さんはおっしゃるのですが、そんなことがわかってしまうほど、秋篠宮さまはずっとカメラを回されている、つまり現在の“リアリティショー”を先取りするような環境でお育ちになったということかもしれません。

 しかし、当時はメディアのほうが……あるいは『皇室アルバム』の毎日映画社という会社の品格なのかもしれませんが、婚約発表まで公表は慎もうという態度で接しておられたそうです。

――メディア側が、現在では考えられないような、紳士的な対応を見せていたのですね!

堀江 先日、とある雑誌で秋篠宮家を秘密主義だとする記事が出たようですが、少なくとも平成初期の秋篠宮さまは「お兄さま(現・天皇陛下)の皇太子さまなら、決してしないような、そんなこと(=カメラマンにも親しげな反応)をされる方です」とありますので、最近は取材者としてのメディア側、もしくは皇族がたの両方に大きな変化があったのでしょうね。

――毎日映画社で『皇室アルバム』制作に携わる小金沢輝明さんという方によると、平成5年(1993年)頃、皇太子さま(現・天皇陛下)と雅子さまのご婚約発表あたりから、映像撮影の時間やアングルに厳しい制限が(おそらく宮内庁側から)課されるようになったとのこと。

堀江 もう少し、報じる側のメディアと、報じられる側の皇族がたに亀裂が深まった背景を深掘りした情報があるとよかったのですが、その背景が具体的にわかる記事が見つかりませんでした。良心的なテレビ番組を代表する『皇室アルバム』の名カメラマン・大谷さんが、皇族方のプライバシーについて、自発的に(?)口をつぐむようになった事態にこそ、すべてが集約されているのかもしれませんが……。

 大谷さんによると、『皇室アルバム』用に皇族方が展覧会においでになったところを撮影するなら「(以前は)入られてからお帰りになるまで撮影できましたが、今は入場してから二分間だけとか、後ろ姿はだめとか、すべてにおいて厳しくなっています」。この厳しすぎる基準こそ、現在の宮内庁、ひいては皇族がたのメディアへの不信感のあらわれなのでしょうか。

――なぜ後ろ姿が撮影NGなのか、ちょっと疑問ですよね。ここ30年の皇室番組、皇室報道のマンネリ化と、そして一部の報道の過激化につながっているのは、宮内庁が皇族がたと国民の間に入ってしまって、情報の出し惜しみをするようになった部分も大きいかもしれませんね。

堀江 そうですね。何がそういう制限のきっかけとなったのか、興味深いですよね。かつては暴風雨に見舞われ、帽子や傘が吹き飛んでしまう昭和天皇のお姿を撮影し、それが堂々と放送されていた時代もありましたが、このように比較的自由な皇室報道がなされていた昭和を経て、平成以降はプライバシー問題などにかこつけ、報道内容に制限をかけたことで、皇族がたの“神秘化”が再び行われていったとも考えられますね。

 また、“神秘化”=“神聖化”ともいえます。近年では、小室圭さんが眞子さんのお相手にふさわしいのかどうかという日本中を揺るがす議論も、逆に昭和の頃なら、発生しづらかったのかもしれない……などと感じてしまいました。

――この問題についても、カメラマン・大谷さんはなにかご存知かもしれません。しかし、完全に沈黙を守っておられます。

堀江 それこそ、民放最長寿番組である『皇室アルバム』の制作者にふさわしい格調高さの反映でしょうか。最近になって、宮内庁が新設した「広報室」が稼働しはじめたようです。しかし、初代室長は、警察庁出身の藤原麻衣子氏ということで、そのご経歴からして、ものものしい感じがします。

 国民に皇族がたの情報を伝える既存のフォーマットとして、いずれも民放番組ではありますけれど『皇室アルバム』をはじめ、地上波では現在3つの「皇室番組」がレギュラーで放送中です。早朝の放送で『皇室アルバム』同様に高齢者以外に視聴者を想定していないようではありますが、フジテレビの『皇室ご一家』と日本テレビの『皇室日記』です。後者は92年に放送開始した『皇室グラフィティ』を前身に持ちます。

――前身番組のほうが、なんだか新しい空気感を反映したタイトルですね。

堀江 おそらく“若き皇族”として秋篠宮さまと紀子さまの人気が高かった当時に、新しい皇室番組を目指して開始されたのでしょうけれど、90年代前半の宮内庁が打ち出した、皇族方を撮影する際の厳格なルールが災いして、保守化せざるをえなかったのではないかと思われます。

 地上波での3つの番組に加え、BSフジで「皇室のこころ」がレギュラー放送され、テレ東では「皇室の窓」が不定期放送されています。宮内庁内に新設された「広報室」が独自に情報発信することも結構ですが、これらの「皇室番組」の再活用も考えられていくとよいですね。

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