私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。
<今回の有名人>
「40過ぎても純愛やねんなって思ってしまう私って、おかしいのかしら?」上沼恵美子
『上沼・高田のクギズケ!』(6月18日、読売テレビ)
女優・広末涼子とフレンチレストランオーナーシェフ・鳥羽周作氏のダブル不倫騒動。6月18日放送の『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)に出演したMC・上沼恵美子(以下、えみちゃん)は、「40過ぎても純愛やねんなって思ってしまう私って、おかしいのかしら?」と発言していた。
「おかしいのかしら?」という疑問表現から、えみちゃんが、自分の意見は世間で支持されない可能性があることに気付いていることがわかる。実際、ネットでは「不倫を美談にしている」とえみちゃんの意見に納得していない人も見られたが、私は彼女が広末の不倫を肯定するような発言をした気持ちがわからなくもない。
なぜなら、不倫が露見すると芸能人(特に女性)が活動休止に追い込まれるようになったのはここ数年で、ある時期までは、特に既婚女性の不倫は、ある種の“ステイタス”とされていたから。その時の感覚が、えみちゃんには残っていたのではないだろうか。
既婚女性の不倫が、一部から好意的に捉えられた例といえば、90年代の松田聖子が思い浮かぶ。俳優・神田正輝と結婚し、出産した聖子は、全米デビューに備えて、お子さんを実母に預けて渡米。現代でも、女性が同じことをしたら周りからうるさく言われるだろうが、90年代のバッシングは現代の比ではなかった。
そんな彼女を応援したのが、文化人と呼ばれる女性たちだった。「オトコが一旗あげるために、女房子どもを置いて渡米したら、それでこそオトコだと褒めるくせに、同じことをオンナがやると叩くのは女性差別だ」と聖子を擁護したのだ。
聖子はその後、アメリカ人男性と不倫関係に陥り、またしてもバッシングされるが、ここでも女性文化人が「オトコがやることを、オンナがして何が悪い」と聖子の味方をし、聖子が男性とうわさになるたびに人気が上がるという、今では考えられない現象が起きていた。
2000年代に入ると、民主党の姫井由美子議員(当時)が、「週刊文春」(文藝春秋)に不倫を報じられた。姫井氏は当時、「姫の虎退治」というキャッチフレーズを掲げ、自民党の大物議員・片山虎之助を破って初当選を果たした期待の新人だった。
姫井氏には夫と子どもがいたが、年下の男性と不倫関係にあった。2人の間には金銭トラブルがあり、男性は不倫の証拠となる温泉旅行の写真を「文春」に持ち込む。この時、男性から「彼女はかなりのMで『ぶって、ぶって』とよくせがまれた」と性事情まで暴露された姫井氏は、「ぶって姫」というあだ名をつけられ、世間の笑いの対象にこそなったものの、「カネのためにオンナを売るオトコ」と男性が非難され、彼女自身はあまりバッシングされなかった印象がある。
それでは、90~00年代は、不倫全般に寛容だったかというと、そうでもない。同じ頃、独身の佐藤ゆかり議員が、選挙に出る前、既婚男性と不倫関係にあったと「文春」にスクープされた。その証拠として、彼に送った熱烈なメールも掲載され、大きな話題になった。選挙中の記事ということで、よくあるネガティブキャンペーンとして受け止められた可能性も否めないが、佐藤議員を積極的に擁護する人はいなかったと記憶している。
なぜ当時、独身女性の不倫は冷ややかに見られるばかりなのに、既婚女性の場合は擁護されたり、バッシングが少なかったりしたのか。それは日本独特の「男性に選ばれてこそ、一人前」という男尊女卑思考と無縁ではないだろう。
「男性に選ばれてこそ、一人前」という視点で女性を見た場合、独身女性はたとえ本人に結婚願望がなかったとしても、勝手に「選ばれないオンナ」のカテゴリに入れられてしまう。一方、既婚女性は男性に結婚相手として選ばれ、不倫という形ではあるが恋愛対象としても選ばれた――ある種の甲斐性を持った女性と見なされたからこそ、一部でおかしな“尊敬”を集め、それほどバッシングされなかったわけだ。
不倫という倫理にもとる行いを“純愛”と表現したえみちゃんの言わんとすることが、私にはわかるような気がする。
えみちゃんはそもそも、既婚者でしかも不倫できるのは、それだけ魅力的な人と、広末を好意的に見ているのだろう。その上で、広末の不倫相手が大物映画監督やプロデューサーというような、彼女の仕事に直接的なメリットをもたらす存在ではなく、それどころかバレたら大変なことになる人物だと知り、彼女にピュアさを感じたのではないか。しかも広末は、ラブレターという不倫の証拠になるものまで残してしまうほど、相手に夢中になっていた。そこも含め、えみちゃんは、この不倫を“純愛”という肯定的な言葉で表現したと感じた。
こうやって考えてみると、女性の不倫に対する世間の反応は、「その時々の社会が女性をどう捉えているのか」を反映しているといえる。広末涼子という、時代を代表するスターが不倫をして猛バッシングされるのは、「男性に選ばれてこそ、一人前」という価値観は薄れる一方、「妻とは、母とはこうあるべき」という別の抑圧も感じてしまう。今はボコボコに叩かれている広末だが、きっと復活を遂げると信じて、その日を待ちたいものだ。