“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
中学受験が過熱する現在、「母子の受験」は完全に過去のものとなり、「親子の受験」が定番化している。つまり、母親だけでなく父親も我が子の中学受験に関わるようになり、どの中学受験相談会にも、父母が揃って来場するケースが多い。中には、母親ではなく、父親が受験を主導するというご家庭も稀ではない状況だ。
ところが、父親と子どもの関係は、母親と子どものそれ以上に難しい。拙書『わが子を合格させる父親道 やる気を引き出す「神オヤジ」と子どもをツブす「ダメおやじ」』(ダイヤモンド社)でもつづったが、中学受験界では、「神オヤジ」よりも「ダメおやじ」のほうが、圧倒的に出現率は高いのだ。
その理由は、優秀なビジネスマンほど、受験に仕事の手法を取り入れてしまい、妻子の気持ちを置き去りにしてしまうことが多いからだと、筆者は見ている。「私の子どもにあんな心ない言葉をかけて泣かせるなんて、一生、許さない!」と怒りに震える母の声もよく聞くところだ。
しかし、たまに「りんこさん、私、パパと結婚して本当によかったです。中学受験を経て、惚れ直しました!」と報告に来るママさんもいる。
その1人が智美さん(仮名)である。彼女は医療職に就くワーママで、会社員である夫・健司さん(仮名)と息子・裕也君(仮名)の3人家族。結婚当初から共働き世帯だったため、裕也君は保育園を卒園後、小学校からは学童を利用していたそうだが、小4になるタイミングで、中学受験塾に入塾させたという。
「『何がなんでも中学受験をさせる!』っていう気持ちはなく、長時間、安心して子どもを預かってもらえるところならば、正直、塾じゃなくても良かったんです。当時の夫は、仕事が忙しすぎて、それこそ土日もないような毎日。実家は遠方で、育児も家事も私だけのワンオペになりがちで、裕也に勉強を教えるなんていう体力も気力もありませんでした。成績?当然ボロボロで、日能研の偏差値で、良くて40台でしたね(笑)」
そんな折り、世の中はコロナ禍を迎える。健司さんの会社は完全リモートになり、毎週のようにあった接待もすべてナシに。結婚以来、初めて夫が毎日24時間、家にいる生活になったという。
「私は仕事上、感染対策でピリピリしていた時期でした。夫はそんな私を気遣ってくれ、家の中のことをほとんどやってくれるようになったんです。これはうれしい誤算でした」
当時は塾の講義もオンラインに。健司さんが早めに夕飯を作り、塾の講義に間に合うよう、裕也君に食べさせてくれていたそうだ。そのおかげで、智美さんは安心して職務に励むことができたという。
◎中学受験、自己嫌悪に陥っていたワーママの“うれしい誤算”
「夫は、積極的に裕也の勉強を見ていたわけではなく、ただ、リビングで講義を受ける裕也の姿が見える位置で、聞くともなく講義を耳にしていただけだったと思います。でも、裕也にとっては見張りがいるようなものなので、とりあえずは講義にはちゃんと参加せざるを得ない状況が生まれた……というわけです(笑)」
そんなある日、健司さんは裕也君にこう問いかけたという。
「塾の講義って面白いな! 裕也は何の科目が好きだ? パパもちょっとやってみようかな?」
そして、裕也君のテキストをパラパラ見るようになり、計算問題の宿題で、どちらが早く解けるかという競争しだしたそうだ。
「中学受験の問題って、大人でも難しいんですね。その頃、裕也は5年生でしたが、計算だけはなぜか得意で、夫を打ち負かしたようです。それが、裕也にとっては快感だったみたいなんですよ(笑)。ほかにも、2人は『A先生が可愛い』とか『B先生のジョークがスベっていた』とか、そんな他愛もない話をして盛り上がるように。当時リビングからは、2人の笑い声がよく聞こえていました。私は、『パパと息子が仲良しなのはいいことだなぁ』なんて思いながら、寝落ちしていましたけど……」
6年生になると、コロナ禍もどうにか落ち着き、塾も対面授業に。しかし、そこでも智美さんにとってうれしい誤算があったという。引き続きリモートワーカーであった健司さんが、塾のお弁当作りと送り迎えを買って出てくれたからだ。
「本当に助かりましたね。コロナ前までは、どうしても都合が付かないことが多くて、裕也は1人でバスに乗って塾へ行っていましたし、お迎えも正直、やりくりが大変でした。自分が一杯いっぱいだったので、些細なことでも裕也を叱りつけたりして、それでまた自己嫌悪に陥るという悪循環で、『こんな家庭が中学受験をしていいんだろうか?』とまで悩んだほどです」
◎中学受験の「神オヤジ」が妻にかけた言葉――「難しくて、俺には無理!」
当時、健司さんがやっていたサポートは、お風呂掃除とお弁当&夕食作りに塾の送り迎え……計算の競争相手にはなるものの、勉強はまったく見ていなかったそうだ。
一度、智美さんは健司さんに「裕也の勉強をみてあげてよ』と頼んだことがあるというが、彼女は「その答えが秀逸だった」と振り返る。
「難しくて、俺には無理! 裕也に任せる。裕也はこんな難しい問題を解いてて、ホント、頑張ってるよな。俺が小学生の時には考えられない。偉いな、アイツ!」
知美さんいわく「夫は多分、裕也の性格をわかって、あの時、裕也に聞こえるようにワザとああ言ったんだと思う」とのこと。なんでも裕也君はどちらかというと、おだてに弱いタイプで「あれも夫の作戦だったのかもしれません」。
健司さんの作戦は、目に見える“結果”に表れた。5年生までの裕也君は、日能研の偏差値で40台だったらしいが、徐々に上がっていき、結局、偏差値55の学校に入学したという。
裕也君は健司さんと話しながら塾から帰る時間が、楽しみで仕方なかったそうだ。健司さんは決して、裕也君の成績のことも勉強の進捗状況ことも聞かず、「お弁当の好きなおかずベスト10」や「2人でハマっているゲームの攻略法」など、智美さんいわく「どうでもいいこと」で盛り上がっていたという。
「夫は私と裕也にとって『神オヤジ』です。受験直前、夫は私に、裕也にも聞こえるくらいの声で、『俺たちの子だから、何の心配もしてない。アイツは受かるよ』って言ったんです。きっと裕也もそれで自信を持てたと思いますよ。ウチの夫、最高じゃないですか?」
中学受験の体験談を聞くつもりが、うっかり、惚気られた次第だが、私の出会ってきた「神オヤジ」の妻たちは、高確率で「中学受験をきっかけに、夫に惚れ直した」と話す。そういうご家庭の中学受験物語は、ハッピーエンドが多いというのが筆者の印象だ。やはり、家庭平和は何よりも大事なのだろう。