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歴史エッセイストが朝ドラ『らんまん』主人公の“伝説的なクズ性”を暴く!

ByAdmin

7月 29, 2023 #コラム

国民的ドラマといわれるNHKの連続テレビ小説、通称「朝ドラ」。今期は天才植物学者・牧野富太郎をモデルにした『らんまん』が放送中だが、どうやらドラマでは描かれないヤバいエピソードを持つ人物のようで……。『本当は怖い世界史』(三笠書房)『あたらしい「源氏物語」の教科書』(イースト・プレス)などの著者、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が朝ドラ『らんまん』主人公の実像をひもとく!

 <性(せい)の力の尽きたる人は/呼吸(いき)をしている/死んだ人>――これは、NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』主人公のモデルの天才植物学者・牧野富太郎が、晩年に詠んだ川柳です。性の方面が枯れても平気な高齢者、もしくはそれを良しとする風潮に対し、真正面から「NO!」を突きつけているのですが、牧野の人生を象徴する言葉のように思えてなりません。

 その出自については、土佐(現在の高知県)の地に生まれ、「幼い頃に両親を亡くし、小学校の勉強に飽きて2年で自主退学した富太郎にはほとんど友人らしい友人もおらず、植物に囲まれ暮らしていました」とされ、本人も「私はよい暮らしにも、よい女にも興味がない、植物だけが愛人」という趣旨の発言もしています。ところが、彼の人生を大きく突き動かす原動力は「性」でした。

 「性」という漢字は、「せい」だけでなく「さが」とも読みますね。牧野の「性」は、「さが」が6割、「せい」が4割といったところでしょうか……。

『らんまん』主人公、快楽に溺れる“恐るべき性”

 「ケチは植物学者にはなれない」と語った牧野は、湯水のように金を費やして研究に没頭したといわれます。しかし、彼が後に数億円もの借金を作った理由は、研究費のためだけではなく、質のよい衣服、音楽、高級旅館での生活など、彼好みのライフスタイルを送るためでもあったようです。

 そういった貴族的な快楽の誘惑を前にすると、牧野の中からあらゆる倫理感と義務が蒸発してしまい、実家の造り酒屋「岸屋」の資産を使い込んで破産に追い込むことや、借金取りに怯える妻子と瀕死の我が子を放置するといった、世間的な悪行のすべてがどうでもよくなってしまうようなのです。これが彼の恐るべき「性(さが)」のひとつでした。

 もう一つの「性(せい)」については、寿衛(すえ)夫人との間に13人もの子どもを作り(成人したのは7人)、晩年、寝たきりになっても壁に貼られた彼女の写真を眺めていた牧野が「浮気をした形跡はゼロ」と語る書物もあります。

 しかし、大正初期の段階で10万点もあったという、牧野お手製の「植物標本」だけを担保に、3万円もの借金を肩代わりしてくれた、年下のパトロン・池長孟(いけなが・はじめ)と断絶したきっかけは、セックス絡みの悶着でした。

 大正当時の3万円は、日本銀行で確認できる企業物価指数をもとにすると、現在の3000万円程度ですが、「現在の金額に換算すると、六、七千万円とも、一億円ともいわれる(鷹橋忍『牧野富太郎・植物を友として生きる』)」という説も。利子すら支払えなくて、研究道具はおろか、家財一式すべて債権者に取り押さえられている状態でした。

 つまり、牧野が公言する「私はよい暮らしにも、よい女にも興味がない、植物だけが愛人」という言葉は彼の理想にすぎず、まったく事実を反映していないのです。

色街で使い込み、メイドにセクハラ

 池長が肩代わりしてくれたため、借金の重圧から解放された牧野は、神戸の色街として有名だった福原地区の安女郎屋・長谷川楼に入り浸り、「数百円(=現在で数百万円とも)」も使い込んでしまいました。

 さらに牧野が神戸に滞在する際、使用を許されていた池長家の別荘において、メイドに「よからぬ行為(=セクハラ)」に及んでいたことまで判明し、牧野は窮地に追い込まれます。

 この時、牧野は50代後半で、当時では高齢者の域でしたが、その「性」の力の凄まじさには驚くばかり。ある証言によると、90歳の時に60歳くらいに見えたし、彼女もいたといわれる牧野ですから、本当に50~60代だった頃は、完全現役で「性」のニオイが漂う男であったのだと思われます。

 牧野の「性」の逸話は、その性欲のすごさのわりには女性スキャンダルが珍しいという不思議な印象があるのですが、数少ないスキャンダルについては「たまたま女性絡みの事件がいくつかあった」というのではなく、ほかにもその手の事件は起きていたのですが、牧野の周辺が巧みに揉み消せていただけではないか……などと筆者には疑われるのです。

 若い頃は、デビュー当時の氷川きよしさんにもう少し野性味を加えたような美少年・牧野がモテたことは想像に難くありません。しかし、おなかが出て、髪も薄くなった中年以降は、ビジュアル的には美中年、美老人とはとてもいえず、それでもなお第一線の色男として振る舞い続けられたのは、写真には残せない要素――たとえば生まれつきのフェロモンが甘い蜜の香りとなって、なおも匂い立っていたからかもしれません。たしかに牧野はいくつになっても笑顔が可愛らしく、女たちから磨かれてきた色男としての片鱗は写真の中からもうかがえるようですが……。

 茶目っ気とサービス心にあふれ、周囲を喜ばせるようとする言動が多かったという牧野。

 そんな牧野による女性の籠絡は、幼年時代、祖母・浪子を相手にはじまったようです。

 亡くなった両親の代わりに、牧野を育てた浪子から溺愛された後は、いとこで、形だけの妻となった猶(なお)、次には14歳の若さで彼から見初められ、「妻」となった寿衛(すえ)……人生の多くの段階で、女たちから溺愛される宿命の牧野は、彼にすべてを捧げる女たちから守られつづけました。

 それゆえ、彼は「金もないのに豪華な生活をしてはいけない」とか「自分を好いてくれる女たちをボロ雑巾のように扱ってはいけない」とかいった世間一般の良識がまったく理解できなかったのかもしれません。いや、そういうことが理解できない天衣無縫な彼だからこそ、ある種の女たちは牧野富太郎という「悪の華」の蜜に毒され、離れられなくなってしまったのかもしれませんが……。

 周囲をまきこむほどの抗いがたい「性」の力に突き動かされた植物学者・牧野富太郎は、のちに「日本の植物学の父」と呼ばれることになり、「ムジナモ」のほかにも数々の新種植物の発見、そして50万点にも及ぶ植物標本、さらには膨大な観察記録を反映した『牧野日本植物図鑑』などの著作を残した巨人として、歴史に名を残しました。

 牧野富太郎に振り回された女たちの血と汗と涙は、彼の仕事を見る限り、大輪の花として開き、結実したともいえますが、その私生活を覗き見ると、牧野が伝説的なクズであったことはあきらかです。

 あまりに無茶苦茶であるがゆえ、ある意味、あっぱれともいわざるを得ませんが、そんな牧野のパワフルすぎる素顔を、次回から振り返っていきたいと思います。

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