“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
親など近しい人が亡くなるとき、不思議な経験をしたという人は少なくない。
冨中繫さん(仮名・52)は、まだ60代だった母親を亡くした。看取り期、母の最期の日々を病室に泊まり込んで過ごした。
「ふと時計を見ると、針が止まっているんです。まだ新しい時計なので、故障するには早い。病室を出てしばらくすると動き出しました。何でだろう、とは思いましたが、そう気にも留めていませんでした。それがまた病室に戻ってしばらくすると、時計が止まっているんです。不思議だというか、母が死に向かうエネルギーのようなものが時計を停めているのかなと思いました」
数日後、母親が亡くなると、何ごともなかったように時計は再び動き出したという。それ以来、止まることはなかった。
母親は、息子と別れたくなくて、時を止めていたのだろうか。それとも、冨中さんの母親と別れたくないという強い思いが、時を止めたのか――。
「私と娘にお別れを言いに来た」夢に現れた祖父
【父が急死した春、台所に置かれた“目を疑うもの”】で紹介した宮坂志満さんの長女、友香さん(仮名・34)は、宮坂さんの両親にとって初孫だったこともあり、祖父(宮坂さんの父)には特にかわいがられていた。
祖父と同居してからは、塾や通学に駅まで送迎をしてもらったり、一緒に海外旅行に行ったりして、それは仲が良かったという。友香さんが結婚してからは会う機会が減っていたが、結婚6年でようやく赤ん坊が生まれると、祖父は初めてのひ孫誕生に大喜びした。
祖父が亡くなったとき、友香さんはたまたま子どもを連れて里帰り中だった。
「おじいちゃんの様子がおかしい」と宮坂さんに呼ばれて見に行った友香さんは、宮坂さんと「今のところは大丈夫だろう。明日病院に連れて行こう」と決め、いったん部屋に戻った。その夜、友香さんは祖父の夢を見た。
「おじいちゃんが娘を見に来てくれて、うれしそうに抱っこしていました。『あ、写真を撮っておかないと』と思った夢でした。翌朝、母からおじいちゃんが冷たくなっていると聞かされ、あのときおじいちゃんは私と娘にお別れを言いに来てくれてたんだと思いました」
宮坂さんからは「私のところには来てくれなかったのに。やっぱり友香が一番だったね」とうらやましがられたという。
「90近いおじいちゃんが、まだよちよち歩きの娘をひょいと抱き上げようとするのが危なっかしくて、あまり抱っこさせないようにしていたんですが、もっと抱っこさせてあげればよかった……」
涙ぐむ友香さんの背中に、そっと寄り添う祖父の姿が見えるような気がした。
「姉が亡くなったのかも」部屋のカーテンが不自然に揺れた
「一番身近な人のところには、お別れのあいさつに来ないのかもしれないです」と言うのは、兄嫁を亡くした久本晶子さん(仮名・59)だ。兄嫁は、闘病生活を経てまだ50代で亡くなった。
「兄の悲しみは深く、そばで見ているのもつらいほどでした。そのうえ、義姉は亡くなるときも、その後も夢にさえ出てきてくれないと嘆いていました。それが、義姉の弟のところには、亡くなった時間に来ていたらしいんです。窓も閉まっているし、風もない状況なのに、部屋のカーテンが不自然に揺れて、弟さんはすぐに『姉が亡くなったのかも』とピンときたんだそうです。霊感などまったくないし、そういった話は非科学的だと一笑に付していた人だったのに。こういう感覚は、理論で説明付けられるものではないのでしょうね
ところが、この話。兄は義姉の一周忌が済むとまもなく再婚した、というあまりに現実的なオチがつくのだが――。