私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。
<今回の有名人>
「私は無邪気に傷つけていたんだなと思って」一青窈
『24時間テレビ 愛は地球を救う46』深夜コーナー「上田と女が朝まで吠える夜」(8月27日、日本テレビ系)
「親しき中にも礼儀あり」ということわざがあるように、人と人とが付き合う時に“気遣い”や“気配り”は欠かせない。その一方で、それが相手をイラつかせることになることもある――。8月27日放送『24時間テレビ 愛は地球を救う46』(日本テレビ系)の深夜コーナー「上田と女が朝まで吠える夜」を見て、そんなことを思った。
同企画は、毎週水曜日のよる9時本放送同様に、くりぃむしちゅー・上田晋也が司会で、多数の女性ゲストがテーマに沿ったエピソードトークを披露するが、今回は、普段より多くの女性ゲストが集められていた。
「明日のために葬りたい 女たちの黒歴史」というテーマでは、歌手・一青窈がこんなエピソードを披露した。
タレント・清水ミチコ、オアシズ・光浦靖子と親しくしていた一青は、2人に近況報告もかねて、3人の子どもが映った年賀状を送っていた。しかし、光浦が「人のリア充みたいなのを見ると、ちょっと胸が痛い」といったことを書いていたのを読んで、「私は無邪気に傷つけていたんだなと思って」「カナダに留学されて、疎遠になってしまって。怒っていらっしゃるのかな」と、自分の年賀状が原因で関係性が悪くなってしまったと思っているようだった。
光浦の相方である大久保佳代子 は、「大丈夫、あの人、人の子ども大好きで、人の子どもの卒園式とかよく行ってましたから。大丈夫だと思います。自分の子だと思ってかわいがってましたから」と即フォロー。清水も「絶対ないよ」と援護射撃し、「しかも(一青が送って来た年賀状に載っていた子どもとの写真は)面白写真なんだもんね。リア充の人たちは面白写真撮らないから」とやんわり、“おまえもリア充じゃないからな”と、かるーく一青を落として、オチをつけた。
一青の明かしたエピソードって、「気を使いすぎて、かえって失礼なことをしてしまう」の典型ではないだろうか。
一青にはまるで悪気はないのだろうが、このエピソード、実はものすごく失礼なことを言っている気がする。「リア充を見ると、胸が痛い」と書いていたという光浦に、3人の子どもの写真入り年賀状を送ったことで「私は無邪気に傷つけていたんだなと思って」と言っていたが、これって見方を変えると「子どもがいる私はリア充、独身で子どものいない光浦さんは非リア充」と決めつけているも同然ではなかろうか。
一青が「子どもがいる私はリア充だ」と思うのは自由だし、それだけ満ち足りた生活を送っている証拠だから喜ばしいことだが、一青の思うリア充と、光浦の思うリア充が一致するとは限らない。それに、もし光浦が「リア充とは子どもがいる人」と認識し、そういう人を見るのは「胸が痛い」と思っているとしたら、お子さんのいる清水とはそもそも付き合わないはず なので、彼女が「子持ち=リア充」と思っていない可能性のほうが高いのではないだろうか。
なぜ光浦が、子持ちに引け目を感じていると思われてしまうのか。それは彼女が、女芸人の「モテない」「結婚できない」といった自虐ネタがウケていた時代に売れた人だからだろう。 それゆえに、なんとなく実生活でも「モテない」「結婚できない」こと、ひいては「子どもがいないこと」に悩んでいるというイメージがついてしまったのだと思う。
しかし、失恋の曲ばかり作るミュージシャンが、実生活で失恋しまくっているとは限らないように、テレビやラジオで話したこと、原稿に書いたことが、光浦の本心とは言い切れないはずだ。
もし「リア充を見ると、胸が痛い」が本心だとしても、 光浦の言う「リア充」が何かを正確につかんでいるのは、相方である大久保や清水など、付き合いが相当長いもしくは深い人だけだろう。失礼ながら、一青はまだそのレベルに達するほど親しい間柄とは言えないようだ。
それなのに、自分のリア充基準で「私は無邪気に傷つけていたんだなと思って」と決めつけた揚げ句、「カナダに留学されて、疎遠になってしまって。怒っていらっしゃるのかな」とテレビで言ってしまったら、光浦を“一青の幸せに嫉妬して、関係を絶った狭量な人”のように 感じる視聴者も出てくるだろう。
幸い、相方である大久保、清水という芸達者な2人がフォローしてくれたから、光浦のイメージが低下することはないと思われるが、もし適切なフォローがなければ、とんだもらい事故だったのではないか。
一青は、番組内で20年以上前からファンだという叶姉妹と会いたいとリクエストし、めでたくご対面となった。しかし、一青はファンだという割に、2人を喜ばせる質問ができない。「どこのスパが一番よかったか」「語学はどうやって習得したか」と質問するが、会話はあまり広がらなかった。
それに対し、タレント・重盛さと美はうまい。「インスタをフォローさせていただいているんですけど」と名乗った上で、「何も入らないちっちゃい鞄シリーズが好きで」とインスタ内の“定番企画”に触れたところ、2人は表情をほころばせていたし、会話も弾んだように感じた。
なぜ一青との会話は素っ気なかったのに、重森の時は盛り上がったのか。それは重森が「叶姉妹のこと」に触れたからではないだろうか。どこのスパがいいとか、語学の勉強法は叶姉妹でなくてもコメントできる。けれど、「何も入らない小さなバッグシリーズ」は叶姉妹のオリジナルネタなので、彼女たちでないと答えられない。だからこそ、叶姉妹もコメントに力が入ったように思う。
光浦にも叶姉妹にも気を使っているけれど、結果的に一青の言動がどこかズレていたり、失礼になってしまうのは、一青の物の見方が自分中心だからではないだろうか。これは自分の色で勝負していくアーティストにとっては大事なことだが、一歩間違うと「自分勝手な人、勘違いな人」になってしまう。
バラエティ番組のトークは周りを見つつ、バランスを保つ(誰かを悪者にしない、時には自分が笑われ役を引き受ける)ことが必要なので、そもそも、アーティストにはあまり向かない、というか、出演するとイメージダウンになってしまう気がする。「餅は餅屋」ということわざがあるが、音楽に専念することをおすすめしたい。