“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
前回は、水崎静香さん(仮名・58)が感じた仲間内での老後格差を紹介した。家庭環境が似ていて、互いの話に共感しあっていた仲間の一人が、親が持っていた首都圏の土地を相続した。駐車場にして結構な額が毎月入ってくると聞いた水崎さんは、もう仲間で老後のお金の話はできないと感じている。
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遺産を手にして変わったのは友人か? 周りの人間か?
「水崎さんと似たような経験がある」と話すのは河西恵里さん(仮名・53)だ。今はフリーで活動しているが、若いころは小さな会社に所属していた。当時の同僚たちは、多くが河西さんと同じように独立しているが、似たような仕事をしていることもあり、ずっと連絡を取って、定期的に集まっては情報交換などをしてきた。
「いわば戦友のような存在ですね。皆年齢も収入も同じくらい。大きく成功した人もいなければ、食べていけないという人もいない。男性も女性もいますが、私のようにいまだに独身とか、結婚していても子どもはいないとか、長く付き合うには家庭環境が似ているのも居心地がよかったのだと思います」
そんな仲間の関係が変わったのは、東日本大震災がきっかけだ。
仲間の一人、Wさん(男性)は福島の被災地出身。実家には高齢の母親と妹が暮らしていたという。
「彼のお母さんと妹さんは原発事故で避難を余儀なくされ、県内外を何か所も転々としていると言っていました。それがあるとき、福島の別荘地を何区画も買って、そこに大きな家を建てているというんです。多分、東京電力から莫大な慰謝料をもらったんだろうと仲間内ではうわさしていました」
ところが、建物が完成する前に、Wさんの母親と妹が相次いで亡くなってしまった。
「二人ともガンだったようです。病気がわかったときにはすでに末期で、原発事故が原因じゃないかと彼は言っていました。残された広大な別荘地と家は彼がすべて相続することになったようです。そしてまもなく、東京の家を引き払ってその別荘地に引っ越していきました」
「そこに住まないと二重生活になるし、大きな建物なので維持費もバカにならないから」と、Wさんは言い訳のような言葉を仲間に残して、福島に戻った。
「独立したお金のないころから、苦楽をともにした奥さんとは離婚したんです。奥さんが『そんな見知らぬ別荘地には住みたくない』と言ったと彼は言っていましたが、私はあながちそればかりが理由だとは思えない。莫大なお金を手にすると、人が変わります。彼はそれまで実家には長いこと帰っていませんでした。お父さんの介護もお母さんの面倒も、妹さんに任せっぱなしだったんです。それなのに簡単に莫大な遺産を手にして、急に羽振りがよくなった彼に私たちは違和感を抱いていました。きっと、奥さんも彼の変化についていけなくなったんじゃないでしょうか」
長く、そして親しく付き合ってきた仲間の関係も変わってしまったと、河西さんは感じている。あれ以来、仲間の集まりにWさんが加わることはない。お金を手にした人が変わるのか、それを感じ取った周りのほうが変わるのか……それはわからない。それでも、昔からの関係性はもう元には戻らない。
「『奥さんはソンしたよね』と皆で同情しています。離婚しないで別居するくらいにしておけば、彼の死後莫大な遺産が入っただろうに、って。私たちもちょっと僻みっぽくなっているのかもしれないですね(笑)
大当たりの「親ガチャ」
前回お話を聞いた水崎さんは、最近歴史小説を読んでいて「化粧料」という言葉を知ったという。
「江戸時代、身分の高い女性が嫁ぐ際の持参金や土地のことだそうです。夫が亡くなっても、土地を持っていれば毎年年貢が入ってくるわけですから、一生安定した収入が約束されている。友人が親から相続した都心の土地って、まさに“化粧料”だなと思いました
江戸時代のお姫様も、親の遺産がたっぷりある人も、「化粧料」があれば一生安泰。大当たりの「親ガチャ」だ。