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キンプリ・永瀬廉がメンズメイク誌表紙に! メディア研究者が語る「男性の化粧」が社会にもたらすもの

 King&Princeの永瀬廉が、メンズ向けビューティ&ファッション誌「CYAN MAN」12月号(カエルム、11月10日発売)の表紙に登場する。永瀬のエキゾチックな顔立ちをさらに魅力的に見せるメイクにファンは大興奮。SNSでは「ビジュアル強い」「すんごいカッコいい」といった声が多数飛び交っている。

 ジャニーズとメイクといえば、2020年、世界的コスメブランド「パルファン・クリスチャン・ディオール」とSnowMan・ラウールのコラボレーションが話題になった。

 当時、16歳だったラウールは、コラボ動画に「ディオール アディクト ステラー ハロ シャイン」の“FAITH STAR(620)”と「ディオール アディクト ステラー グロス」“STELLAR(092)”の2商品をつけて登場。彼の美しさに多くの人が釘付けになった。

 コスメ広告に起用されるのは女性という時代も今は昔。昨今、横浜流星や錦戸亮、吉沢亮といった女性に人気の男性タレントを起用するプロモーションが流行を見せている。また、「CYAN MAN」のようにメンズメイクをテーマにした雑誌も刊行されるようになっている。

 このような状況は、「男性も化粧をする時代」の到来を感じさせるが、果たしてそれが社会にもたらすものとは?

※2020年3月27日公開の記事を再編集しています
※記事内の情報は公開時のものです


▼前編はこちら

 「パルファン・クリスチャン・ディオール」とSnowMan・ラウールのコラボレーションが話題となった。2月下旬、ファッションウェブサイト「ELLE ONLINE」上で公開された動画は、ラウールが自らの唇にリップを塗ってみせるという演出も相まって、すぐさまSNS上で拡散され、先行販売されたラウールの使用色のリップとグロスは、即完売だったという。

 さかのぼること24年前、くしくもジャニーズ事務所の先輩にもあたる木村拓哉の口紅の広告が、当時大きな反響を呼んだ。カネボウ「Super Lip」のイメージモデルを務めた木村は、頬に赤いリップを走らせた姿でどこか挑発的な視線を送り、「スーパーリップで攻めてこい。」というキャッチコピーとともに強烈な印象を残した。この広告で木村は、キャッチコピーからもわかる通り「リップをつけた女性に攻められる相手」として、つまり、欲望の受け手という役割を担っていた。一方、今回のコラボ動画の中で、ラウールは真っ白い衣装を身にまとい、リップを自らの唇に引いて踊った。男性でありながら、リップをつける主体として立ってみせたのだ。

 双方を比較すると、同じ「リップの広告の男性モデル」ながら、そのイメージは大きく異なっていることがわかる。では今の時代、男性タレントが化粧品の広告に登場し、また自らの唇をリップで彩る行為には、どんな意味があるのだろうか。これについて、メディア文化論を専門とする大妻女子大学の田中東子教授は、まず「男性がメイクをすること自体は、特に目新しいことではない」と話す。

「男性のメイクは、70~80年代に流行したグラム・ロック、ニュー・ウェイヴといったイギリスの音楽カルチャーの中でも見られた現象です。それは日本にも派生し、坂本龍一をはじめとするアーティストたちがメイクを施したり、少女マンガに美しく化粧した男性たちが登場したりしました」(田中教授)

 その後、アーティストのメイクはヴィジュアル系バンドカルチャーに受け継がれ、男性のメイク文化は残り続けることになる。その上で、田中教授は、今回のラウールとディオールのコラボの目新しさは「男性のメイクを広告したこと」だと説明する。

「ディオールとのコラボ広告で、ラウールさんは化粧する主体として表象されています。また、ガールズコレクションのステージで彼が一般人男性に向けてリップをすすめたこと、それがこの広告の新しさです」

 2月29日に開催された「東京ガールズコレクション」に出演したラウールはディオールのリップを施したてランウェイを歩き、「メンズの方にも使っていただきたいです」と話している。これまで、美容のカルチャーは「女性のもの」とされてきた。そこにディオールとラウールのコラボ広告は、男性にリップを引く権利を公然と与えたのだ。男性にとってタブー視されていた「日常的にメイクする自由」という扉を開いたのである。またこれは、分断されてきた「男性の消費」と「女性の消費」の境界をなくそうという試みとも解釈できる。

「ただ、この裏には、女性全体に行き渡ってしまった美容産業が、市場拡大のため男性をターゲットにせざるを得なかったという事情もあるはず。つまり、男性は解放されると同時に、搾取の対象になるということでもあるのです」(田中教授)

 さらに田中教授は、男性のメイクが肯定されることは、既成概念や偏見の助長にもつながりかねないとも指摘する。

「男性までもがメイクをするようになれば、女性に対する『メイクをして当然』という風潮はより強まるかもしれません。メイクをしたくない女性たち、メイクにお金をかけられない女性たちに対する風当たりが強くなる可能性もある」

 また男性のメイクが一般化すれば、容姿の良し悪しによる差別意識(=ルッキズム)も強まるだろう。「『人は男であろうとも美しくあらねばならない』といった考えに行き着けば、男性は解放されるどころか縛り付けられることにもなるかもしれない」。

 ラウールとディオールのコラボは、メイクをするという選択肢を男性に提案した。田中教授が示したとおり、それが資本主義の権威やルッキズムを助長することへの懸念も、また捨て置けない問題だ。「メイク」が性別を超えた「選択肢」として残り続けるためには、多様性への理解がさらに深まっていかなければならないのだろう。

 多様性とは、それぞれが違いを否定することなく受容しあって存在することだ。いま萌芽しつつあるのが「性別を問わないメイクの自由」であるならば、同時に「メイクをする自由」と「メイクをしない自由」の両方が認められるべきだろう。もちろん、従来的な美しさを目指さずとも肯定されなくてはいけない。ラウールが見せたのは、「男性がリップを引く」という目新しい行為だけでない。その先にある多様性への希望なのではないだろうか。

By Admin