“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
いよいよ秋本番。2月1日から始まる東京・神奈川私立中学入試までは、残すところ4カ月を切り、小学6年生は正念場を迎えている。
受験する中学校のラインナップを、そろそろ最終決定しなければならない時期に差し掛かっているが、中には、第1志望校合格への自信が揺らぐご家庭もあるだろう。
この「第1志望校変更」については、多くの受験関係者が「慎重に」と助言している(もちろん、筆者もだ)。
というのも、受験とは、高得点順に「合格」という扉が開くシステムだが、その扉をこじ開けるために一番大きな原動力となるのが「モチベーション」だから。
中学受験は、平均3年間の準備期間を経て行うもの。賛否両論あれ、小学生に長期間に及ぶ過酷な勉強を課すことは事実だ。極論すれば、彼らの多くは「第1志望校に行きたい!」というモチベーションだけで、この長い時間を勉学に費やしている。それなのに、親であれ、塾の先生であれ、“自分以外の他人”が、「合格の可能性が極めて低いので、第1志望校は変える」と決定したとしたら――。
その瞬間、本当の意味で、受験生にとっての受験は「終わる」と筆者は思っている。
人は、たとえどんなに幼かろうが、自分の進路は自分の意思で選択すべきではないだろうか。
知り合いである亜衣さん(28歳・仮名)が先日、近況報告としてメールをくれた。会社を退職し、語学留学でカナダに来ているという内容だった。
彼女は中学受験を経て、偏差値50台(当時)の中高一貫校に入学。学校推薦でMARCHの一つである大学に進学した。卒業後は大手金融機関に一般職として入社し、傍から見れば、何不自由なく、順風満帆な人生のように見受けられた。
ところが、亜衣さんはこう言うのだ。「親から押し付けられる人生は、もうコリゴリ!」と。
彼女のメールによると、そもそも中学受験は、「自分がしたくて始めたものではなかった」という。親――特に母親は、模試の結果次第で機嫌が大きく変わり、いつも親の顔色を見るように勉強をしていたと、彼女は当時を振り返る。
「制服が気に入ったS中学に憧れていたんですが、6年秋になっても模試の判定結果は『合格率20%以下』。そのため、親から一方的に『受けさせない』と言われ、よく知りもしない安全校2校しか受験させてもらえなかったんです」
亜衣さんが受けたのは、いずれも伝統校。旧世代には聞こえがいいお嬢様学校ともいえる。実際、入学した学校には、特に悪い印象は持っていないという彼女だが、「今でも、S中に行けていたら、自分の人生は違っていると感じるんです。百歩譲って落ちたとしても、受験してダメだったならば、こんなに引きずっていなかったのでは? とも思います」。
亜衣さんは、中高ではジャズダンスをやりたいと思っていたものの、進学した学校には該当する部活がなく、親が勧めた茶道部に入部。しかし、部になじめず、ほぼ帰宅部として6年間を過ごした。
「成績だけは良かったので、学校からは国公立を目指してほしいと言われました。でも、親から『女の子なのに、万が一浪人になったら大変! MARCHに推薦で入れるなら、こんなに(聞こえが)いいことはない!』と説得され、たいして興味もなかった経済学部に進むことが決まりました」
就職活動でも、親の過干渉は続いた。親の条件は「聞こえがいい企業」「自宅から通える(=転勤がある総合職はダメ)」。結果的に、亜衣さんは名前の通りは良い金融機関に入ったが、「仕事は面白くはなかった」そうだ。そして、25歳を過ぎ、ようやく仕事にも慣れてきた頃から、今度は親から「結婚、結婚」とせっつかれるように。亜衣さんはそれが「うるさくて仕方がなかった」という。
「今年、28歳になったんですが、遅ればせながら、ようやく『自分の人生』について考えることができるようになって。今まで、親の言いなりで生きてきて、それが、普通だと思っていたんです。でも、心のどこかで『これらは私が決めたこと』ではないという気持ちを、ずっとくすぶらせていました。親の傍にいるのは安心安全ではあるんですが、『自分がやりたいことは何なのか?』ってことも考えられなくなっちゃうんですよ。それに気づいた時、愕然としました。私、自分が何をしたいかもわからないって……」
亜衣さんは、「せめて、自分が何をしたくて、何を望んでいるのかを知りたい。そのためには、親から離れないといけない」と思い、留学を決意。現在、知り合いも皆無だという異国で、毎日勉強に励んでいるのだそうだ。
中学受験にはメリットがたくさんある一方、もちろん、弊害もある。親が中学受験を通して、子どもの人生を乗っ取ってしまうことが珍しくないのだ。筆者はそれを“最悪な受験”だと感じている。
それでも、子どもの中学入学と同時に、ロケットが分離するように、親が子離れできればよいのだが、中学受験を経て、子どもの人生を乗っ取り、「2度目の人生を生きる」ことに味を占めてしまう者もいるのが実情だ。そういった親は、亜衣さんの親のように、いつまでも子どもからくっついて離れず、息子や娘の意思決定権を奪いがち。しかも、その多くは無自覚なので、余計に始末が悪いのだ。
人生は、自分の選択で生きるもの。志望校の判断もその一つだ。子どもの「この学校を受験したい」という意思は尊重されるべきものだと考える。たとえ「記念受験」と揶揄され、不合格になったとしても、子どもは「めげずに目標にトライしたこと」そして「頑張ったけれど、思いが通じなかったこと」という“人生経験”を獲得できる。長い目で見れば、これこそが、中学受験における子どもへの“ギフト”になるはずだ。
第1志望校への合格が危うい時、親がすべきなのは、我が子が転ぶであろうことを前提として、そのケガが最小限で済むように、第2志望校以下の受験戦略を固めておくことだろう。親の仕事は、子どもの夢は夢として大切に応援しながらも、実力相応校で、しかも、子どもの長所が伸びていくような環境を見つけることに腐心することだ。
これまで、たくさんの中学受験経験者の話を聞かせてもらってきたが、亜衣さんのように、成人してから、中学受験を振り返って、自身の人生を見つめ直す人は多い。その時に、「親は自分の意思を尊重してくれた」と思えるかどうかは、これから先の人生を左右する重大事項であると痛感している。
今現在の亜衣さんは「何をしても自分に跳ね返ってくる。責任も自由も全部、自分」という毎日に、とても満足しているそうだ。