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【ブリトニー・スピアーズ自伝本】衝撃的な10の告白! 『The Woman In Me』ファン騒然の内容とは?

ByAdmin

11月 4, 2023 #海外

 10月24日に発売されたブリトニー・スピアーズの自伝本『The Woman In Me』。

 90年代を代表する世界的アイドルだったブリトニーは、今でも出す曲全てがヒットする人気アーティスト。成功した超一流アーティストにしかオファーされないラスベガスの定期公演も、大成功に収めた。

 しかし一方で、私生活では家族や男関係に苦労し、連日大勢のパパラッチに追いかけ回され、精神的にメルトダウンしたことも一度や二度ではない。さらに、 成年後見制度による父親の支配下に置かれ、監視カメラをつけられた部屋で生活。避妊リング装着を強制され、ハードスケジュールで馬車馬のように働かされ、稼いだ多額のお金を詐取されるなど、壮絶な人生を歩んできた。

 「人は信用しない」と心に誓ったブリトニーだが、精神医療センターに入院中、ファンによる「フリー・ブリトニー」ムーブメント(ブリトニーを成年後見制度から解放させる運動)が起きていることを知り、「何も言わなくても、ファンには伝わっている」と感動。ムーブメントのおかげで13年間続いた悪夢のような成年後見制度から解放されることになったと、ファンに感謝している。

 そんなファンに自分の言葉で真実を伝えたいと執筆した今回の自伝本は、ショッキングな内容が多く、ファンは騒然。なかでも衝撃的な10つの告白をご紹介しよう。

目次:ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白

(1)スピアーズ家の過去
(2)溺愛していた妹に無視された
(3)13歳で飲酒、喫煙、無免許運転
(4)初体験は14歳、「永遠の処女」路線は嫌でたまらなかった
(5)20年の時を経て、ジャスティン・ティンバーレイクを猛批判
(6)クリスティーナ・アギレラについての記述
(7)超常現象を体験した
(8)ドラッグのチョイスは アデロール
(9)成年後見制度に同意したのは「子どもたちと会うため」
(10)2年間、チキンと缶詰の野菜しか食べさせてもらえなかった

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白1
【スピアーズ家の過去】

 壮絶な人生を歩んできたブリトニーだが、「悲劇はスピアーズ一族に繰り返されているものだ」と分析。

 父方の祖父ジューンは、3人の妻との間に10人の子どもをもうけた警察官だったが、「陰気」で「実の娘を11歳から彼女が家出する16歳まで性虐待した」とんでもない男だったとつづっている。

 ブリトニーのミドルネーム「ジーン」は、生き写しだった父方の祖母エマ・ジーンにちなんでつけられたのだが、エマは産んだばかりの息子を生後3日で亡くし、打ちひしがれていたところを夫ジューンにより精神科病棟に入院させられた。そこで躁うつ病の治療薬として知られるリチウム漬けにされ、8年後、亡くした息子の墓の前で拳銃自殺したのだった。

 ジーンの悲劇的な死から52年後の2018年、成年後見制度下に置かれていたブリトニーは父親ジェイミーに命じられ、3カ月間精神医療センターに入院。そこでエマも飲まされていたリチウムを服用するよう強要されたと明かしている。

 ブリトニーは幼少期の記憶をかなり細かく書いているが、父ジェイミーのことを「仕事がうまくいかず、父親に虐待された過去の苦しみから逃げるように酒を浴びるほど飲み、ぶつぶつ言いながら飲酒運転する人だった」、母リンのことは「夜、酩酊し気を失った父に怒鳴りまくるヒステリックな人。母の怒鳴り声のせいで眠ることができず、父よりも母にイライラした」と振り返っている。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白2
【溺愛していた妹に無視された】

 9歳半ほど年が離れている妹ジェイミー・リンのことを、ブリトニーは溺愛してきた。妹のためにと家や車を買ったが、甘やかされたジェイミーはわがままに成長。

 ブリトニーへの憧れもあり、ジェイミーは若くして芸能界に飛び込み、05年にニコロディオンのコメディ『Zoey 101』の主役に抜てきされた。しかし、わがままな性格は変わらず、番組の共演女優が自分の悪口を言っていると泣きつかれたブリトニーは、妊娠中の大きなおなかを抱えて撮影現場に怒鳴り込みに行ったこともあるという。しかし後に 事実無根だったとわかったそうで、その女優に「あの時はごめんなさい」と謝罪の言葉をつづっている。

 このようにジェイミーを溺愛していたにもかかわらず、肝心なことは何ひとつ打ち明けてくれなかったそうで、彼女が16歳で妊娠したことをブリトニーはメディアの報道で知ったと告白。また、18年に父ジェイミーから精神医療センターに入院させられたブリトニーが、妹に「助けてほしい」とSOSを出したものの「闘おうとしないで。できることは何もないんだから、反発するのはやめたら?」と突き放されたと明かしており、「私の味方をすべき妹が、私を無視した」と怒りをあらわにしている。

 そのジェイミーは、昨年、自伝本を出版。成年後見制度下に置かれる前のブリトニーの行動について「不安定」「妄想がすごかった」「テンションが高かった」と回想していたが、ブリトニーはSNSで「あの頃、私のそばにいなかったのに」「私をダシにしないでくれる?」と批判していた。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白3
【13歳で飲酒、喫煙、無免許運転】

 ブリトニーが13歳の頃から飲酒していたことは、母親や叔父により暴露されていたが、今回ブリトニーは「(ミシシッピ州の海辺の町)ビロクシに母と妹と旅行した8年生(13歳)の時に、母と一緒に飲んだダイキリが最初のお酒」だと明かした。

 アル中の父は酒が入ると気分が落ち込むタイプだったが、母とブリトニーは「ハッピー・ドリンカー」になるタイプで、母娘でお酒を飲むことは「楽しみだった」とも回顧。

 飲酒には寛大だった母親リンだが、13歳で喫煙することには猛反対。13歳で車も無免許運転していたブリトニーは、ある日、助手席に座った母親に「手からタバコの匂いがする! まさか吸ってるの!」と手を掴まれ、事故を起こした。「回転する車の中で、後部座席の妹を見た。シートベルトはしていたけど(チャイルド)シートには座ってなくて。全てがスローモーションのように見えて、『死ぬ! みんな死ぬんだわ!』って思った」と回想している。

 奇跡的に誰もケガはしなかったが、「柱にぶつかって車が止まった直後、母は飛び降り、私に罵声を浴びせまくった。母のせいで事故を起こしたのに」とヒステリックな母にうんざりしたと書いている。ちなみに母は喫煙者で、バージニア・スリム(現:バージニア・エス)を吸っていたとのこと。ブリトニーも同じ銘柄のタバコを吸う愛煙家だと明かしている。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白4
【初体験は14歳、「永遠の処女」路線は嫌でたまらなかった】

 14歳の時に交際を始めた兄の親友と初体験をしたと告白したブリトニー。17歳のボーイフレンドと過ごすため昼食後に学校を抜け出すなど背伸びをしていたが、それをよく思わなかった兄が両親に告げ口。激怒した両親から、「一日中近所のゴミ拾いをするという罰」を与えられてしまった。

 早熟だったブリトニーだが、デビュー当時は「結婚するまで処女を守る」と発言。10代のファンがとても多かったことから、マネジャーや広報担当者が「処女路線でいこう」と提案したもので、「『永遠の処女』のイメージを世間に植え付け、それを維持しようと(周囲は)躍起になっていた」とのこと。ブリトニーは「ジャスティン(・ティンバーレイク)と同棲し、14歳からセックスしていたのだけどね」と皮肉っている。

 破局後にジャスティンがブリトニーとセックスしたとバラしたことについては、「なんとも思っていない。逆に感謝している」「20代になるのにバージンって変な話でしょ。私がセックスしているか、していないかなんて、誰にも関係ないことだし」とも回想。

 また、映画のプロモーションで出演したオプラ・ウィンフリーのトーク番組で、オプラから「セクシュアリティは他人には関係ないことなんですよ(だから話題にすべきではない)」と言われたことに感謝しているともつづっている。

 発売前にメディアが報じた、「ジャスティン・ティンバーレイクとの子どもを19歳で中絶した過去」は世間に大きなショックを与えたが、本にはジャスティンが浮気を繰り返したことも書かれている。

 ニコール・アップルトンとジャスティンがロンドンでパパラッチされたのは、「交際してまだ1年しかたっていない時だった」と回想。グルーピーやダンサーにも手を出しまくり、「今も人気がある結婚して子どもがいるセレブ」とも寝たと吹聴していたと暴露。ジャスティンを運命の人だと信じていたブリトニーは問い詰めることはしなかったそうだが、深く傷ついたと明かしている。

 ジャスティンとの子どもを妊娠した時には「まだ若すぎるから」と中絶するよう説得されたこと、「妊娠を誰にも知られてはならない」と病院ではなく自宅で中絶薬を飲むように言われたこと、薬で苦しむ彼女のそばでギターを弾いていたこともブリトニーは暴露。

 しかし、2文字のテキストメッセージでブリトニーを振ったジャスティンは、「愛していた恋人に裏切られた傷心ボーイ」をアピールすることで、ソロアーティストとして大成功を収めた。そんな彼とブリトニーは07年の『MTV:VMA』バックステージで鉢合わせることに。人生を謳歌しているジャスティンと遭遇したのは「人生で最悪の日だった」と回想している。

 なおジャスティンについては、ソロ活動前に所属していたボーイズバンド「イン・シンク」がヒップホップのイメージで売っていたことからか、日常からスラングでしゃべることがあったとも暴露。ネット上では「そんな男いるんだ。ダサっ」「最高にカッコ悪い男」と失笑されている。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白6
【クリスティーナ・アギレラについての記述】

 『ミッキーマウス・クラブ』の同期で、デビュー後はライバルとして比較されることが多かったクリスティーナ・アギレラの名前がところどころで登場している。

 『ミッキーマウス・クラブ』時代に「最年少キャストとして、控室をシェアした」ことなど無難な思い出話もあるが、ジャスティン・ティンバーレイクと破局後に「メディアはジャスティンやクリスティーナのことはポジティブに書くのに、私のことは売春婦かのように書くようになった」と名前を挙げたり、クリスティーナは(米音楽誌)「Blender」の表紙を、「(開拓時代のアメリカ西部の)ワイルド・ワイルド・ウエストの(売春宿)マダムのような服装で飾っていた(のに)」とさりげなくディス。酒を飲んでベロベロになった彼女の姿を見たこともあると明かしている。

 また、クリスティーナがジャスティンと一緒に表紙を飾った米音楽雑誌「ローリリーング・ストーン」のインタビューで、「(ブリトニーと)復縁すればいいなと思う」と言っていたことについて、「ものすごく混乱した。だってほかではネガティブなことしか言ってなかったから」と、自身への言及に衝撃を受けたとも回顧。

 マドンナやマライア・キャリー、パリス・ヒルトン、ナタリー・ポートマン、ドナテラ・ヴェルサーチェら、女性セレブに関してはポジティブな記述が多かったが、クリスティーナについてはあまりよくない記述があることから、ネット上では「ジャスティンが浮気した“今も人気がある既婚で子持ちのセレブ”は彼女なのでは?」と邪推されている。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白7
【超常現象を体験した】

 ジャスティンとの破局と中絶で負った心の傷を癒やすために、似たような境遇の友人と一緒に車を走らせ、アリゾナに“エスケープ旅行”したというブリトニー。

 オープンカーで風を感じながら、はるか遠くまで続くまっすぐな道を走行中、突然、頭上に不気味な何かがいる感覚がしたとのこと。思わず、横にいる友人に「エイリアンはいるって信じてる?」と聞きそうになったが、ぐっとこらえ、しばらく静かにその感覚を味わっていると、横にいる友人が「ねぇ、あなたも感じる? 何なんだろう」と聞いてきたと明かしている。

 ブリトニーは怖いとは感じなかったようで、「あの時の私たちにとって必要だったから、感じることができたのだと思う」「スピリ チュアル的にオープンだったし」「だから、目に見えるものが全てではない、それ以上のものがあるんだって、私たちに見せてくれたんだと思う」とつづっている。

 ネット上では2人は、おそらく目に見えないUFOに短時間マークされていたのではないかとネット上で話題になっている。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白8
【ドラッグのチョイスはアデロール】

 産後、家に引きこもっていた頃、「気分転換する?」とパリス・ヒルトンに声をかけてもらい夜遊びをするようになったというブリトニー。

 タブロイド紙には「コカインをやっている」「酒を浴びるように飲んでいる」などと書き立てられていたが、ブリトニーいわく「そんなに羽目を外していたわけではなかった」と回想。とはいえ、朝の4時まで遊ぶブリトニーに、子どもたちの子守りをしていた母親リンは激怒。思いっきりビンタされたことは「絶対に忘れない」と吐露している。

 ブリトニーは現在にいたるまでアルコールによる問題行為は一切ないとし、「たくさんの歌手や有名人が手を出す」ハードドラッグにはまったく興味がなかったと前置きした上で、「マイチョイス・ドラッグ」はADHD(注意欠陥・多動性障害)の治療薬として知られる「 アデロール」だと告白。その理由は「数時間、落ち込まずにいられる」からだと明かした。

 08年に叔父のウィリアム・スピアーズが英紙「ザ・サン」に、「ブリトニーは14歳でドラッグに手を出すようになり、18歳までにコカイン、覚醒剤、エクスタシーを経験。18歳の誕生日に、コカインを吸っていたのを見た。その時、マリファナを一緒に吸った」と暴露していた。

 ちなみに アデロールはアメリカでは、“集中できる”“眠気が覚める”という理由で学生が手を出すドラッグとして知られるが、日本では覚醒剤取締法において規制薬物に指定されている未承認の薬物である。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白9
【成年後見制度に同意したのは「子どもたちと会うため」】

 売れないラッパーのケヴィン・フェダーラインとスピード結婚してからのブリトニーは、年子の息子たちの育児で産後うつが悪化。

 さらに外ではパパラッチに追いかけ回され、結局はケヴィンと離婚したものの、親権をめぐって大きく揉めることになり、精神的にギリギリな状態に追い込まれた。そんな状態の中、パパラッチはバリカンで自分の頭を丸坊主にしたブリトニーや、傘でパパラッチの車を叩く姿を報じ続けた。

 このままだと孫にも危険が及ぶのではないかと懸念したという父ジェイミミニーは、ブリトニー に精神鑑定を受けさせるため強制的に入院させたり、08年には成年後見制度の適用を申請。制度に従わないと子どもには会わせないとの言葉を信じたブリトニーは、「2人の息子たちに会うため」成年後見制度を受け入れ、自分の自由を手放した。

 父ジェイミーは、自分と懇意にする弁護士と共に、ブリトニーの財産を全て管理。莫大な金を吸い上げた。父から「今は俺が、ブリトニー・スピアーズなんだぞ!」と言われたブリトニーは感情をなくし、人間ではなく「ただただショーをするロボットになった」と回想している。

ブリトニー・スピアーズ衝撃的な告白10
【2年間、チキンと缶詰の野菜しか食べさせてもらえなかった】

 大のジャンクフード好きとして知られるブリトニー。しかし、成年後見制度下に置かれていた時、父親から「お前はデブに見えるから」と厳しい食事制限を強いられていた。13年間のうちの2年間は「チキンと缶詰の野菜しか食べさせてもらえなかった」と告白しており、ショーで踊りまくって相当なカロリーを消費しているのに、「ハンバーガーを食べさせて!」と 懇願しても無視され続けたことには、かなりの恨みを感じているようだ。

 ブリトニーは、「メディアが自分の体について批判するのはつらいことだったけど、実の父親からデブに見えると言われるのは心がすごく痛むことだった」「子どもの頃から、私は十分な存在ではないのだと感じながら育たったけれど、たくさんのことを成し遂げた後も、父は 私にそういう意識を感じさせ続けた」とも吐露している。

 タブロイドに「ベッドの下にジャンクフードを置いているほどの、ジャンクフード依存症」と書かれていたブリトニーだが、父親に隠れてこっそり買ってきてもらい食べていた可能性もあるりそうだとネット上でささやかれている。

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 今回の自伝本では、ジェイミーが成年後見制度を申請するきっかけとなり、裁判沙汰にもなった元マネジャーで恋人のサム・ラフティのことについては一切触れられていない。また、子どもたちへの思いをつづる一方で、彼らから避けられていたり、昨年挙式したサム・アスガリとの結婚式にも子どもたちは欠席するなど、ここ数年のその仲は最悪なものになっているとされる。

 本書では、 そうした事柄についても触れておらず、それらは引き続き執筆中だという第2弾に書かれるのではないかと注目されている。


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