• 日. 12月 22nd, 2024

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皇室プリンセスの“革新的”だった婚約内容とは? 恋愛結婚もお見合いもNG

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 全7回にわたって上皇陛下の長女で天皇陛下の妹である黒田清子さんをめぐるお話をお聞きします。

――昭和25年(1950年)、旧華族出身の鷹司平通(たかつかさ・としみち)さんとの婚約を発表した孝宮さま(後の鷹司和子さん)。しかし、当時の活字メディアは、旧華族なのに「平民サラリーマン」と「プリンセス」の恋愛結婚であるとして、お二人の結婚を報道しました(「読売新聞」、1950年5月21日号など)。国民全体に恋愛結婚に憧れが生まれていた時期なのでしょうね。当時の日本ではまだ庶民の間でさえ、恋愛結婚は珍しかったのでは?

堀江宏樹氏(以下、堀江) そうですね。女性皇族の結婚に、庶民たちが注目すると同時に、自分たちの「憧れ」を投影してしまうという、現在にまでつづく伝統が、この時に爆誕したのがわかると思います。

 もともと、鷹司さんのお父さまにあたる信輔さんと、大正天皇の皇后だった貞明皇太后(当時)とは「いとこ同士」なのです。つまり、お二人は遠い親戚でもいらっしゃった。それゆえ、皇太后のお住まいだった大宮御所にて、鷹司さんと孝宮さまにも「接点」が作られたようですね。

――それは「お見合い」ではなかったのですか?

堀江 興味深いことに「お見合い説」は、当時の宮内庁が正式に否定しています。日本のマスコミが、戦前では考えられないような皇女の「恋愛結婚」などを盛んに報じているので、アメリカの有名週刊誌「タイム」が、「事実ですか?」と宮内庁に取材を申し込んできたのですが、宮内庁は「恋愛でも見合いでもない、中道の結婚だ」という直球の回答をしました。

――現在なら「私的な事柄の回答は控えさせていただく」程度になりそうなのに、当時ははっきり回答していますね!

堀江 戦後すぐは宮内庁、そして皇族がたも、マスコミの取材に対し、かなり協力的だったのですね。これも時代の特色のひとつといえるでしょうか。皇族、宮内庁、マスコミの三者が皇室人気を復活させるため、オールチームで頑張っている感じがします。

 ちなみに現代でも、男性より、女性のほうが恋愛の側面すべてで「奥手」であることが、望ましいとする流れってありますよね? 戦後すぐだと、そういう価値観はさらに強かったと考えられます。男性である皇太子殿下(当時。現在の上皇さま)には、正田美智子さん(当時。現在の上皇后さま)と軽井沢のテニスコートで出会って、恋に落ちた……という「ストーリー」が可能でしたが、孝宮さまは女性です。

 お相手とデートを重ねたなどというと「深窓の令嬢なのに、はしたない」と批判されることも考えられたので、ご家族の前で、あくまで健全に歓談する機会を重ね、お互いに好意を確信してご婚約なさった……というプロセスになった。まぁ、そういう経緯を辿っただけでも、本当に革新的だったのかもしれませんよ。

――時代ですねぇ。

堀江 当時の「およろこびを前の孝宮さま」という記事によると(毎日新聞出版「サンデー毎日」、1950年2月26日号)、ご歓談の末に和子さんの目には鷹司さんが「実直で真面目な方」と映り、鷹司さんは孝宮を「おとなしい好(よ)い方」と思ったのだそうです。太平洋戦争中に結婚なさった照宮さまの場合、婚約者の東久邇宮家の盛厚王と、どういう形にせよ親しく会話して、お互いに好意を抱いたというデータ自体が存在しないのと比較すると対照的です。

――孝宮さまの場合、鷹司さんと「両思い」になってからの結婚だから、「恋愛結婚」と呼べると当時のマスコミは考えたのでしょうか。

堀江 そうですね。新聞、週刊誌の記事が報道内容を「盛る」ということは、当時から日常茶飯事だったのですね(笑)。「皇族がたも国民同様、新しい時代を生きておられるが、日々の暮らしの中で、質素倹約を重んじている」という論調を宮内庁は望んでいましたが、マスコミの狙いはかなり違いました。

皇族は親しみやすい存在だと再定義するマスコミ

――とにかくマスコミは「理想」を皇族に背負わせたいのですね。

堀江 そうですね。鷹司さんと結婚し、「プリンセス」という公的な存在から、ひとりの「私人」に変わった後も和子さんをマスコミは追いかけました。また、和子さんもマスコミを拒むことなく、鷹司家に新設された、おニューな感じ漂うシステムキッチンで家事をしている姿を撮影させ、それを雑誌が掲載していますね(主婦と生活社「主婦と生活」1950年8月号)。

――現在では考えられないマスコミと皇族の方の距離感です。

堀江 今なら、いわゆる「画報」系の雑誌に特別記事として掲載されるような内容が、普通に掲載されていたようです。戦後すぐの日本人にとって皇族とは「現人神(あらひとがみ)」から、親しみやすさと品位を兼ね備え、しかし、庶民には真似できないような上質なライフスタイルを送っており、憧れを叶えてくれる存在として再定義されていったことがわかります。これが現在の女性皇族の結婚、あるいは私生活へのわれわれ国民の熱視線の源流といえるでしょうね。

――その後、国民の願望を満たすような結婚ができた「プリンセス」は、どなたかおられるのでしょうか?

堀江 やはり、思い出されるのは平成17年(2005年)11月、東京都職員の黒田慶樹さんとご結婚なさった紀宮さま(現・黒田清子さん)でしょうか……。「プリンセス」の結婚は、明治時代に始まった「新しい皇室の伝統」なので、毎回が異例づくしともいえるのですが、ご結婚にいたるまでの紀宮さまをめぐる報道は迷走を重ねていたのです。次回から詳しく分析していきたいと思います。

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