“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
早いもので12月に突入。中学受験生である小学6年生の母たちは気が気でない毎日を送っていることだろう。というのも、中学受験は年明けすぐに本番を迎えるケースが多いので、“嵐の前”に当たる今の時期が、ある意味一番、不安感を強く感じてしまうからだ。
今年の春、長女・舞華さん(仮名)の高校受験が終了した美香さん(仮名)は、「『中学受験の時の轍は踏むまい!』という気持ちでサポートをした 」という経験を振り返る。
「舞華の中学受験時、 私は自分でもあきれるくらい心配性でした。特に子どものこととなると、すべてが心配でたまらなくなってしまい、その不安を回避するために、舞華には必要以上にアレコレとうるさく口を出し続けていたような気がします」
もちろん、その中には、「ゲームの時間が長いよ」「忘れ物はない?」といった親としては当然の注意や確認 も含まれていたが、どちらかといえば美香さんの場合は、舞華さんの生活のすべてを把握しないと落ち着かないという“症状”が顕著だったようだ。
もちろん、志望校の選定も母の好みが優先。舞華さんが「共学がいいな」と言っても黙殺し、「私が一方的に『〇〇女学院がいいと思うわ』と決めてしまいました。 娘の意見に耳を傾けることは少なかった」と回想する。
「当時の自分に、心配性という自覚はなかったです。舞華のことを一番に考えているのは、母である私なのだから、自分が良かれと思ったことが、舞華にとっては一番いいと信じて疑ってなかったですね。今思えば、舞華が何かを言いかけても、それに被せるかのように自分の意見を押し付けて、黙らせていたように思います」
舞華さんは、美香さんが勧めるままに女子校ばかりを数校受験する。
「本命中学校受験日の朝の電車内でも、舞華には何度も『絶対、大丈夫よ』『寒くない?』『緊張してない?』『受験票はある?』『頑張って!』などと言い続けていたようで、ついには舞華に『ママ、少し静かにして!』と叱られてしまいました。後でわかったんですが、それらの言葉がプレッシャーになって、余計に緊張したんだそうです」
しかし、舞華さんは受験校すべてに合格し、その中で美香さんが憧れていた〇〇女学院に進学する。しかし、晴れて入学したにもかかわらず、ゴールデンウィークを境に舞華さんは不登校状態に陥ったという。
「もう、心配で心配で、当時の私は半狂乱でした。舞華に『いじめにあっているんじゃない?』『友人関係がうまくいっていないとか』 と何度も聞いたのですが、『学校も友人も好き。でも、なぜだかわからないけど、学校に行けない』と言うばかりで、途方に暮れました」
ある日、美香さんは担任の先生の勧めに従い、親子でカウンセラーのもとを訪ねることにしたという。
「カウンセリングなんて、心の弱い人がやることだと思っていたので、まさか自分たちが受けるなんて思ってもみなかったんですが、結局、これが契機になりました」
カウンセラーの先生は「カウンセリングが必要なのは舞華さんではなく、むしろお母さん」と言い、「お母さんがなぜ、舞華さんの問題を我が事のように感じ、解決しようと躍起になるのか……それを 理解することが先決」という方針を示したのだそうだ。
カウンセリングの中で美香さんは、自分自身の“育てられ方”を具体的に振り返る作業を繰り返したという。
「両親は厳格なタイプで、私は10代の頃、何かと制約の多い生活を送っていました。 例えば、学生時代の門限は6時でしたし、『あの子とは付き合ってはダメ』とか『この学校じゃなくてはダメ』と一方的に言われ、渋々従っていたんです。特に母は『親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない』と繰り返し言っていました」
美香さんいわく、親に反発する気持ちもなくはなかったが、「結局、親の言うルートを歩んだおかげで、大した苦労もなく今まで生きてこられたという感じ」と話す。
「私にとって、親は守ってくれる存在であり、同時に絶対的権力を持つ存在。これまでずっと『親に逆らってはいけない』と思っていたことに気づかされました」
カウンセリングでは、自身と舞華さんの親子関係についても回顧。舞華さんが生まれてからの出来事を一つひとつ思い出しながら、「自分なりに『ここは過干渉すぎた』『ここは親として譲れないライン』といった線引きをしていった」そうだ。
「カウンセリングを重ねるうちに気がついたんです。結局、自分自身の満たされない思いを舞華を使って満たそうとしていたのかなって……。もっと言うと、私は舞華の人生を乗っ取って“ 生き直し”していたようなものだったんです。不登校になった舞華が、全身を使って『自分の人生を生きたい!』って言っているように感じました」
それから、美香さんは舞華さんを見守ることを最優先課題とし、家の中で、指示語や命令口調、詰問する態度、そして、舞華さんの気持ちを一方的に決めつけ、先回りして行動すること をなくすように努めたという。すると、少しずつではあるものの、舞華さんから“リクエスト”のような言葉が出てくるようになったそうだ。
「すごく小さなことです。例えば、夕飯のメニューについて、前までは『何でもいい』と言っていたのに、『ポテサラが食べたい』と言われるようになったり、それに『〇〇のライブに行ってみたい』という希望を口にするようになったんです。考えてみたら、それまで舞華から『○○を食べたい』『〇〇に行きたい』と言われた記憶もないんですよ。いつも私から『〇〇食べる?』『○○行く?』って感じで聞いていたので……」
美香さんはカウンセリングを受けているうちに、「私がいつも先回りしていたため、『舞華は自分の好きなことや何をしたいのかを、考えることすら なかったのかな?』と気づき、本当に反省しました」という。
舞華さんは、ほとんど学校に通えないまま、中2の3学期を終えたそうだ。その時、学校側から「このままでは、併設高校への推薦資格は与えられない」との通告を受け、熟慮の末、地元公立中学に転校の手続きを取ったという。
「正直、『絶対に行かないだろうな』と思っていたんですが、口には出しませんでした。ところが、舞華がいきなり『私は変わる!』と言い出して、なんと中3の春から、地域の公立中に通うようになったんです。地元の塾にはずっと通っていたので、塾友はいたんですが、学校側が舞華と彼女たちを同じクラスにしてくれたんですよ。そのご配慮も 大きな後押しになったんだと思います」
そして、舞華さん自身の強い希望で、芸術分野に強い高校に合格。「自分の好きな分野を思いきり学んでみたい」と舞華さんの思いは見事結実した。
「舞華に言われたんです。『ママが私のことを信用して任せてくれているのがわかって、頑張ろうと思った』と。特に、子どもの進路選択の時は、良かれと思い、親の気持ちを押し付けがちですが、それって“余計なお世話”なんですよね。中学受験当時の舞華には申し訳ないことをしました。でも、そのことに気づいて、舞華がいま自分の希望する高校に通えていることは本当に よかったです」
最後に、美香さんが晴れやかな笑顔でこう言った。
「これからは、私も舞華を見習います。『私が本当にしたいことは何なのか?』を考えて、それをちょっとずつでも実行していこうと思っています」
現在の舞華さんは不登校だった過去を忘れるほど、学校生活をエンジョイしているという。