2023年10月16日をもって、設立以来61年間続いた屋号を下し、「SMILE-UP.」に社名変更した旧ジャニーズ事務所。12月8日には、所属タレントのマネジメント業務、および育成業務を引き継ぐ新会社「STARTO ENTERTAINMENT」の始動も発表された。
創業者・ジャニー喜多川氏(2019年に死去)の性加害は決して許されるべきではなく、彼の名前を冠した「ジャニーズ」が消えるのは致し方ないことではある一方、ジャニーズという巨大なシーンが存在し、数多くの所属アイドルたちが日本の芸能界を席巻、圧倒的多数のファンの支持を受け続けてきた事実は、“なかったこと”にはできないだろう。
そこでサイゾーウーマンは、ジャニー氏の起こした事件とは切り離した形で、ジャニーズの文化的な価値をあらためて認識し、そのレガシー(遺産)を受け継ぐため、さまざまな分野の専門家にインタビューを実施。
今回、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』(シンコーミュージック・エンタテイメント)の監修や、『にっぽんセクシー歌謡史』(リットーミュージック)の著者である音楽評論家の馬飼野元宏氏に、主に昭和~平成の「ジャニーズ音楽」に焦点を当て、その独自性や今後アイドルたちに受け継いでいってもらいたいものは何か、話をお聞きした。
※「ジャニーズ事務所」は「SMILE-UP.」「STARTO ENTERTAINMENT」に社名を変更しましたが、記事内容に鑑みたうえで、便宜上「ジャニーズ」を使用します。
目次
・ジャニーズの代表曲に見る2つのパターン――「青春の傷」と「王子様のキラキラした世界観」
・いずみたく、筒美京平、馬飼野康二――有名作家陣に絶大な信頼を置いたジャニーズ
・ジャニーズソングの幅が一気に広がった――SMAPの革新性とは?
・King & Prince「シンデレラガール」王子様系楽曲の完成形――ジャニーズソングの進化に期待
ジャニーズの代表曲に見る2つのパターン――「青春の傷」と「王子様のキラキラした世界観」
――ほかのアイドルソング、J-POPと比べて、いわゆる“ジャニーズソング”にしかない楽曲の特徴はどのような部分でしょうか。
馬飼野元宏氏(以下、馬飼野) ジャニーズの代表曲には、主に2つのパターンがあり、光GENJIの「ガラスの十代」と「パラダイス銀河」がわかりやすくその2パターンの代表になっていると思います。
前者は少年の“青春の傷”のようなものを歌った楽曲。かつては少女漫画の影響もあったと思いますが、不良少年への憧れや、傷つきやすい男の子に対する母性本能、守ってあげたいという気持ちを喚起させる楽曲ともいえます。“マッチ”こと近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」やKinKi Kidsの「硝子の少年」、KAT-TUNの「Real Face」などはこのパターンに当てはまります。
後者は、男の子が女の子に対し、“一緒に手を取り合い輝ける未来へ向かおう”と語りかけるような、王子様路線ともいえるキラキラした世界観の楽曲。フォーリーブスの「地球はひとつ」、郷ひろみの「男の子女の子」とか。嵐やNEWS、Hey!Say!JUMP、Sexy Zoneのデビュー曲もこのパターンですね。
この2本の柱がジャニーズソングの特徴で、どちらかのタイプの楽曲をデビュー曲に持ってくることが多い。そしてジャニー喜多川氏が、デビュー曲に並々ならぬ力を入れるという点も大きな特徴です。
――デビュー曲はやはり特別な存在なのですね。
馬飼野 例えば、KinKi Kidsの「硝子の少年」。これは10代のアイドルのデビュー曲としては、かなり大人っぽい、歌謡曲寄りの曲で、作詞は松本隆さん、作曲は山下達郎さん。実は2人は、これより前に「ジェットコースター・ロマンス」「Kissからはじまるミステリー」を書いていたそうですが、「Kissから~」に対して、ジャニー氏は、「僕はB面を頼んだつもりはないよ」と言ったとか(笑)。そのぐらいデビュー曲にはこだわりをみせる。
少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」も、ジャニーズ出版の担当ディレクターが、筒美京平さんに何回もメロディを書き直させ、印象的な出だしや大サビも後で付け足していって完成させたものなんです。マッチの「スニーカーぶる〜す」も、最初にできたものは、Bメロの「ZIG,ZAG ZAG〜」の箇所はなく、歌詞もまるごと入れ替えています。
その代わり、デビュー曲で完成度高い楽曲を出せれば、あとはその路線に沿って、ある程度スタッフに任せてしまい最終ジャッジのみ――というのが、ジャニー氏の基本スタンスだったようです。
いずみたく、筒美京平、馬飼野康二――有名作家陣に絶大な信頼を置いたジャニーズ
――ジャニーズの始祖である初代ジャニーズから、デビュー曲へのこだわりは強かったのでしょうか。
馬飼野 そこはまた違うんですよ。もともとジャニーズは、『ウエストサイド物語』のようなミュージカルをやろうという発想からスタートした事務所なので、初代ジャニーズはどちらかというとミュージカル寄りの楽曲が多かったんです。
ただ、解散した1967年の4月に出した12枚目のシングルで、同名ドラマの主題歌にもなった「太陽のあいつ」は、いずみたくさん作曲で、これがのちのジャニーズソングへとつながる原点であるといえます。あとは初代ジャニーズの歌で、レコードにはならず、その後フォーリーブスがシングルで出した「君にこの歌を」も、歴代ジャニーズ・アイドルに歌い継がれている名曲です。
――「太陽のあいつ」はいわゆる青春歌謡。それが先ほど挙がったジャニーズソングの2つの柱に通じていくのですね。
馬飼野 作曲家でいうと、いずみたくさん、鈴木邦彦さん、筒美京平さんや馬飼野康二さん。作詞家では、松本隆さんや松井五郎さんなど、各時代ごとに有名作家陣に依頼してきましたが、ジャニー、メリー両氏の彼らへの信頼は絶大なものがありました。
――ほかにも、ジャニーズ音楽ならではの特徴はありますか?
馬飼野 その時代の音楽のトレンドを取り入れるのがうまいところですね。シブがき隊ならハードロック、SMAPはソウルミュージック、KinKi Kidsは昭和歌謡、V6はユーロビート、嵐はヒップホップの要素を取り入れました。近年ではSixTONESやTravis Japanの曲にもトレンドの取り入れを感じます。音楽ジャンルにおける「⚫︎⚫︎のジャニーズ版」を作るのがうまいんです。
――ジャニーズといえばダンスの印象が強いですが、バンドスタイルでの楽曲パフォーマンスも一つの柱です。
馬飼野 バンドの系譜もありますよね。古くはフォーリーブスのバックバンドを務め、のちにレコードデビューしたハイソサエティーというバンドがあり、ビートルズやシカゴなどの名曲をカバーするようなグループでした。その後はThe Good-Bye、男闘呼組、TOKIOがこの系譜を継ぎ、関ジャニ∞やHey!Say!JUMPなどもバンド形式のパフォーマンスを行うように。ソロシンガーにも専属のバンドを付けましたが、そのメンバーもジャニーズ事務所の所属者から選ばれていました。その後、作曲家やミュージシャンとして大成した方もいます。ジャニーズとしては、舞台の音楽も、自分の作ったバンドに演奏させたかったんじゃないかなという気がしています。
ジャニーズソングの幅が一気に広がった――SMAPの革新性とは?
――ジャニーズソングの歴史の中で、転換点はありますか?
馬飼野 SMAPは大きな転換点でしたね。先ほど、ジャニー氏はデビュー曲にこそ力を入れる一方、あとは信頼するスタッフにおまかせというスタンスだったと言いましたが、SMAPはその「おまかせ」がいい方向に、しかも革新的な方向に転がったグループです。スタッフの音楽面における、裁量の自由度が高かったんです。
例えば、6枚目のシングル「雪が降ってきた」。いかにもジャニーズ歌謡のようでありながら、フリーソウルの要素を持つ曲なんです。また、12枚目のシングル「Hey Heyおおきに毎度あり」や14枚目のシングル「がんばりましょう」ではニュージャックスイングのリズムを取り入れている。そういったサウンドに乗るのは、不良でもなく王子様でもない、普通の冴えない男性の気持ちを歌う歌詞。これはジャニーズ初だったと思います。
ちなみに音楽面ではないのですが、SMAPはジャニーズの衣装にも変化をもたらしました。それまでのキラキラした衣装ではなく、いわゆるストリートファッションを着るようになったのも特筆すべき点でしょう。
――確かに当時、SMAPの楽曲を“新しさ”を感じた人は多かったと思います。
馬飼野 いま挙げたのはすべて平成初期~中期の楽曲。当時はバブルが弾けた後で、聞き手が応援歌を欲しがった時期でもありました。昭和時代からのジャニーズソングの幅が、SMAPの登場以降、一気に広がったのではないでしょうか。
加えて当時、歌謡曲、アイドルソング、ロック、ダンスミュージックといったジャンルの音楽が融合しJ-POPが生まれ、例えば安室奈美恵やSPEEDなど、アイドル的な人気がありながら、その楽曲はアイドルソングとして聞かれないタイプのアーティストが登場するようになった。そんな中、従来のジャニーズソングの流れとトレンドの音楽を融合させ、なおかつ冴えない等身大の自分を歌うSMAPは、かなり革新性が高かったと思います聞き手は彼らの歌をJ―POPとして聴いているんです。しかも、女性のみならず同性も普通に彼らの作品に親しむようになった。この点はかなり大きいです。
――2000年代に入ると、嵐やテゴマスなど、スウェーデンの作家チームの手による楽曲が増えてきました。
馬飼野 特に嵐の楽曲が顕著で、「We can make it!」「Love Rainbow」といったヒットソングはスウェーデンの作家チームが手掛けていますよね。
スウェーデンはアメリカ、イギリスに次ぐ音楽輸出国に成長したという世界的な流れがあります。加えて、ABBAやカーディガンズなどが代表的ですが、スウェーデンの音楽は日本人になじみやすいメロディの曲が多い。ジャニーズ事務所では、EDMが流行し始めた頃、スウェーデンの作家チームに依頼し、日本の歌謡曲のメロディとスウェーデンサウンドをうまくミックスさせ、独自のEDMサウンドを生み出しました。ジャニーズは日本ではいち早くスウェーデンの作家たちとのつながりを深め、日本の音楽界に導入、定着させた先駆者的側面もあります。
King & Prince「シンデレラガール」王子様系楽曲の完成形――ジャニーズソングの進化に期待
――約60年の歴史の中で、多くのジャニーズソングが生まれました。性加害問題への議論は今後も行うべきである一方、数々の名曲は未来へと残すべき“レガシー”であると思いますか。
馬飼野 清算すべき負の遺産はもちろんあります。だけど、その楽曲については、残すべきレガシーであるといいなと思います。
会社がこの先どうなるか、それぞれどのタレントやグループがエージェント契約を結ぶのかは、現段階ではわかりませんが、冒頭で述べたように、少年の傷と王子様的世界――この2つの柱を軸にした楽曲を歌い継げば、ジャニーズソングのレガシーは残るのではないでしょうか。
King & Princeのデビュー曲「シンデレラガール」は、「男の子女の子」から続く王子様系楽曲の完成形だったと思うんです。曲の中で、「やがて シンデレラガール 魔法が解ける日が来たって いつになっても 幾つになっても ボクはキミを守り続ける」と歌われていますが、あれって「ファンである女性が何歳になっても愛し続ける」というメッセージですよね。20年、30年たってもずっと歌い続けることができる――男性アイドルの活動期間が長期化した現代ならではの、進化した王子様曲ですよね。今後もこういう流れが生まれればいいなと期待しています。
それに最近はジャニーズアイドルの歌唱力、表現の幅がどんどんブラッシュアップされています。今の20代のグループや、10代のジュニアたちは、最初からヒップホップやダンスミュージックになじんだ世代ですから、洋楽トレンドやダンスの流行にも即対応できる能力が高いように思えます。これから先も、ジャニーズソングはさらに進化を続けていくのではないでしょうか。
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ)
音楽ライター、編集者。歌謡曲と70~80年代邦楽全般に特に詳しく、著書に『にっぽんセクシー歌謡史』(リットーミュージック)、編著に『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』『昭和歌謡職業作曲家ガイド』『HOTWAX歌謡曲名曲名盤ガイド』(ともにシンコーミュージック)『筒美京平の記憶』(ミュージックマガジン)などがある。歌謡ポップスチャンネル『しゃべくりDJ ミュージックアワー!』ではコメンテーターを担当した。