さあ、今年もやってまいりました! 年に一度の、万人にスルーされるこの企画。誰からも相手にされないまま、なんと10周年を迎えてしまいました。今年1年に起こった「歯クソ」レベルの些末ニュースを月に1個ずつ計12個、1ダースの詰め合わせにして、あなたのもとにお届けしますよ。まずは月間MVPの発表から!
1月 森脇健児が、7カ月後に夏の甲子園優勝校となる慶應のキャプテンがスポーツ紙の取材に応じて「好きな言葉」に「コツコツが勝つコツ」(森脇のオリジナルワード)を挙げていたことを知って大ハシャぎ。X(旧Twitter)に新聞を撮影した写真を投稿し「感謝マジック!」と叫んだ
2月 米NYでビリオネア・ライフを満喫する松居一代が一時帰国。「感謝のごはん会」会場はチェーン店のお手頃レストラン
3月 布川敏和が「薬を飲まず花粉に勝つ!」と宣言し、目薬とワセリンでやり過ごしてることをブログで報告
4月 なかやまきんに君が自身のYouTube「ザ・きんにくTV」を更新。体作りのノウハウについて原っぱでプレゼンするが、ウグイスの鳴き声に気が散って集中できない
5月 ねづっちに謎かけネタをおねだり……林家三平がなぜ一生面白くなれないのか。その理由をラジオ番組で元気いっぱいに披露
6月 蓮舫が日本スピッツの会に愛犬「うるる」を連れて参加し、「みーんな、うるチャイルド」と渾身のダジャレをご機嫌で披露
7月 制作途中で長らくペンディングになり、クラウドファンディングを敢行するなど苦戦していた石田純一・いしだ壱成親子の初共演映画『散歩屋ケンちゃん』がなんとか完成し、まさかの劇場公開まで漕ぎつけた
8月 加護亜依が自身のYouTube「加護ちゃんねる」で大分県日田市を街ブラ+食リポをするが、機材トラブルにより音声が録れておらず、後からアフレコとワイプで補足。今この瞬間を大事に生きる加護ちゃんなので、数日前の出来事をほぼ覚えておらず、グダグダの回となった
9月 田代まさしが自身のYouTube「MARCY'Sちゃんねる」でコンビニ5社のみたらし団子を食べ比べ
10月 彦摩呂が秋田の人気居酒屋に赴き、秋田の方言である「エロエロ(=色々)」を省略したことが由来の「エロ納豆」に中学生男子のようにキャッキャとハシャぐ様子を、インスタグラムに投稿
11月 石原真理子の「ぷっつん火山が」またもや激しい活動期に。今年のターゲットは田村正和と郷ひろみ
12月 藤原紀香が舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』の宣伝のため数々のバラエティ番組に出演。所属事務所の力で元夫・陣内智則を干し、弁当の代わりにキャットフードを持たせていた過去のイメージを払拭すべく、いい人キャンペーンと「ホンマは関西の気さくなお姉さんやねんで〜」アピールに勤しむ
いかがでしたでしょうか。マンキンの「しょーもな!」を12回叫んでいただきましたところで、続いて年間ベスト3ですよ。
今年も、というか、オールタイム「ぷっつん火山」が活動期にある石原真理子大先生。ブログやYouTube、Xにて、フィールドワークである「この世の全ては私の思考・アイデアからのパクリ」説の展開と、「藤谷美和子への怨毒」の2件は継続しつつ、今年はさらに進化を遂げて、「藤谷美和子が私の首筋のラインを真似した」とまで言い出したから驚きだ。加えて「大谷翔平の活躍は『妖精大天使』である私のアドバイスの賜物」説の展開と、「小泉今日子への呪詛」など、新たなトンデモ主張も加わった。
また真理子大先生といえば、年替わり・月替わりでマイブーム的にロックオンする男性がいるのが恒例行事となっている。2014年には前世から結ばれていたハリウッド俳優のポール・ウォーカーと婚姻状態にあり、19年には萩原健一がツインソウルであると明かし、同年は(真理子大先生いわくの)元カレ・吉川晃司ともラブラブだった。もちろんこれらは全て、真理子大先生の脳内での出来事である。
そんな真理子大先生、今年の秋冬は田村正和と(真理子大先生いわくの)元カレ・郷ひろみにロックオンしていた。田村とはドラマ『熱くなるまで待って!』(1987年/フジテレビ系)で、郷とは映画『さらば愛しき人よ』(87年)で共演している。
真理子大先生はそれぞれの作品の映像を「著作権? 知るかよ」精神で勝手に編集して自身のYouTubeチャンネルにアップし続け、そのうえ「唯一無二の本物〜これは正和真理子の実話だよね」「ひろみと私がたどりついた真実の愛♡」といった電波系キャプションを気ままに付け加えていた。
真理子大先生によれば『熱くなるまで待って!』は、「正和真理子の実話」をもとに制作された(ということに脳内ではなっている)。そしてその後、田村主演の『ニューヨーク恋物語』(88年/フジテレビ系)も『古畑任三郎』シリーズ(94年〜/同)も、『熱くなるまで待って!』の意匠をパクっているのだという。
こうして、今年も四方八方に怨嗟を撒き散らし続けた真理子大先生だったが、かつて『バイキング』(同)で真理子大先生を「昭和〜平成の芸能界で3本の指に入る美女」と評価した坂上忍に対してだけ、幸福長寿を祈っていたのがジワる。
「老眼に優しい大きな文字」「内容は薄く改行は多く」がモットーでおなじみ、松居一代のブログから今年も目が離せなかった。
昨年NYの高級住宅街にそびえる超高額レジデンスを2軒買いして、華やかなビリオネア・ライフを満喫する松居。今年はアメリカで自身の通販ブランドの立ち上げに取りかかったため、忙しく過ごしながらも、高級ブランドを身に纏い、友人と高級レストランでの食事を楽しんだり、高額な月謝を払ってバレエを習ったりと、充実したNY生活を日々ブログに公開している。
アメリカでの通販会社立ち上げに際して、諸々の事務処理をするため、この秋、日本に一時帰国した松居。「感謝のごはん会」とタイトルしたブログを投稿し、「助けてくださっている女性」に感謝を込めて、食事に招待したとつづった。なんでも、普段からその女性に頼んで日本国内でしか買えない贈答用の和菓子をNYの自宅に送ってもらうという、「買い物代行」を依頼しているそうだ。
投資家として成功し、総資産は200億円を超えるとの情報もある松居。普段からサポートしてくれている女性を招待するという名目の食事会なら、それなりの高級店なんだろうと、大きな文字で改行の多いブログをスクロールしていくと「こちらのお店にしました」と、最終行の後に店の写真が貼られていた。ファミリー層向けのしゃぶしゃぶチェーン店、木曽路だった。いかにも松居らしいチョイスである。
あまりの面白スキルのなさに『笑点』(日本テレビ系)を自主降板してから2年。林家三平が2つのラジオ番組に出演し、「なぜこの人はこんなにも面白くないのか」という問いへの、明確な答え合わせを自ら行った。
三平はまず、5月19日にフリーアナウンサー・野村邦丸がパーソナリティーを務める『くにまる食堂』(文化放送)にゲスト出演。「正直『早いとこ辞めちゃったほうがいいんじゃねえか』と」「もっと言っちゃえば『笑点』にいなくてもよかったわけですよ」といきなりドスで三平の鳩尾を刺してきた邦丸。しかし三平なので、刺されていることにすら気づかない。
続いて、邦丸から「今後『笑点』に前半の演芸コーナーへのゲスト落語家として出演して『リベンジ』する気はないのか」、要するに「悔しくないのか」との質問が飛ぶ。すると三平は、「テレビのバラエティでもっと人生経験を積んで……」「噺家じゃないタレントさんと混じったりするのが一番の勉強です」と、要領を得ずフニャフニャした言い回しで逃げていた。
続いて5月23日には『ナイツ ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)にゲスト出演した三平。パーソナリティのナイツ・塙宣之と土屋伸之、そして同じくゲストのカンニング竹山からの「イジり」のおかげでなんとか成立していたが、ここでも丸裸の状態で「面白くなさ」を全開にしていた。
たまたま4日前の『くにまる食堂』を生放送で聞いていた竹山は、邦丸が「(ほかの出演者たちとの)“絡み”の修行中なんだ?」と聞くと、三平が「そうですね。大根と一緒で『からみ』ですよ」とクソ寒いダジャレで返したことを振り返った。竹山が「『そういうのやってっからダメなんだよ』って本気で怒られてましたからね」と報告すると、塙が「みんなが思い浮かべる一番最初のダジャレを言うのが三平師匠」とかぶせて笑いに変えていた。
そこから三平は、これまでのダジャレの「ドすべり」体験談を恥ずかしげもなく披露。さらには、謎かけのネタに困ると、ねづっちに電話をかけておねだりしていることを、悪びれもせず告白した。土屋から「噺家としてプライドないんですか?」と聞かれた三平は、「だって何も浮かばない時ってあるじゃん」と開き直り。塙が、「(三平のネタおねだりを)本当に勘弁してほしい」と、ねづっちが「マジな感じのトーン」でツイートしていたことを暴露して笑いを誘った。三平によると、近頃ねづっちは三平からのLINEを既読無視しているのだという。
さらに、謎かけをアドリブでできないのかと、塙に振られた三平は、「『ラジオショー』と掛けまして、司会の皆さんと解く。その心は、面倒見がいいでしょう」と「ドヤ声」で言ってみせるも、一同はポカン。しばらく間があった後、土屋に「(『めんどう』を立たせたいのなら)『剣道』と掛けないと」と指摘されて、「ああ、そっか!」と状況を理解するという体たらくであった。
ゲストコーナーの終わり間際に、塙から「毎日何を考えてるんですか?」と問われた三平。「新幹線の中で何食べようかなーとか、お弁当何買おうかなーとか」とバカ丸出しで答え、爆笑をさらっていた。やはり、三平という「素材」そのままでは成立しない。一流の料理人(芸人)の手による「振り」と「イジり」の調理を加えないと食べられたもんじゃないと、あらためて実感したのだった。
――とまあ、こういうしょーもなニュースを挙げられるぐらいなので、今年も悪くない1年……だったのではないでしょうか。そう思うことにしましょう。皆さまよいお年をお迎えください。