「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 全7回にわたって上皇陛下の長女で天皇陛下の妹である黒田清子さんをめぐるお話をお聞きします。
――平成5年(1993年)、紀宮さまが24歳のころに週刊誌は突如、坊城俊成(ぼうじょう・としなる)さんのことを、紀宮さまのご結婚相手の最有力候補だとしてさわぎはじめました。かなりの盛り上がりを見せたので、坊城さんのお名前が、いまだ記憶に新しいという読者も多いのでは?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 坊城さんは当時31歳。フジテレビ取締役で共同テレビ会長の坊城俊周(としかね)さんのご子息で、旧華族のお家柄、東京大学にて中世フランスのゴシック建築を研究なさる「学者の卵」として紹介されています。ちなみに俊成さんの伯父さまにあたる方が、三島由紀夫の文才をいち早く見抜いた小説家・坊城俊民(としたみ)さんですね。
ただ、坊城家自体は公卿華族で、大名華族とは異なり、もとから資産家のご一族というわけではありません。俊民さんの『末裔』という小説を読んだことがありますが、身分だけは高いのに、それに釣り合う財産に恵まれていないことの苦しさが書き連ねてあった印象です。そんな俊民さんは弟の俊周さんとは異なり、ビジネス志向ではなかったのでしょう。ひとりの東京都の公立高校の教師として生涯をお送りになられました。
――しかし、紀宮さまの第一候補とされた坊城俊成さんは、共同テレビ会長のご子息です。当時、フランスに留学中で、それなり以上の経済力の中でお育ちになったと考えられますね。少女漫画から抜け出たような容姿だとうたわれ、坊城さんの登場によって、紀宮さまご成婚までの「レース」は「第三コーナーをまわった」とまでいわれるように。
堀江 候補者の方々が競争馬扱いなのがすごいですね。しかも、坊城さん、本当のところは紀宮さまからも、宮内庁からも、なんの打診もされていなかったのに……とボヤいておられたそうです。
今考えれば、この頃のマスコミは、自分たちがキューピッド役を務めるつもりだったのでしょうか。われわれが有力候補を発掘してきたぞ、といっているような。戦後すぐ、昭和天皇の3人の皇女が結婚して以来、皇族がたと国民の「距離」が狭まる一方だったことの悪い一面といえるかもしれません。まるでマスコミが仲人のように振る舞うというのは……。
――紀宮さまと坊城さんの関係が思ったように進まないとマスコミはイライラしたらしく、平成7年(1995年)にフランスでの留学生活を終えて帰国した坊城さんの写真を掲載し、「“少女マンガ系”の貴公子」だった坊城さんも、留学中に体重が増え、年相応の見た目になったことをディスって、「『坊城俊成』が紀宮さまと結婚という『危険情報』」と、わずか2年で手のひら返しの記事を掲載しました(新潮社「FOCUS」1995年9月20日号)。
堀江 この頃の週刊誌って、現在よりもさらに無法地帯ですよね。ほかに紀宮さまの候補者として名前が挙げられたのは、表千家の14代家元・千宗左さんの長男の千芳紀さん、旧華族の出身で、東京大学で生物学を修められた園池公毅さん、ほかにはヴァイオリニストで、「セイコー」社の創業者一族の出身の服部譲二さんなど。一時は雨後の筍状態で候補者が乱立していました。
結婚相手を無理やり「あぶり出す」マスコミの暴走
――「女性自身(1999年4月27日号、光文社)」によると、ヴァイオリニストの服部さんが候補者扱いになったのは、皇居に美智子さまを訪ねておいでになることが続いたから……という理由のようです。曖昧すぎないでしょうか?
堀江 その服部さんが、クライスラー作曲の「愛の喜び」という曲をコンサートで演奏し、その音楽についてレクチャーしたときの言葉を、紀宮さまへの恋心に無理やりひきよせて解釈してみたり、マスコミの暴走ぶりがすごいですね。
――紀宮さまはこういう週刊誌によるご自分の結婚相手の「あぶり出し」を憂慮なさっておられました。25歳の紀宮さまは「マスコミによって騒がれた多くの人々の生活が乱され、傷つきました」「とても心苦しく残念に思います」とお気持ちを発表しておられるのですが。
堀江 現在でも皇族全体の問題として、同じようなことが共有されていると思います。結婚して1人の私人になった後でさえも、国民の関心の的になることは、もはや仕方がないとお考えの方も多そうですが……。紀宮さまが黒田慶樹さんと結婚なさってから半年ほどたった頃、島津貴子さん(かつての清宮さま)がやんわりと、皇族の結婚についての加熱報道に釘をさして、このようなコメントを発表なさっています。
「(昭和天皇の皇女だった)私がみなさんの想像と異なる答えを申し上げても、『そんなはずはないでしょう』とイメージ通りの答えを(記者は)引き出そうとなさる。今日も電車に乗って1人でこちらにうかがったら、みなさん、やはり驚かれました(「婦人公論」2005年3月7日号、中央公論新社)」。
ご本人や周囲の意思を飛び越えて、週刊誌が加熱していく恐ろしさは、当事者以外には理解できないでしょうね。
――次回に続きます。