私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。
<今回の有名人>
「私にとってダウンタウンはテレビ界の恩人だと思っている」立川志らく
公式X(旧Twitter)より
「週刊文春」(文藝春秋)が報じた、ダウンタウン・松本人志の性加害問題。2015年に後輩芸人であるスピードワゴン・小沢一敬が一般女性たちを高級ホテルに集め、松本との性行為を強要したというもの。たいていの場合、このような記事には証拠となるものが必要ではあるものの、女性たちはあらかじめ小沢にスマートフォンを回収されていたそうだから、手も足も出ない。
今の時代であれば記者会見を開きそうなものだが、松本はそうはしなかった。所属事務所である吉本興業は「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を棄損するもの」と、「文春」サイドに法的措置を取る可能性を示唆した。
一方、当の松本といえば、Xで「いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ~」と投稿。被害女性が小沢にお礼のメッセージを送ったとされるLINEのスクショ画面が「週刊女性PRIME」(主婦と生活社)に掲載されると、「とうとう出たね…」と意味深につぶやくのみにとどめていた。
しかし、吉本は松本の芸能活動休止を発表。その理由を「このたび、松本から、まずは様々な記事と対峙して、裁判に注力したい旨の申し入れがございました。(中略)裁判との同時並行ではこれまでのようにお笑いに全力を傾けることができなくなってしまうため、当面の間活動を休止したい旨の強い意志が示されたことから、当社としましても、様々な事情を考慮し、本人の意志を尊重することといたしました」と説明し、活動休止は「会社の判断」ではなく、あくまでも「本人の意志」であることを強調した。
身に覚えがないのであれば、松本が名誉を棄損されたと訴訟を起こすのは当然のことだし、一方で、「文春」側も自信を持って記事化したというだけに、一歩も引かないだろう。ここから先は裁判所の判断ということになるだろうが、性加害問題をめぐる第三者のコメントには、その人のバイアス(思い込み)が強く表れるように思えてならない。
例えば、落語家・立川志らくはXに「今回の松本人志さんの件だけじゃなく、なんでそんなに週刊誌の言うことなんか信じるんだ? この国は法治国家だ。被害にあったら警察に行くべき。もし警察で取り合ってもらえなかったり、加害者の事務所の圧力で事件をないものにされたら、その時初めて週刊誌に訴えればいい」と被害女性のやり方が間違っているかのように書いている。
志らくは「現段階で彼女たちを罵るのはセカンドレイプの可能性があるからやってはいけない」とも述べているが、“警察に行かずに週刊誌に訴えるのはおかしい”と書いている時点で、被害女性になんらかの目論見があるのではと言っているようなもの。つまり彼もセカンドレイプに加担しているのではないだろうか。
また志らくは「松本人志を信じます」だそうで、その理由は「私にとってはダウンタウンはテレビ界の恩人だと思っている」からだそうだ。落語家らしく、人情味のあるオチをつけたと思う人もいるだろう。しかし、私は志らく発言に、日本で性被害を訴える難しさが内包されている気がした。
志らくは「恩人だから」松本を信じるらしいが、旧ジャニーズ事務所創業者である故・ジャニー喜多川氏の性加害問題を思い出してほしい。
少年たちはジャニー氏が自分をスターにしてくれるかもしれない「恩人だから」、性被害を親にも言い出せなかったのではないか。また2004年には、最高裁がジャニー氏の性加害を認めているが、テレビはそれを黙殺。まるで何もなかったかのように、旧ジャニーズ事務所のタレントを起用し続け、その関係を深めていった。それも、人気タレントに番組に出てもらっているという「恩」があったからだろう。
恩といえば、ジャニー氏本人とも親交があったデヴィ夫人は、性被害を訴え出た元タレントや、そのことを「勇気ある告白」と述べた東山紀之氏を、Xで「その才能を見出し、育て、スターにしてくれたジャニー氏に対して、恩を仇で返すとはこのことではないか。非礼極まる」と非難していた(3カ月後に謝罪・撤回)。
このように「恩」という言葉を使うと、社会的地位や影響力のある人の不正に誰も何も言えなくなってしまうのだ。
志らくのスタンスにはもう一つ気になることがある。彼はジャニー氏の性加害問題の際、これまで沈黙していたのに、急に旧ジャニーズを叩きだしたメディアの批判こそしたものの、被害者に「警察に行け」などとは言っていなかった。
例えば、国民栄誉賞を受けた作曲家の故・服部良一氏の次男・吉次氏も夕刊紙で、自分も被害者であると名乗りを上げたが、小学生の頃――つまり70年も前の出来事で証拠となるものは何もない。しかも彼は旧ジャニーズに所属していたわけではない。松本の性加害問題で、“被害女性にはなんらかの目論見があるのでは”と言っていると受け止められてもおかしくない物言いをした志らくであれば、吉次氏にも「警察に行け」と言いそうなものだが、言わないのはなぜだろうか。
それは04年にジャニー氏の性加害を最高裁が認めているから、そして、吉次氏が国民栄誉賞を受賞した服部良一氏の子息だからではないか。最高裁や国民栄誉賞受賞者の子どもといった権威のある機関、人の言うことを無条件に信じてしまう――それを心理学では「権威バイアス」というが、志らくはそのバイアスが強すぎるように思うのだ。
近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」など、旧ジャニーズ事務所のタレントに多くの楽曲を提供してきた山下達郎は、ジャニー氏の性加害を「何も知らない」と述べ、「私の人生にとって一番大切なことは、ご縁とご恩」といって、作曲家として名を成すチャンスをくれたジャニー氏への思慕の念は消えていないといったような発言をしていた。
つまり山下は、人がなんと言おうと、自分にとってジャニー氏はかけがえのない人だったと言っているわけだ。この意見を好ましくないと思う人もいるだろうが、「恩を忘れない」という意味では、筋が通っている。
一方の志らくはどうか。「警察に捕まって裁判になり有罪となったら軽蔑はするが、週刊誌に好き放題書かれただけの現状では、私は松本人志を信じます」と投稿していたるが、これは「役所が認めない限り、信じる」という「条件付きの恩、信頼」といえるだろう。そんな志らくの筋の通らなさが気になるとともに、権威があるというだけで、無条件に信じてしまうことの怖さを感じてしまう。
03年に発覚した、早稲田大学のイベントサークル「スーパーフリー」の集団強制性交事件を覚えている人も多いと思う。ディスコでイベントを行い、女性を泥酔させて集団で性暴行する。その所業は「マワシ」と呼ばれ、メンバーはそれをスムーズに行うために、役割分担がなされていたと週刊誌で読んだ。
彼らは、お酒を飲み慣れていない、知り合いが少ないので情報が入ってこない、親などにすぐ相談できないという地方出身の新入生――つまり「弱い立場」の女子をターゲットにしていたという。松本が後輩芸人に女性を集めさせ、性加害をしたと決めつけるつもりはないが、もし記事内容が事実なら、なぜわざわざ一般女性を選んだのか気にかかる。
性被害というと、すぐに「ついていった女が悪い、金目当て」と言い出す人が多数現れるが、結局のところ“弱い者いじめ”なのだと思う。男尊女卑が強く、志らくのように権威バイアスの強い人が多い日本では、性加害はなくならないように思えてならない。