“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
小澤千鶴さん(仮名・52)は、亡くなった父親の日記を読み、驚がくする記述を発見した。祖父が、父の姉を死なせていたというのだ。
(前編はこちら)
娘を病院に連れていかなかった祖父
小澤さんはその経緯を語る。
「ひどい腹痛を訴える娘に、『お前は農作業の手伝いをしたくないから、仮病を使ってるんだろう』と叱りつけ、病院に行かせなかったというんです。あまりの痛がりように、病院に連れて行ってほしいと懇願する祖母に祖父もしぶしぶ折れて、病院に連れていったときにはすでに手遅れでした。父の姉は、激痛に苦しみながら死んでしまったそうです。
父の長兄はもの静かな人で、人と争うことも、声を荒げることもありませんでした。父の記述によると、祖父の理不尽な命令にも反抗することなく、幼いころから黙って農作業を手伝っていたとありました。その伯父も60代で亡くなりましたが、悲しさや怒りを胸に秘めておくしかできなかったのではないかと思いました」
父も姉が亡くなった当時まだ子どもだったので、もしかすると記憶違いもあるかもしれない。それでも、父は晩酌をしては亡くなった姉の思い出を語り、こらえきれずに涙を流すことも多かったという。
「父親の世代は兄弟が多いですが、その中の一人や二人、幼いころに亡くしていることも少なくありません。母も弟を亡くしています。だから父の姉が亡くなっていたことは耳にしていたものの、さほど深刻にとらえたことはありませんでしたが、父の日記を読んで言葉を失うほどの衝撃を受けました。祖父のやったことはまぎれもなく虐待でしょう。鬼のような行いを、自分の肉親がしていたなんて……」
小澤さんの知っている祖父は寡黙で、めったに喜怒哀楽を表さない人だった。近寄りがたくて、打ち解けて話をした記憶もない。ただ、「無口なおじいさん」という程度の認識だった。
祖父も戦争の犠牲者かもしれない
小澤さんも、前編で紹介した武田鉄矢さんの話を読んだ一人だ。そして、父の姉を虐待死させた祖父ももしかしたら、戦争の被害者だったのかもしれないと思うようになった。
父も亡くなり、若いころの祖父のことを知っている親族はいなくなったので、もう確かめようもない。祖父の出征時の写真を見たような記憶はかすかにある。祖父は大正生まれだから、年齢的に徴兵されていないとは考えられない。
「祖父のしたことは決して許されることではありません。それでも、祖父もまた戦争で心に傷を負っていたのかもしれないと思うんです」
武田鉄矢さんの自伝を元にしたドラマでは、武田さんの父は給料を使い果たすほどの飲んだくれで、しっかり者の母が家族を支えていた。小澤さんの祖母は、祖父と違って常に笑顔を絶やさない、それは優しい人だったという。激痛に苦しむ長女を見殺しにするような形で亡くした祖母は、その後どんな思いで祖父と過ごしてきたのだろう。
祖母は60代でがんになり、長女と同じように痛みに苦しみながら亡くなったという。一方で祖父は90歳を超えても元気で暮らし、最後は家族に看取られて平穏に亡くなった。
「娘を虐待死させた祖父が長寿で、苦しむこともなく逝ったと思うと、神様は何を考えているんだろう、理不尽だなと思ってしまいますね」
暴力による恐怖や憎しみは何らかの形で生き続けている
小澤さんは、コロナ禍で困窮する人たちからのさまざまな相談を受けるボランティア活動を行っている。夫や親のDVに悩む女性からの相談があまりに多いことに、がく然としているという。
これまでは、そんな実態を客観的に見る余裕があったが、祖父のことを知った今は他人事とは思えなくなった。ガザ地区で傷ついた子どもの姿も、父の姉と重なって見える。
「決して擁護はできませんが、武田鉄矢さんの父のように加害者にも心の傷があるのだとしたら、何かしらの治療や回復プログラムにつなげないと、苦しみは連鎖するのではないかと胸を痛めています」
前編で触れた教師たちはおそらくすでに鬼籍に入っているだろう。けれどSがしたように、家族や周囲の人に向けた暴力による恐怖や憎しみは何らかの形で生き続けているのではないか。戦争は今も世界各地で続いている。人間とはどこまで学ばない存在なのか。どうか今年こそは平和が訪れますように。