“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
介護する家族による虐待は少なくない
介護ヘルパーが家庭内でのDVや虐待を発見することは少なくない。長くヘルパーとして働く女性は、こう証言する。
「入浴や着替えの介助をする際、皮膚など全身に異常がないか確認することも私たちの仕事で、そのときに不自然な青あざや傷を発見することもあります。虐待の可能性もあるので、ケアマネジャーとも情報を共有し、家族関係などを注意して見守ることになります
介護施設の職員が入所者を虐待した事件はしばしばニュースになるが、在宅介護でストレスのたまった家族が、介護される配偶者や親を虐待することもあるというのは、悲しいことだが事実なのだ。
老人ホームに入って、夫が妻に暴力を振るうようになったという話は、「『いくら認知症とはいえ理解できない』母のことが大好きだった父……老人ホームで『母に激しい暴力を振るう』」で紹介した。真山昌代さん(仮名・57)の義父母は同じ老人ホームに入居したが、義父が義母に激しい暴力を振るうようになり、義母は同系列の別のホームに移った。義父と離れた義母は認知症の症状がすっかり落ち着き、普通の会話もできるようになった。それだけでなく、趣味のサークルに顔を出すまでになったという。
自分が認知症だと認めない妻。その理由は
訪問看護師として働く古関修子さん(仮名・52)の話は、これらとは少し様子が違った。
「私が伺っている小松原さん夫婦のお宅は、奥さんが認知症です。ご夫婦の関係があまりよくなかったので、隣県に住む娘さんがたびたび様子を見に来られていました
娘が両親のもとに通わざるを得なかったのには、もうひとつ理由がある。母親の小松原幹子さん(仮名・81)が、自分が認知症であると認めようとしなかったからだ。だからヘルパーやデイサービスを利用することができなかったのだ。
「認知症だと認めたくないのは、おそらく自分が認知症になると、仲の悪いご主人の世話にならなければいけない。それが嫌だったのだと思います」
古関さんは看護師なので、幹子さんに受け入れてもらうことができた。体調管理という名目で、定期的に訪問している。
とはいえ、ヘルパーも入らず、月に数回娘が訪れる程度で小松原さん夫婦の生活が成り立っていたのは、認知症ならではの“こだわり行動”のおかげだと古関さんは考えている。
「認知症の方は、毎日決まった行動ならできるんです。奥さんのルーティンは、スーパーへの買い物でした。同じルートで、同じ店に行き、同じものを買ってくる。だから、小松原さんの冷蔵庫にはマヨネーズや牛乳が何本もあることになりますが、それでも生活に大きな支障はなかったので、介護サービスを受けなくても生活できていたのですが……」
古関さんが週に1回小松原さん宅を訪問し、娘が毎月両親の様子を見に行くことで、何とか小松原さん夫婦の生活は回っていた。
ところが、娘が体調を壊してしまった。
小松原さん夫婦は、単に仲が良くないというだけではなかった。長年夫が妻に暴言を吐いていたのだという。幼いころからそんな両親を見続けていた娘は、親と距離を取りたいと大学入学とともに実家を離れていたのだが、幹子さんが認知症になると介護のため頻繁に実家に通わざるを得なくなった。そのため、再び精神のバランスを崩してしまったのだ。
――続きは2月25日公開
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