私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。
<今回の有名人>
「芸能界に20年以上いて、松本さんのそのモラハラとか、パワハラとかっていうのを現場で聞いたっていうことはないんですよ」優木まおみ
『情報ライブ ミヤネ屋』(2月13日、日本テレビ系)
目次
長いこと芸能界にいるのに、松本の悪評を聞いたことがない――優木まおみの主張
昨年末、「週刊文春」(文藝春秋)が報じたダウンタウン・松本人志による一般人女性への性加害。芸能界有数の大物のスキャンダルだけに日本中が大騒ぎとなり、松本は芸能活動を休止。松本は記事にあるような女性への性行為の強要はなかったとして、文藝春秋を提訴し、第一回口頭弁論が3月28日に東京地裁で行われると発表された。
裁判が始まるのだから、その判断を待つべきであることはわかっているが、この問題に対する芸能人のコメントを見ていくと、人はいろいろなバイアス(思い込み)を持っているものだなと思わされる。
具体例を挙げてみよう。2月13日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)に出演したタレント・優木まおみは「私も芸能界に20年以上いて、松本さんのそのモラハラとか、パワハラっていうのを現場で聞いたっていうことはないんですよ。セクハラにしても」「ジャニーズの問題とか、宝塚のいじめ問題とかと、なんかごっちゃにして扱われること自体が、違う問題なんじゃないかってすごく思っていて、社会的なことにすり替えてコトを大きくしているんじゃないかっていう感覚もすごくしてしまう」とコメントしていた。
優木は、事実関係は不明であるとしていたが、「コトを大きくしている」という発言から、女性の告発を信じておらず、松本寄りのスタンスであると受け取って差し支えないだろう。長いこと芸能界にいるのに、松本の悪評を聞いたことがないというのは事実だと思われるが、これって典型的な心理バイアスといえるのではないだろうか。
優木まおみ発言に見る「生存者バイアス」とは?
例えば、会社にパワハラ上司がいて、そのターゲットとなった部下が自殺してしまったとする。そんな時、パワハラはあったのか、あったとすればどんなものだったのかと、会社は自殺した人の周辺を調査するだろう。
しかし、同僚からは「自分にもパワハラまがいのことはあったかもしれないけれど、自分はあまり気にしなかった」とか「自分はパワハラではなく、叱咤激励と受け止めていた」と上司を擁護するような答えばかりが集まり、結果、パワハラ上司はお咎めなしになることは珍しくないのだ。
これは、部下が上司に気を使っていることもあるが(上司の非をあげつらうようなことを言って、それがバレた場合、自分の立場が危うい)、自殺を選択するしかないほどの強いパワハラに直面していない人に話を聞いているからではないか。
上司のパワハラに本気で悩んだ場合、たいていの人は会社を辞める。なので、実際に辞めた人に話を聞けば、パワハラの具体的なエピソードが出てくるだろう。しかし、今、会社にいる人は、深刻なパワハラ被害に遭っていないから、会社を辞めないで勤め続けているとみることができる。
そういう「大丈夫だった人」に話を聞いたなら、何人に聞いても明確なパワハラエピソードは出てこない。その結果、「パワハラというほどのことはなかった」と矮小化され、場合によっては「自殺した人のメンタルが弱かった」と個人の責任にされてしまう。このような“人選ミス”によって生まれる思い込みを、心理学では「生存者バイアス」と呼んでいる。
優木の「芸能界に20年以上いるのに、松本のモラハラ、パワハラというような悪評を聞いたことがない」というのも、典型的な生存者バイアスのように思える。
優木まおみは論理的に物事を考えるのが苦手なタイプ?
上述したように、仮に優木の周辺で松本からモラハラ、パワハラされて深く悩んでいる人がいたとしても、相手は芸能界の超大物、うかつには口に出せないだろう。ゆえに自分から芸能界を去っていく可能性が高い。だから、優木の耳に悪評は入らないのであって、それは松本がモラハラ、パワハラをしていない証拠とはならないだろう。
かつてグラドルだった優木のキャッチコピーは「エロかしこい」。この「かしこい」とは、優木が国立の東京学芸大学を卒業している、つまり高学歴なことからつけられたものだ。松本に関するコメントを受け、「勉強はできるけれど、論理的に物事を考えるのは苦手なタイプかもしれない」と思ったが、別の意味では、やっぱりかしこいのかもしれない。自分にとって無関係なことはないものとみなし、強い者に巻かれる――それが芸能人として正しい、もしくはかしこい姿であることは残念ながら、否定できないのだから。