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『酒のツマミになる話』小籔千豊の“ド昭和”な一面が露呈した「ええとこの」女性の話

私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。

<今回の有名人>
「ええとこの子、金持ちの子が……」小籔千豊
『酒のツマミになる話』(3月15日、フジテレビ系)

目次

西川きよしの“聖”と“俗”の顔
小籔千豊の美魔女批判に見る“聖”と“俗”
小籔千豊「ええとこの子、金持ちの子」に対する偏見
小籔千豊の女性観は「ド昭和」

西川きよしの“聖”と“俗”の顔

 義理人情、親孝行、家族第一。道徳の教科書に載っていそうな話が好きな芸人というと、西川きよしが思い浮かぶ。

 家がとても貧しく、高校に進学することができなかったことから、一攫千金を夢見て芸人になる。故・横山やすしさんとコンビを組んで大ブレークを果たし、子どもの頃からの夢であった大きい家を建て、子どもたちはもちろん、自分と妻のヘレンの親3人を呼び寄せて同居をする。親の介護に直面したことから、参議院議員選挙に出馬することを決意。「小さなことからコツコツと」をキャッチフレーズに国政に打って出て、見事当選を果たす。

 道徳的で正しいエピソードといえるが、その一方できよしは若い頃から浮気癖がひどく、『モモコのOH!ソレ!み~よ!』(関西テレビ)によると、ヘレンは夫が浮気しているかどうかを確かめるために、パンツに番号を書いておいたという(パンツの番号に抜けがあれば浮気の証拠となるそう)。また『徹子の部屋』(テレビ朝日系)では、ヘレンがきよしの愛人の家に乗り込んでいったエピソードを明かしていた。

 しかもきよしは、家族みんなで暮らせる大きな家を建てたものの、親の介護をしていたわけでなく、ヘレンが一手に引き受けていたそうだ。ここだけ見ると、道徳的ではなく、むしろ自分勝手な人に見えてきやしないだろうか。

 だからといって、「きよしにはウラオモテがある!」と言いたいわけではない。人には誰しも“聖なる部分”と“俗な部分”の両方があり、“聖”が強い人は“俗”な部分もそれと同じくらい強いのではないかと思うのだ。

小籔千豊の美魔女批判に見る“聖”と“俗”

 小籔千豊も「聖に見えて俗」を感じさせる芸人といえる。美魔女(筆者注:美容医療などを積極的に駆使して、魔法がかけられたかのように若く見える外見を保っている中年女性を指す。夫もしくは本人が高収入であるために、美容にお金がかけられる)ブームが起きたとき、小籔は「白髪染めも我慢して、自分磨きのお金を子どもの塾代にしているおばはんもおるわけです。そのおばはんも賛美する逆側の意見もないと」とコメントし、ネットで称賛された。

 道徳的で正しい意見と捉えられたのだろうが、しかしよく考えると変ではないか。美魔女は別に白髪染めを我慢しているおばはんをバカにしたり、下に見ているわけではない。彼女たちは、己の甲斐性で自分の好きなことを追求しているだけで、誰にも迷惑はかけていない。賛美する側もそんな彼女たちの美のあり方を評価しているにすぎないのだ。

 結局のところ、小籔は、女性とは献身的で忍耐力があり、自分のことは後回しにして夫と子どもに尽くすのが「あるべき姿」だと心の奥で思っており、美魔女のようにいい年をして、自分にお金をかける女性が嫌いなのではないか――そんな“俗”な一面が見えてくる。

小籔千豊「ええとこの子、金持ちの子」に対する偏見

 3月15日放送『酒のツマミになる話』(フジテレビ系)でも、小籔の“聖”と“俗”の両面が垣間見えた気がする。

 アインシュタイン・河井ゆずるが若手の頃、当時の彼女と飲んでいたところ、お店で後輩に出くわしてしまった。一緒に飲むことになり、河井は後輩におごらなくてはならなかったが、お金がない。会計の金額は河井の所持金をはるかに超えており、どうしようと思ったところ、彼女が河井の動揺を察して、後輩に気づかれないように、テーブルの下でお金を渡してくれたのだという。

 小籔はこのエピソードが気に入り、グッドサインを出していた。河井はその彼女と別れてしまったそうだが、「お前、カスやな」「いまだに月3万は払えよ」と言っていた。

 後輩に悟られないようにお金を出してくれた女性を称える“聖”の面も見せつつ、小籔は“俗”な一面も披露する。

 小籔が今の妻を「いい人だな」と思ったのは、スキー旅行の最中だったそうだ。男女3対3で出かけた旅行だが、移動の最中、「ええとこの子、金持ち」の女性が、罰ゲームありのすごろくをやろうと提案してきたそう。しかし、小籔は女性が罰ゲームを嫌がることを見越して断るが、その「ええとこの子、金持ちの子」は「絶対にやるから」と譲らなかったという。

 ところが、実際にすごろくをしたところ、例の女性が「みんなの周りをゴリラの真似をして一周する」コマにあたると、「私、できひ~ん」と拒否。小籔が「だから言ったやろ」とキレたところ、のちに小籔の妻になる女性が「私、代わりにやる」と手加減せずにゴリラのモノマネを披露したそうだ。

 自分で言い出しておきながら、罰ゲームをやらずにその場の空気を悪くする人はいるものだが、この話に「ええとこの子、金持ちの子」という描写は必要だろうか。そこに私は小籔の“俗”を感じてしまう。「ええとこの子、金持ちの子」でなくても、約束を守らない子はいる。小籔は「ええとこの子、金持ちの子」は鼻持ちならないという先入観を持っているように思えてならないのだ。

小籔千豊の女性観は「ド昭和」

 小籔の“聖”と“俗”の二面性からは、お金持ちの家庭で育った女性はわがままに違いない、美魔女のようにお金を使う女性もダメ、だけど、彼氏のピンチの際は周囲にバレることなくお金を渡して支える女性は大好き――そんな彼の女性観がわかる。人の趣味にケチをつけるつもりはないが、ものすごく昭和前半の女性観ではないだろうか。

 だからといって、今の時代に合っていないと言うつもりはない。大谷翔平選手と結婚した妻の料理の腕前を週刊誌が取り上げるなど、メディアもしくは世の中というものは、実はかなり保守的で、口には出さないものの、昭和的な価値観を持つ人も相当数いる。小籔がそういう価値観を示すことで、溜飲を下げる人もいるはずだ。

 聖書では、善人そうに見えて腹に一物ある人のことを「羊の皮をかぶった狼」と表現しているが、小籔はまさにそういう人物であり、一方で、令和時代のテレビ界で生きるド昭和な人物といえる。そんな彼を支持する人はかなり多い気がする。

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