今期放送中の『大奥』(フジテレビ系)。同シリーズの熱心なファンである歴史エッセイスト・堀江宏樹氏によれば、今作は歴史改変だらけとのこと。最終回目前に、史実的に問題があるトピックを解説します。
目次
・史実の五十宮倫子は、もっとも幸福な女性だった
・倫子の死から2年後、次女にも先立たれた家治
・史実における、お品とお知保の“その後”
史実の五十宮倫子は、もっとも幸福な女性だった
内容に問題が多かった気がする今期のドラマ『大奥』。最終回を目前とした現在、浅野ゆう子さんと小芝風花さんの尼姿ツーショット写真が公開され、ドラマの五十宮倫子は家治より長生きすることが確定したと考えざるをえなくなりました。
今回の『大奥』の最大のヤバさは、実在の歴史上の人物が登場するだけで、その属性や寿命などに一切の史実性がなかったことだと思います。このままだと、ドラマしか見ていなければ、怪しげな記憶しか残らないことは必須ですから、史実の五十宮倫子の後半生や、子どもたちの運命についてあらためてお話ししておかねばならないと感じました。
史実の倫子は、ドラマとはまるで違う栄華の中で晩年を迎えた女性です。おそらく歴代の将軍御台所の中ではもっとも幸福な女性だったのではないでしょうか。今期の『大奥』では「ラブストーリーである」という触れ込みも虚しく、最終回直前でも徳川家治と倫子の間はギクシャクしっぱなしですが、ああいうことは史実ではなかった模様です。
家治との間に授かった次女・万寿姫(ますひめ)だけでなく、側室・お知保の方が産んだ家基も養子として自分の側で育てることに成功し、その権勢は誰も逆らえぬほどになっていました。
しかし、明和8年(1771年)8月20日、倫子は35歳で倒れ、そのまま亡くなってしまったのです。彼女の死について、異常な逸話は語られないので、毒殺ではなさそうです。ただ、家治の周辺は(家治本人も含め)本当に不審者、急死者があまりに多く、なんらかの事件性を感じなくもないというところでしょうか……。
倫子の死から2年後、次女にも先立たれた家治
史実では案外、子どもに恵まれた女性だった倫子の姿を振り返り、まとめてみることにしましょう。ドラマでは御台所・五十宮倫子が産んだ長女・千代姫は死産として描かれました。
一方、史実の千代姫は死産でこそありませんが、宝暦6年(1756年)に誕生したものの、1年たらずの短命に終わってしまいました。
宝暦11年(1761年)、家治と倫子は次女・万寿姫を授かりましたが、明和10年(1773年)、彼女もわずか13歳で亡くなってしまいます。『幕府祚胤伝』に彼女の死因などは書かれてはいないので、千代姫同様、万寿姫も病弱だったのかもしれませんね。
家治にしてみれば、最愛の妻・倫子の死から2年後、次女の万寿姫にまで先立たれ、悲しみもひとしおだったと思われます。おまけに万寿姫は、尾張徳川家の徳川治休と婚約中の急死だったので、本当に無念だったはずです。
しかも、本当は倫子が母親代わりになって育てた家基ですら、安永8年(1779年)、18歳の若さで病死しまいました。次男・貞次郎はすでに宝暦12年、生後3ヶ月で亡くなっていますし、家治の子どもたちはこれで全員、早死してしまったことになりました。
史実における、お品とお知保の“その後”
史実の家治は五十宮倫子を愛していましたが、それだけでなく、彼女の愛を失いたくないがあまり、倫子に媚びる傾向もあったようです。側室・お知保の方や、お品の方との間に男子を一度授かった後には、彼女たちと積極的に関係を続けようともしませんでした。
ドラマではまだ幼い家基を、五菜(ごさい)の猿吉に溺死させられたお知保の方がショックのあまり寝付いてしまっていましたが、史実では幼いわが子を失い、抜け殻のようになったといわれるのはお品の方だったのです。
史実のお品は、それからというもの病気がちとなり、家治から顧みられることもなく、死ぬまで大奥の片隅で過ごすしかなかったといいます。倫子が家治にお品を差し出したにもかかわらず、倫子からも見捨てられてしまったようですね。
また、せっかく授かったわが子・家基を御台所・倫子に奪われ、その後、ろくに家治・倫子の両方から目をかけられなかったお知保の方も大奥では影の薄い存在となっていましたが、家治が亡くなると出家し、蓮光院という法名を得て、江戸城二の丸に移動しました。そこで亡くなるまで家治と家基の菩提を弔い続けていたそうです。
こうやってまとめていくと、今期の『大奥』、本当にすべてが自由すぎて、無責任な描かれ方だったというしかありません。徳川家治よりも長生きした五十宮倫子が尼になっている世界線など、時代劇どころかすでにSFドラマのような気もします。しかし、泣いても笑っても最終回ですから、最後の最後までやらかしまくって「伝説」となってほしいものです。