“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
目次
・福岡の中学で起こった「出願ミス」問題
・中学受験の合格手続きで「考えられないミス」
・母は塾に窮状を訴えるも……
・B学院のトップから直電
福岡の中学で起こった「出願ミス」問題
先日、福岡市の女子中学生3人が、教員の願書の出し忘れが原因で、志望校の一般入試を受験できなかった問題が大きく報道された。願書の提出を担当する教員が、“組合立”である志望高校と県立高校の提出期限を混同。期限の2時間遅れで高校に願書を持参したものの、「公平を期すため」として認められず、生徒は受験機会を失ったというものだった。
報道によると、その学校を第1志望校としていた生徒もいたそう。生徒保護者の「子どもは未来を絶たれ、不安な毎日を過している」というコメントに、全国から同情の声が殺到したことは記憶に新しいところだ。
なお、のちに、高校側が事故や病気で受験できなかった生徒向けの「追選抜」の制度を準用し、特例的に受験機会を設けたと説明。生徒たちの受験状況などは明らかにされていないが、そのうちの一人は「合格してもレッテルを貼られる」と受験しなかったことが、メディアの取材で判明している。
なぜこのような不運な(しかし、あってはならない)事態が発生したのかといえば、学校の先生が複数人の出願を請け負う方式が、そもそも思い込みによるミスを誘発しやすいと推測される。
事態を重く見た福岡県教育委員会は、2026年度から受験生や保護者がウェブ上で願書を作成し提出できるようにする方針を決めたそうだ。加えて、受験料を24時間支払い可能とする電子決済も導入するらしい。
教育委員会が迅速に、二度と同じ思いをする生徒を出さないようにと動いたことは評価できるが、自分に何の落ち度もないのに、受験すら認められなかった生徒さんたちの傷はまだ癒えていないはず。彼女たちの明るい高校生活を祈るばかりだ。
中学受験の合格手続きで「考えられないミス」、辞退扱いになり母パニック
今回は本当に気の毒なケースであったが、実は受験界では、似たようなことが起こりがちだということをご存じだろうか。
保護者が受験に関するすべての手続きを行う中学受験では、毎年、出願や入学手続きでのミスが発生している。短期間に複数校を受験することが普通である中学受験においては、親も精神状態が不安定なので、普段では考えられないミスを犯してしまうこともあり得るのだ。
特に、合格手続きと入学金の支払い手続き期限などは、鬼門中の鬼門。各学校で締め切り日時も違うため、ミスが起きやすい。塾側も口を酸っぱくして、保護者に注意喚起を促しているが、塾の先生に聞くと、手続きミスで大騒ぎになるケースは毎年、どうしても出てしまうのだという。
筆者も手続きミスに関する話はいくつか耳にしたことがあるが、今回は、その中でも特に印象に残ったケースについて、お母さんと教室長からの話を元に振り返ってみたい。
ある年のこと。真美さん(仮名・当時6年生)は、共学校であるA学園を目指し、努力を続けていた。最終模試結果の合格確率は5分5分。しかし、熱望校であったため、2月1日と5日の入試日程の両方に出願したという。
けれども、残念ながら2月1日は不合格。気持ちを切り替えられないまま、翌2日の別の学校も不合格。2つのバツが続いたせいで、家の中には重い空気が漂っていたそうだ。
明けて2月3日はB学院を受験。翌日、ホームページで合格を確認した時、母である道子さん(仮名)は安堵のため息をついたという。
「合格を一つ確保できて、ホッとしました。これで、不信感しかなかった公立(中学)に行かずに済むと思ったのです」
ところが、道子さんはここで致命的なミスを犯してしまう。合格発表日は、学校のホームページ、あるいは学内掲示で合否の確認をするだけで終わるわけではない。合格していた場合、合格書類交付の手続きがいるのだ。
道子さんはサイト上で合格を確認した後、当然のことながら、その学校まで出向いて、受験票を出し、合格証を受け取らなくてはいけない。それをしなければ、合格辞退とみなされてしまうのだが、道子さんは熱望校A学園に気を取られすぎたためか、合格の文字に気が緩んだためか、合格書類交付日と入学手続き締め切り日を、結果的に混同してしまったのだ。
B学院の合格書類交付締切日は2月4日午後1時。道子さんがそのことに気がついたのが 2月4日の夕方だった。締め切りを過ぎているなんて夢にも思わず、書類を取りに行ったら、学校側ではとっくに合格辞退として処理されてしまっていたというオチだ。自分の勘違いで合格がないものになってしまったのだから 、道子さんはパニックになった。
「合格」という愛娘のこれまでの努力の勲章が、母のうっかりで水の泡になったのである。5日には熱望校A学園の受験があるが、同校は一度は門前払いになっている学校であり、定員は初回よりもグッと少なく、倍率も高い。明日、受かるなどと誰も保証できないだけに、道子さんのミスは“取り返しのつかないもの”だったといえる。
母は塾に窮状を訴えるも……B学園からの回答は「NO」
道子さんは泣きながら塾に窮状を訴えたという。「私のミスで…… 私のミスで……」とただ泣き伏す母に、当時、教室長はこう思ったそうだ。
「どこもそうだが、B学院もちゃんと書類に『合格証を合格発表日時内にお受け取りください。お受け取りのない場合は入学辞退となりますのでご注意ください』と太字で明記されている。これは難しいかもしれない……」
入試とそれに伴う手続きで一度でも例外を作ってしまうと、例外が例外を呼び、正常な学校運営ができなくなる。親の勘違いによるミスだとしても、そう簡単に救済措置を認めるわけにはいかないという厳しい面があるのだ。
教室長はダメ元で、B学院に平身低頭してお願いをしたそうだ。そして同時に塾の本部からも「何卒、特別なお計らいを」という連絡をしてもらったという。しかし、もちろん結果は「NO」。 中学入試は誰にとっても公平でフェアなものでなければならないのだ。事務方がNOと言うならば、それが学校判断。諦めなければならない。
教室長は、真美さんと道子さん親子に「残念ですが……明日の入試に気持ちを切り替えましょう」と切り出すしかないと腹を決めていたという。
B学院のトップから塾に直電! 「どうぞ合格書類をお持ち帰りください」
しかしその矢先、B学院から塾に電話が入った。どういう経緯なのかは不明だが、このことが学院長の耳に入り、自ら連絡をしてきたのだそうだ。
「お嬢様は何も悪くありません。お嬢様に罪はありません。こんなことで親子関係がギクシャクするのは良くないので、どうぞ合格書類をお持ち帰りください」
なんとトップの英断で合格書類が交付されたのである。この救済措置を受け、道子さんと真美さん親子は驚くべき行動に出る。
その後、真美さんは熱望校A学園の2回目入試に合格したのだが、実は発表前に、B学院への入学手続きを行ったのだ。教室長は驚いて、
「お母さん! 真美さんは見事にA学園に受かったじゃないですか! 熱望校だったんでしょ? どうしてA学園に手続きされないんです? こんなことがあったからって、我々やB学院に気を使わなくてもいいんですよ。真美さんの一生の問題ですよ! 行きたかったところに行けるんですよ? もう一度、よく考えて!」
と説得を試みたという。
しかし道子さんは、その時、穏やかに首を振りながら、こう答えたという。
「このご縁は切ってはいけません。私たちはこのご縁を大切にしたいんです」
教室長が言うには「不思議なことに、真美さんもすっかりB学院のファンになっていました。本人がB学院に行きたいと目を輝かせて言うものですから、僕らはその決断を応援することにしたんです」とのこと。
普通に考えて、熱望校に合格しているのだから、そちらに進むべきと思う。私も教室長の進言は間違ってはいないと思う。しかし、長い間、中学受験の取材をしていると、受験には“ご縁”というものが、確かに存在するような気がしてならない。
誰しもが“ご縁”という目に見えない不思議な糸に導かれて、その学校に招き寄せられていくように感じることが多いのだ。この話を聞いた時も、「これが道子さん親子の“ご縁”だったのだろうな……」という気持ちがしたことを思い出した。
真美さんは、その春、笑顔でB学院の門をくぐり、その後も学園生活を謳歌したと聞いた。今頃、彼女も社会人になって活躍していることだろう。この決断が道子さんにとっても、真美さんにとっても、満足のいく現在につながっていることを祈っている。