私たちの心のどこかを刺激する有名人たちの発言――ライター・仁科友里がその“言葉”を深掘りします。
<今回の有名人>
「人を許すことができるようになったのかもしれない」小島慶子
『徹子の部屋』(4月3日、テレビ朝日系)
目次
・小島慶子のこれまで
・小島慶子は今も昔もモラハラ気質?
・小島慶子はエビータと同じ
元TBSアナウンサー、“コジケイ”こと小島慶子のこれまで
立て板に水のようにしゃべる元TBSアナウンサー・小島慶子(以下、コジケイ)も、天下の黒柳徹子を前にするとそうはいかないよう。黒柳というレジェンドと『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の視聴者層に考慮したのだろうが、4月3日の同番組に出演したコジケイはゆったりと静かな口調で近況を語っていた。
コジケイといえば、夫が会社を辞めたことから、お子さんの教育のために、2014年に彼女自身が生まれた地、オーストラリアのパースに移住する。夫が家事育児をし、コジケイが日本とオーストラリアを往復しながら、大黒柱として家庭を支える形の生活を始めた。コジケイはジェンダーフリーの論客として名高いが、自ら「男が働き、女が家を守る」というステレオタイプの真逆をいく家族の在り方を実践した形になる。
教育移住を決心した背景には、コジケイの葛藤があったようで、2020年2月25日号「週刊女性」(主婦と生活社)によると、仕事を辞めた夫に対して尊敬の念が持てず、「誰のおかげで食べていけると思っているのよ」というモラハラ的な言葉まで口にしたこともあったという。そんな収入も肩書もない夫を尊敬するために、夫が仕事をしていないからこそできることは何かを考え、教育移住を決めたそうだ。
このように書くと、夫が仕事を辞めたショックでモラハラ発言をしてしまったけれど、それは過去の過ちと認め、移住したことでまた尊敬を取り戻すことができた――そんな好印象を受ける人が多いのではないだろうか。
小島慶子は今も昔もモラハラ気質?
一方で私は、移住後のコジケイに、わずかながら変化を感じていた。彼女の原稿から、夫の話題がなくなったのだ。『解縛:しんどい親から自由になる』(新潮社)に詳しいが、コジケイは親御さん、特に母親との関係がしっくりいかないこともあったが、夫という絶対的な味方を得て幸せになったとさまざまな媒体で発信。夫とはいつまでも男女の関係でありたいと書いた原稿を読んだ記憶もある。日本では配偶者のことを正面切って褒めたり、愛情表現をする人は少数派だから印象に残っていたが、ある時からそういう記述がなくなったのだ。
これはなんかあったなと思っていたところ、コジケイは、「エア離婚」(コジケイいわく、法的な離婚手続きはとらないが、離婚をすることについて夫婦の合意が成立した状態で婚姻関係を続けること)を発表する。上のお子さんが生まれたばかりの頃、夫が「歓楽街で女性をモノのように消費」したのだという。
風俗に行った夫は、そこで病気をもらってきてコジケイにも移した。彼女は離婚したがったが、夫が承服しないし、一人で子どもを育てていく自信もなかったので、のみこんだという。しかし、オーストラリア移住後にその時の記憶がフツフツと蘇り、どうしても水に流せないので、2番目のお子さんが大学生になったら、離婚をしようと持ち掛けた。さらにコジケイは家族会議を開いて、夫のしたことは性差別だ、女性の人権を侵害したとお子さんたちに知らしめたそうだ。
コジケイの“お仕置き”はこれだけにとどまらず、「婦人公論」の手記によると、「なぜあんな、女性をモノと見なすような行為ができたのか」と夫に16年間問い続け、参考資料を送り続けたという。
風俗に行ったことを水に流せとか許せというつもりはまったくないが、やっていることはモラハラのようなものではないだろうか。
私の友人は夫のモラハラが原因で離婚したが、元夫は小さい子がいる専業主婦の友人に「だらだらするな」「仕事に復帰するために資格試験の勉強をしろ」と申し渡し、帰宅すると勉強の進捗状況を必ずチェックしていたという。
計画通りに勉強が進んでいないと「何をしていたんだ、どうしてできなかった」と叱るそうで、これって理由を知りたいのではなく、妻を責めたてたいだけのように感じる。コジケイも同じような感じではないだろうか。
夫婦の揉め事は夫婦で解決すべきで、お子さんの耳に入れる必要があったのか。女性の人権というもっともらしいことを言っているが、単に夫を罰したかったのではないかと、疑問を抱いてしまう。
それに、コジケイが申し出た離婚の時期についても気になる。2番目のお子さんが大学生になってから離婚した場合、夫は経済的自活のために就職活動をすることになるが、日本で長年仕事から離れていた、そう若くない人の再就職は難しいだろう。オーストラリアでは事情が異なるかもしれないものの、ネイティブ並みに英語が堪能でもない限り、外国で安定した職を得ることが難しいのは想像に難くない。私から見ると、コジケイは今も昔も、ずっとモラハラ気質だ。
小島慶子はアルゼンチン元大統領夫人・エビータと同じ
そんなコジケイだが、4月3日放送の『徹子の部屋』によると、今年2番目のお子さんが大学に進学したものの、離婚はやめたそうだ。お子さんの成長の喜びを分かち合えるのは、夫だけと気づいて、再び2人で、日本で暮らすことにしたらしい。コジケイは「人を許すことができるようになったのかもしれないです」と自己分析していた。
ようやくコジケイがモラハラ気質から脱却し、夫婦の問題も丸く収まったわけだが、一方で彼女ならではの“パワー”が弱まってしまったと思うのは私だけだろうか。
TBSに入社したコジケイだが、頭角を現したのはテレビではなく、ラジオだった。ラジオでブレイクし、影響力を持つようになった女性といえば、アルゼンチンの元大統領夫人、エバ・ペロンが思い出される。
田舎町で私生児として蔑まれて育ったエバは、美貌を生かして女優になる夢を抱いて、首都ブエノスアイレスに向かった。エバは役者としては大根だったが、ラジオドラマの才能があった。当時のアルゼンチンは国民の識字率が低く、多くの人の情報源がラジオだったことから、エバの知名度は高まり、ラジオ局と専属契約、ファンからはエビータ(かわいいエバの意味)と呼ばれて慕われた。
政情不安定な当時のアルゼンチンで、エバの恋人、ペロン大佐は労働者を保護する政策を打ち出し、人気を集めていく。貧しい人をターゲットにせよと勧めたのはエバで、ペロンの影響力を恐れた政権が彼を不当逮捕すると、エバは自分の番組でペロンを釈放すべきという巧みな演説を打ち、これに触発されて全国でデモが勃発。ペロンは釈放され、大統領となった。
2人は結婚し、エバは大統領夫人となるが、貧しい人のための経済援助や婦人参政権を実現させる。こう書くと素晴らしいが、富裕層から税金をたくさんとって、貧しい人にバラまくというむちゃくちゃな政策であったため、アルゼンチン経済は急激に悪化していく。しかし、これまで貧しい人のための政策を打ち出す政治家がいなかったことから、同国内でのエビータの人気は今も絶大だ。
エビータを取材したことのあるアメリカ人ジャーナリストは、彼女について「忘れるとか許すことのできない女性」というメモを残している。褒めるニュアンスの言葉ではないし、やり方も褒められたものではないが、手段はともかく、忘れない、許さない気持ちがあるからこそ、大統領夫人となっても、貧しい人のために働けたのだと思う。
コジータ、あなたも一緒。あなたの魅力は、忘れない、許さないところ。5年後くらいに、「夫のことを許したと言ったのに、またねちねち言い出すこと」を期待しています。
さて、長きにわたり、お付き合いいただいた本連載ですが、今回で最終回となりました。これまで読んでくださった方、ありがとうございました。どこかでまたお会いしましょう!
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