“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
目次
・いきなり始まった不登校
・朝が絶不調「起立性調節障害」
・気持ちが動いた「きっかけ」は?
・桜のように咲く日が来るから
文部科学省が発表した令和4年度の小中学校における不登校児童生徒数は299048人。前年度から22.1%増加して、過去最多となった。直近5年間の数字を見ても、不登校率は増加する一方である。
原因は人によってさまざまだが、多くの場合は複数の理由が複雑に絡み合った結果だといわれている。例えばGWなどの長期休暇明けに登校できなくなるというケースは、よく知られている事実だ。
いきなり始まった不登校
藍子さん(仮名)から「娘の雪乃(仮名)がGW明けから不登校状態」だと連絡がきたのは、コロナ禍以前の梅雨の頃だったと記憶している。
雪乃さんは、その春にS学園に入学したばかり。合格した日には筆者に喜びを爆発させたメールを送ってくれたほど、母娘にとっての熱望校であった。
藍子さんが困惑した顔で語り出した。
「娘にいくら聞いても、理由が思い付かないと泣くばかりで……。でも私は、何かが嫌だから行けなくなっているに違いないって思って。ひとつずつ、考えられる理由を確認していったんです。でも、娘は『イジメはない、クラスメートや先輩とのいざこざもない、お弁当を一緒に食べる友だちもいた。勉強もついていけないほど難しくはなかった。今でも学校は嫌いじゃない。通えるなら通いたい』と言うんですよ。理由もないのに、学校に通えなくなるなんてことがあるでしょうか?」
長年の努力が実って、ようやく第一志望校に入学できた娘。なのに、いきなり不登校という状態になったのだから、藍子さんが心を痛めるのも無理はない。
「もちろん学校側も心配して、雪乃の周辺にいた子たちにも心当たりがないかを個別に聞いてくださったんです。でも雪乃の言葉通り、特にこれといったものはなくて……。月日だけが流れていくような状態で、焦りが募ります」
新学期、新学年など環境の変化は、大なり小なりストレスがかかるものだ。このタイミングで不安定になる子どもは珍しくない。特に中学受験を経て来た子の場合、苛酷な塾通いから生活リズムが激変することや、電車通学のストレスなどが関係しているのではないかといわれている。
もちろんそれらも原因のひとつだろう。しかし、これまでの取材経験で筆者は、「心と体のバランスがうまく取れない」という成長期の影響が強いように感じている。
例えるなら、体の中のコップに溜まっていたものが、ある瞬間に何かのキッカケで溢れ出し、どうにも制御できないというイメージ。
「どうして、頭が痛いんですか?」と聞かれているのと同じで、本人にもハッキリとした原因が掴めないのは当然かもしれない。
もちろん先述したように、「不登校」とひとくくりにすることはできず、子どもによって事情は異なる。そのため「こうしたら絶対に改善する」という確立されたノウハウもないのが現実だ。雪乃さんの場合を語ろう。
朝が絶不調「起立性調節障害」
梅雨という季節の影響もあったと思うが、筆者に連絡をくれた頃には雪乃さんは朝に体調を崩す日が増え、病院から「起立性調節障害」との診断結果が出ていた。
これは、血圧や心拍を調整している自律神経の働きが悪くなることで、「めまい・立ちくらみ・倦怠感・頭痛・腹痛」などの症状が起こる疾病である。思春期の子がかかりやすく、それも春先から夏にかけての暑くなる時期、さらに梅雨や台風といった低気圧が近付くときに悪化しやすいそうだ。
その頃、藍子さんがため息交じりにした話を覚えている。
「病名が出て、薬も出たんですが、だからと言って治る気配もなく……。一体、いつまでこんな状態が続くんだろう? と思ったら、心配で心配で。私も入眠剤がないと眠れない状態になってしまいました」
この疾病は朝は絶不調なのだが、午後になると不思議と動けるようになるという特徴がある。そのため、心ない人たちからは「怠けているだけ」と一刀両断にされがちで、本人はよりいっそう追い詰められた気分になるのである。
雪乃さんの場合もこの特徴に当てはまっていて、午後になると朝の不機嫌さはどこへやら、普通に動ける日も多かった。藍子さんは「動けるなら、学校に行きなさいよ!(授業料だってバカにならないのよ!)」という言葉が喉元まで出かかっていたという。
夏が終わっても、雪乃さんの朝は絶不調だった。起きられない毎日が続き、ズルズルと不登校記録が更新されていく日々。藍子さんは、学校からいつ「辞めてください」と言われるか? と心配していた。
気持ちが動いた「きっかけ」は?
そんな折、定期連絡をくれていた担任の先生から「久しぶりに雪乃さんの声が聞きたい」と言われ、電話を代わったことがあるそうだ。
なんでも、その学校では提携のパン屋さんが作る特製のケーキが販売される日があるらしい。生徒に大人気なので、争奪戦必至ということだが、中1ながら頑張ってゲットできた子がいたのだという。その子が「雪乃さんに食べさせてあげたいから、今から来ないかな?」と言っていると。「賞味期限は今日なんだけど、預かっているから、よかったら食べに来ない? 特別に保健室で食べてもいいよ」という内容だったらしい。
「そんな誘いで行くわけないと思ったんです。時間も2時は過ぎていたと思いますし……。でも、驚きました。雪乃が行ってみようかな? って言ったんです。それで、車で学校まで送って行きました」
その日は校門近くで担任の先生にケーキを渡されただけで、そのまま帰宅したそうだ。しかし、そのときからほんの少しだけ、雪乃さんの何かが変わったという。
「担任の先生が満面の笑みでケーキの包みを渡してくれたのもうれしかったみたいで。その時、先生が『体調がよかったら、午後からでも全然いいから、今日みたいにおいでよ!』って、軽い感じで言ってくれたんですって。雪乃も何でだかはわからないけど、すっごく気持ちが楽になったっていうようなことを言っていました」
以降、雪乃さんはお昼過ぎに、藍子さんに学校へ車で送ってもらう日が増えた。保健室や図書館で時間を過ごしていたそうだ。
「中1の時は、休む日もあれば、午後から行くこともあるという状態。私はきっと学校から『中2に上がる前に転校手続きを』と言われるのでは? とビクビクしながら、中1最後の三者面談に臨んだんです」
桜のように咲く日が来るから
雪乃さんは教室に入ることができず、中庭のベンチに腰掛けて藍子さんを待っていたという。その時、雪乃さんいわく「ほうきを持ったおじいさん」がニコニコしながら近寄ってきたそうだ。
おじいさんは「そのうち、この桜も咲くね。今はまだ、こんなに蕾は固いのに不思議だね。でも心配しなくても、ちゃんと咲くんだな。雪乃さんもこの桜のように咲く日が来ると思うから、桜の木と一緒に僕はそれを楽しみにしていよう」と言いながら、去って行ったとのこと。
面談を終えた藍子さんは雪乃さんに駆け寄り「先生がね、雪乃さんは本校が入学を認めた大切な生徒だから、卒業するまでずっと一緒ですよって仰ってくださったよ!」と涙目で報告したという。
帰路、車に乗り込もうとした雪乃さんが「あ! あの人だよ、雪乃の名前を知ってたほうきのおじいさん!」と言った先には、S学園理事長の姿があったそうだ。
そして、中2を迎えた雪乃さんは、これまでのことがウソのように学校に通えるようになったという。
「理由はいろいろあったと思うんです。昇圧剤や鍼灸治療が功を奏したのかもしれませんし、プールで体力をつけたのもよかったのかもしれません。成長してホルモンバランスが良くなったこともあるでしょう。でもいちばんの理由は、学校が雪乃のことを本当に温かく包んでくださったからだと思っているんです。りんこさんが『この学校って春の毛布みたいなんだよ』と言っていた意味が、心の底からわかりました」
あれから、幾年かが過ぎた。雪乃さんは心理カウンセラーになることを目指し、大学で頑張っていると聞いている。できれば、不登校児を支援する仕事がしたいとのことだ。