「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
9月11日、58歳の誕生日を迎えられた秋篠宮妃紀子さま。ご結婚時の報道を振り返ります。
目次
・紀子さまへのプロポーズシーン、フジテレビ系の番組は全部ウソ
・秋篠宮さま「あれは完全に作った記事です」と報道をバッサリ否定
・娘2人は結婚よりも「仕事というものを優先させたほうが」
・佳子さまは、秋篠宮さま譲りの「動物好き」
・ネットでも有名な逸話は本当だった
・悠仁さま、文章“酷似”の作文コンペ問題
※2022年2月26日公開の記事を再編集しています。
紀子さまへのプロポーズシーン、フジテレビ系の番組は全部ウソ
――今回もジャーナリスト・江森敬治さんの著書『秋篠宮さま』(毎日新聞社)を、堀江さんと読んでいきたいと思います。この本は、世間で流布されている秋篠宮さまに関する報道に、自ら反論している一冊とのことでした。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 今回のテーマは秋篠宮さまが語る、ご家族の女性たち、そしてパパとしての宮さまの姿です。紀子さまと秋篠宮さまの交際やご結婚については、とりわけ多くの伝説がマスコミの手で作られすぎたことがわかります。
1985年4月、秋篠宮さま――正確にはご成婚までは“礼宮さま”でしたが、今回の記事ではわかりやすさを重視して、“秋篠宮さま”とお呼びします――は学習院大学内の書店で、紀子さま(当時、川嶋紀子さん)と偶然、出会いました。
5月には早くも両陛下(現・上皇ご夫妻)に紀子さまをご紹介、赤坂御所で皆でテニスをして楽しむ仲に発展。さらに翌年6月26日、秋篠宮さまはJR目白駅近くの交差点で信号待ちを紀子さまとしている時に、プロポーズを敢行しています。その時、紀子さまは「少し考えさせてください」と宮さまにおっしゃったそうです。
お二人の結婚が正式に決定したのは、89年1月に崩御なさった昭和天皇の喪中期間中のことで、同年9月12日の皇室会議でした。しかし、「少し考えさせてください」とおっしゃった紀子さまから「はっきりした返事」はないまま、ご成婚となったのです(笑)。
――ええっ!?
堀江 驚くべきことに、宮さまいわく「自然にそのままというか、私もよく覚えていません」だそうで。さすがに照れくさいので、“自然な流れで……”的なセリフで、詳細を明かすのを避けたいだけなのかもしれませんが(笑)。
ただ、このお二人の場合は、本当に息が合って、とくに言葉を使って理詰めに状況を共有しなくとも、トントン拍子にすべてが進んでいったのかも……とも思われます。それにしても大学在学中に、しかも出会って約1年でプロポーズって、昭和においても珍しいハイペースではないですか?
――眞子さまと小室さんも2012年に出会って、13年にはすでにプロポーズがあったそうですが……。
堀江 おっと、そうでしたね。プロポーズといえば……アラフォー以上の年齢の方は、秋篠宮さまと紀子さまの馴れ初めから結婚までをアニメ化した『平成のシンデレラ 紀子さま物語』という15分の短編映像を覚えていないでしょうか?
思えば、眞子さまのご結婚では、この手のお祝い特番みたいなのって一切なかったですよね。あれだけマスコミは大騒ぎしていたにもかかわらず。眞子さまと小室さんの馴れ初めもいつかアニメにまとめてほしいものですよね(笑)。
――『平成のシンデレラ~』って、お二人のご結婚を祝福する、フジテレビ系の番組内で流れたアニメでしたっけ?
堀江 はい。その後、パッケージ化されて発売にはならなかったそうですが、妙に記憶に残っており、YouTubeで偶然発見して見直してみたところ、いろいろと面白かったです(笑)。
宮さまからプロポーズされていた紀子さまが、星空を背景に「喜んでお受けします!」とお返事になるシーンがクライマックスですが、ああいうのも全部ウソのようですね(笑)。
秋篠宮さま「あれは完全に作った記事です」と報道をバッサリ否定
堀江 ちなみに、秋篠宮さまが紀子さまとの結婚を反対されてしまい、「もし彼女と結婚できなければ、私は皇籍離脱する!」と訴えたという話も有名ですが、あれも根も葉もないうわさだとか。宮さまご本人が「あれは完全に作った記事です」とバッサリ否定しておられます。
――恥ずかしながら、本当にあったことだと思いこんでいました。
堀江 実は、私もです。お二人のご結婚時にはまだインターネットもなく、テレビの報道や雑誌はこの手の情報を知るための唯一の手段だったじゃないですか。だからちょっとでも行きすぎた記事が出たら、それが真実だとみんなが完全に思い込んでしまっているのでは?
秋篠宮さまは当時から、この手の被害をマスコミから受け続けた皇族といえるかもしれません。
――眞子さまの結婚を控えた時期も、とくに雑誌関係は秋篠宮家の方々を追いかけ回し、車の中でうつむいていたら、それだけで「苦悩のご表情」と書き立てたり、なかなか先走ったことをしていましたよね。
堀江 あの風潮を批判する記事をサイゾーウーマンで載せたことはよかったと思います。さすがに行き過ぎでしたからねぇ。ちなみに、昭和天皇の喪中に紀子さまと婚約なさったことについては、批判の声もあったようですが、少なくともご両親の両陛下、宮内庁からネガティブなことを秋篠宮さまが言われたことなどはなかったそうです。
眞子さま佳子さまについて、結婚よりも「仕事というものを優先させたほうが」
――眞子さま、佳子さまがお生まれになってからもさまざまな報道がされたと思うのですが、それについて宮さまは本の中でなにかコメントなさっていますか?
堀江 娘の結婚ついて、「大学時代に相手を見つけておかないと(その後、相手を見つけるのは難しい)」と、『秋篠宮さま』の著者である江森さんに向かって語ったこともある宮さまでしたが、本書『秋篠宮さま』が出版された98年の時点では、「今は女性の結婚年齢もまちまちですから」というふうにお考えを変化させておられたことが読み取れます。
この時、まだお相手が見つかっていなかった紀宮さま(現・黒田清子さん)の「お考えを支持する立場」だったからかもしれませんが、たとえば、「(秋篠宮家のお子さまも当時)女の子二人(だけ)だが、結婚よりも自分の興味なり仕事というものを優先させたほうがむしろ良いのでは」とお考えだったのは興味深いですね。
――しかし結局、眞子さまは大学時代にお相手、つまり小室さんを見つけ、その後は博物館や研究所などにお勤めになったりしたものの……。
堀江 そうですね。かなり結婚一筋で20代を突き進んだという感覚は否定できませんよね。子どもは親の理想どおりにならないのが普通ではありますが……。
秋篠宮さまは「結婚しても自分のやりたいことができるかもしれないし、それもまた、その時の状況に応じて柔軟に対処」すればよいよ、ともおっしゃっています。眞子さまのケースもそういうふうになると良いな、と思ったりもしますよね。
佳子さまは、秋篠宮さま譲りの「動物好き」
――どのような子育てをなさっていたかに言及はありましたか?
堀江 世間のパパのように、お子さまがたをお風呂に入れてあげたりなさっていたようですよ。ちなみに幼少時の眞子さまと佳子さまは仲良しなぶん、たくさんケンカもなさったとのこと。
また、眞子さまは「絵を描いたり、切り絵をしたりとかが非常に好き」。少女時代では、佳子さまのほうがお父さまからの「動物好き」の要素を受け継がれていたそうです。
――そうなのですね。佳子さまの動物好きは初耳でした。
堀江 すべての教育は、お子さまの意思を尊重することに尽きる、という宮さまのモットーに沿って行われていたようですね。宮さまご自身が「両親に感謝することは、私の好きなことをずっとやらせてくれたということ(略)私の好きな分野をずっと歩かせてくれた」と、ご友人におっしゃった言葉にも表れているような気がします。
「帝王教育」のための“教科書”が天皇家には伝統的にはないというのは、やはり事実のようですが、一般家庭の父母が子どもの興味を広げるのを手伝うように、天皇家でもご両親のお勧めに沿って、お子さまの関心の幅は広がっていったのかな、と。
――興味関心の面では、のびのびと成長できる環境だったのですね。
堀江 ちなみに、好奇心旺盛で、のめりこみやすいが、ある時期が来ると、興味が移り変わっていくという宮さまの性格は、小学校高学年の頃、「おもしろいよ」と父宮(現・上皇さま)から勧められた『南総里見八犬伝』を読み、次いで「八犬伝」の“元ネタ”といえる『水滸伝』に熱中した時期にはすでに明らかになっていました。この時、わずか10歳です。学生時代から宮さまは趣味が「おじんくさい」といわれ続けたそうです(笑)。
――「おじんくさい」(笑)。
ネットでも有名な逸話は本当だった
堀江 こうした古典・歴史好きの渋い少年時代を経て、前回、ご紹介した御所のペットのオオトカゲとのふれあいがあって、「小学校低学年のころ」、ペットのテンジクネズミを池で泳がせたら、冬だったので心臓麻痺で死んでしまったのを父宮(現・上皇さま)に知られ、池に放り込まれたり、タヌキやイルカに噛みつかれた流血事件も経験なさりながら、生物学に開眼、現在に至る……という流れがあったそうです。
――冬の池にほうりこまれた事件って、本当だったんですね!
堀江 はい。この本が、ネットでも有名な逸話として知られていることの情報ソースだったんだ、と気づくことは多かったですよ。
眞子さま、佳子さまの成長ストーリーは、宮さまご自身の体験ほど鮮明に描きだされてはいませんが、宮さまがお育ちになったご家庭のように、お父さまが中心となって、一家が自然に集まり、まとまっていくような環境が現在でも秋篠宮家にはあると考えてよいでしょう。
しかし、そういう牧歌的といえるようなイメージを打ち出してきた秋篠宮家ですが、実は隠れた一面もずっとあったのでは、と思ってしまう事件が最近起きています。
例の悠仁さまの作文問題ですね。筑波大付属高への合格以上に世間からの注目をはからずも浴びてしまいました。将来の天皇と目される悠仁さまは、ご本人の意思がどうこう以前に、ご両親の多大なる期待のもと、名実ともに実力派のエリートという肩書を得るためのスパルタ教育を受けていたのかもしれません。
悠仁さま、文章“酷似”の作文コンペ問題
――「お子様の意思を尊重することに尽きる」という秋篠宮さまの教育方針が、悠仁さまの場合はどうだったのかというお話ですよね?
堀江 はい。眞子さま、佳子さまの時ほど、秋篠宮さまによる悠仁さまの子育て論の披露は行われていない印象があるので、いつかそういう本も出版されたらいいな、とも思いました。
――やはり悠仁さまのケースは、姉宮とは異なっているのでしょうね。
堀江 そうでしょうね。
悠仁さまは筑波大付属高には推薦入学なさったようですが、例の作文コンペもその対策の一つだったのでしょう。「優れた成績を修めねばならない」という重圧が、参考書籍と悠仁さまの文章が酷似した問題に影響したことは間違いないと思うんですよね。やるせないことですが。
「酷似」という表現自体に事を荒立てたくない関係者の苦悩が表れていますが、これ、ものすごい炎上になり得た大事故だと私は思っています。
過去の皇族方の進学問題についても、機会を改めてお話しできるとよいですね。
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