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城島茂、「彼を含めたTOKIO」――グループ結成当初の“幻のメンバー”に言及&スタッフ事情明かす

ByAdmin

8月 10, 2025 #STARTO, #TOKIO, #城島茂

サイゾーオンラインより】

 元TOKIO・城島茂をはじめ、ドランクドラゴン・鈴木拓、お笑い芸人・鳥居みゆきらがパーソナリティを務めているラジオ番組『アッパレやってまーす!木曜日』(MBSラジオ、通称『やる木』)。8月7日放送回では、城島がTOKIOの“幻のメンバー”の存在に言及し、周囲を驚かせる一幕があった。

城島茂、「もう1人ギターがいた」――TOKIOの“幻のメンバー”に言及

 城島たちのほか、ビビる大木、女優・鈴木美羽、女性アイドルグループ・アップアップガールズ(2)の元メンバー・佐々木ほのかも出演している『やる木』。今回は大木が収録を欠席し、月曜日レギュラーの我が家・坪倉由幸が代打で参加した。

 冒頭のあいさつで、ドランク・鈴木がコンビ名を言わずに「鈴木です」と名乗ったため、坪倉は「『ドランクドラゴン』とか言ってくださいよ、ちゃんと」と指摘。鈴木が「ここはサササーっといったほうがいいかなと思って」と言い訳したところ、城島が「鈴木さん、ドランクドラゴン解散したんですか? 大丈夫ですか?」と、割って入った。

 解散といえば、思い出されるのはTOKIOのそれ。メンバーの国分太一に「コンプライアンス違反」が判明したとして、6月20日付にて無期限で活動を休止すると報告し、グループは城島と松岡昌宏の2人体制になるも、25日には同日をもってグループを解散すると電撃発表した。

 それだけに、鈴木は「いや、してません!」とコンビ解散を否定しつつ、「リーダーにそれ言われるとドキッとするからやめてください(笑)」とツッコミ。城島自らデリケートな話題に触れ、ネタにしつつ場を和ませた。

 そんな城島はその後のトークで「3分」というキーワードが出た際、「3分って今、言ったけど。僕、一番最初にレギュラー持ったのがラジオだったんですよ。芸能界の中で。デビュー前だったんですけど。当時、メンバーがまだフルメンバーで5人いたんですけど。その中の長瀬(智也)がいない頃の5人」と昔話を切り出した。

 鳥居が「じゃあ、誰がいたの?」と尋ねると、城島は「あのー、もう1人ギターがいたんですね」「松岡(昌宏)と同い年で」と返答。初めて聞いたのか、ドランク・鈴木らは「へー! そうなんですね」と驚いていた。

城島茂、ラジオディレクターから怒られた若手時代を回顧

 続けて城島は、「その彼を含めたTOKIOっていうのでデビュー前は活動してて。のちにメンバーチェンジとか、変わっていくんですけど」と説明し、大阪・梅田を拠点とするMBSではなく、東京のラジオ局・TBSラジオで30分のレギュラー番組を持っていたと振り返った。

 当時、ディレクターから「オープニング3分で、すべて言えるから。3分でいろいろ話して、曲紹介しろ」「3分のタイム感を身につけろ」と口酸っぱく言われたそう。そのため、季節や天気、近況、時事ネタをはじめ、自分が思っていることなどを最初の3分で詰め込んでトークしていたものの、初回収録は初レギュラーといううれしさが勝り、5人のトークが被ったため、誰が何を言っているかわからず、「あとでお前ら聞いてみろ」と怒られてしまったんだとか。

 ディレクターからは、「城島ですけど、ちょっといいですか?」などと、まず最初に名前を言ってから話し出さないと「聞いてる人がわからない。デビュー前だし」と指摘されたと、城島は若手時代の苦々しい思い出を打ち明けていたのだった。

「城島は個人名こそ出しませんでしたが、グループ結成当初の“もう1人のギター”とは、小島啓を指しているのでしょう。当初は城島と山口が中心となってバンドが結成されましたが、のちに国分、松岡、小島が合流し、この5人がTOKIOとして活動していました。そして、長瀬がサポートメンバーのような形でTOKIOに加わり、6人体制でパフォーマンスを披露していた時期もあるんです。バンドスタイルでの歌唱の際、長瀬はギター(城島・小島)、ベース(山口達也)の横で、ボーカル兼タンバリンを担当していました。ところが、小島は突如グループを脱退。TOKIOは長瀬をメインボーカルに据え、1994年9月に1stシングル『LOVE YOU ONLY』でCDデビューを果たしました」(芸能ライター・阿部ベア氏)

 その小島は芸能界を離れたようで、現在までにジャニーズ事務所(当時)を退所後にどんな職業に就いたかなどは、はっきりしていない。以降、テレビなどでTOKIOが小島の話をする機会はあまりなく、知る人ぞ知る“幻のメンバー”と化しているのだ。

「今年6月にTOKIOが解散した際、ネット上の辞書サービス・Wikipediaなどを見てグループの歴史を振り返った人々は『TOKIOのWikipediaを読んでいたんだけど、長瀬の前にメンバーがいたの!? 小島啓って人、全然知らない』などと驚いていました。対照的に、小島が在籍していたことを知る旧ジャニーズファンたちは『TOKIOといえば、初期メンバーだった小島啓くんはお元気かな』『元メンバーだった小島啓くんは今どこに?』『TOKIOには小島啓がいたことも忘れないで』と懐かしんでいました。グループが解散したばかりだからこそ、城島も元メンバーに思いを馳せたくなったのかもしれませんね」(前出・同)

城島茂、マネジャーは「つけてない」! 株式会社TOKIOのスタッフ事情明かす

 また、今回の『やる木』ではレギュラー陣の間でマネジャーについての話になり、鳥居から「リーダーってマネジャーさんいるの?」との質問を受けた城島は、「(2021年4月1日に)『株式会社TOKIO』を立ち上げてからっていうのは、またちょっと状況が変わっていて。ぶっちゃけた話、松岡と太一にはマネジャーを自分で探して、それぞれつけてるんですけど、僕はずっと、自分にはつけてないです。基本もう、移動も全部自分で」と、明かした。

 鈴木らによると、以前はこのラジオの現場にも城島のスタッフが来ていたというが、本人は「それはたぶん、相当昔ですよね」「マネジャーではないですね。ラジオ担当というか」(城島)と情報を補足。

 そんな城島は『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)の撮影で船に乗って漁に出たり、農作業をしたり、無人島でロケを行うケースが多いため、「結局、マネジャーがついててもやることが……」「だったら別に(現場にマネジャーが来なくても)いいなと思って」と、担当マネジャーが不在の理由を説明していたのだった。

 元メンバーを含む昔話からマネジャー事情まで、さまざまな話題が飛び出した今回の『やる木』。今後もTOKIO時代のエピソードは封印せず、ざっくばらんなトークを期待したいものだ。

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