「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――日本中の多くの人々が反対する中、小室圭さんとの結婚を果たした小室眞子さん。皇族が重んじるべき「公」と「私」のバランスが崩れてしまっているとの批判が噴出しました。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 結婚報告の会見で、眞子さんは国民による批判を事実無根の誹謗中傷だと繰り返し、カメラを見る目は怒りに満ちているような、泣きそうに見える瞬間もあり、終始不安定なご様子でした。尋常な結婚報告会見とは絶対にいえない空気でしたよね。
――結婚前にはご両親と大きな声で怒鳴り合っているという報道も再三ありました。
堀江 不気味なのは、こうした記事が出ても、宮内庁のホームページでは具体的な反論や訂正が一切されないままだったことかもしれません。結婚会見で自分の言葉ではなく、紙に書かれた文章を読み上げるだけだったのも、ご本人にしゃべらせるのはまずいという周囲の判断だったのではないでしょうか。
――眞子さんが感情に支配され、あらぬことを口走ってしまうことを食い止めたかったということですか?
堀江 そうです。そんな彼女の傍らで、圭さんは彼女の主張を肯定しつづけ、微笑んでさえいたような……。あれにはビックリしました。眞子さんにとって、圭さんは“頼るべき夫”というより、白いものを黒いとさえ言わせられる存在。ほしい言葉を常にかけてくれるスタッフに近いのではないでしょうか……。
――スタッフ……ですか。
堀江 はい。「最後の文豪」として知られる谷崎潤一郎の代表作に『春琴抄(しゅんきんしょう)』という小説があります。強気でワガママなお嬢様・琴(こと)に付き従い、何があっても彼女をひたすら肯定し続ける使用人・佐助との異様な関係を描いているんですね。琴は病で目が見えないので、彼女の手足として佐助が一心に働き、最終的には自分の目も針で突いて失明、彼女と同じ闇の世界に落ちていく……というダークな話です。
圭さんがそこまで献身的だとは思えないところもありますが、佐助に依存している琴の姿には、周囲が見えなくなってしまっている眞子さんにかぶるところがありました。
――弁護士浪人で事務員の小室さんとしては、預貯金1億円超えとされる眞子さんに経済的に依存し、マンハッタンの高級住宅街で生活せざるを得ないようです。先日は、眞子さんを家に残し、パブでお友達と飲み会してる様子が報じられました。
堀江 お金の面の心配事は、眞子さんの配偶者だから“支持者”がなんとかしてくれているのかもしれません。借金もあるはずなのに、相談料だけでも1時間で1.1万円にもなる弁護士を雇用し続けているんですよね……。
――そんな小室さんの姿を、まったく不自然とも感じていないような眞子さんの姿勢に「秋篠宮家の教育はどうなっているんだ!」という声が上がりました。もう30歳の女性に対し、実家の教育を問う声があるのも、皇室がらみのニュースの特徴のように思います。
堀江 皇室の教育といえば、「帝王学」が有名ですよね。これはあくまで天皇陛下から皇太子殿下に「だけ」授けられるだけなのですが。
――「帝王学」といっても、門外不出の教科書があるわけではないのですね。
堀江 はい。皇太子殿下には、厳然たる“特別扱い”がなされています。これは皇室の伝統のようで、現代でも動かしがたいものがあります。
たとえば、菅原道真を大抜てきしたことで知られる平安時代の宇多天皇は、皇太子(のちの醍醐天皇)には『寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)』というアドバイス集を残したことで有名ですね。「どんなに寒い朝でも手を洗い清めてから神様を拝みなさい」など生活レベルの助言もふくみ、皇族としてふさわしい生き方について説かれています。
私なりに要約・翻訳すると、「独裁政治はいけない。必ず補佐してくれる臣下の意見を聞きなさい」、そばに置くべき人物を選ぶ基準としては「国民のためになる人事」をするように、ともありますね。
また、「自分が過ちを犯していないか、常に気をつけなさい」「喜怒の感情を安易に出すことは慎むこと」などについても触れられています。
これらの訓戒を与えられ、守った醍醐天皇は日本史において「聖帝」と呼ばれるお一人となりました。そしてこれらの訓戒は、皇太子だけでなく、ほかの皇族方も踏まえるべき行動原理だったでしょうし、理念としては現代においても現役だと思われるのですよね。
――ほかの皇族方も、ですか。ちなみに、結婚に際しての教えはあるのでしょうか? 眞子さんの行動は行動理念上どうなのか気になるのですが……。
堀江 そうですね。現在では『寛平御遺誡』は、ごく一部しか現存していないので、残念ながら、結婚の教えはあったかもしれませんが、少なくとも現在、読むことはできないのです。
でも面白いことを思い出しました。醍醐天皇の崩御から約36年後に生まれた藤原道長は、「男は妻柄(めがら)なり」という言葉を残しています。
「男が出世できるかは妻しだいだよ」などと普通に訳せますが、当時の皇族や上流貴族の男性は、妻とその実家の財産に寄生して生きるものだからです。だから「経済的に頼りがいのある妻をもらうのが一番!」とするのが、歴史的には正しい訳となるでしょうね。
――なんだか、どこかで聞いたような話ですが……。
堀江 たしかに夫を“養っている”点では、小室夫妻は平安時代なら普通なのかもしれませんが(笑)、現代の国民に馴染みが深い夫婦のあり方とは違うようですね。
――だからこそ、批判の嵐だったのでしょうか。しかし、平安時代に書かれた“ルールブック”と、多かれ少なかれ、同じような基準で生きることを求められてしまう21世紀の皇族がた。あの方々に許され得る“人間らしさ”とは……などとも思わずにはいられないのですが……。
堀江 現代日本人にとって天皇陛下をはじめ、皇族がたは“神”に等しい。信仰の対象なのでしょう。普段はそこまで気にならなくても、何かあるとすごい注目が集まるところも含めて“神”っぽいといえるかもしれません。
その“神”であるべき皇族だった眞子さんが、「好きな相手がどんな人物であったところで、やっぱり結婚したい!」という生々しい人間的欲望をさらけだし、その充足のために突っ走った行為に対し、国民から拒否反応が噴出したのです。
“小室禍”を報道した、海外の記事のほとんどすべてが的外れに思われたのは、こういう事情が彼らにはわからないからでしょう。
現在でも若い皇族には具体的なルールブックが与えられるわけではなく、先輩である皇族がたのお姿を見ながら、自分の道を歩んでいきなさいとだけ、諭されているようです。まぁ、眞子さんは歴代陛下のお姿より、父宮である秋篠宮さまの背中から学ぶ部分が多くても当然だったと思われますが。
実際、今回、大宅壮一文庫で集めてきた、ここ15~20年ほどの秋篠宮家の教育をめぐる一連の記事で、眞子さんのご両親である秋篠宮両殿下が結婚に突き進まれた道のりを見ていると、意外な共通点がたくさん出てきました。
――次回に続きます!